街道の何でも屋 ~カイの面倒ごと片付け帳~
コカフィ
荷ではなく、人
宿場は、雨の匂いと獣の体臭と、人間の欲でできている。
街道の結び目に建つ木柵の中、馬と荷車がごった返し、樽の転がる音に怒鳴り声が混じる。
俺は門の脇で腹を押さえた。空腹ってやつだ。それに財布は軽い――宿場では一番相性の悪い状態だ。
とりあえず、看板の大きい宿へ行く。軒先に吊られた灯りが揺れている。「枕木亭」。名前だけは寝心地が良さそうだ。
戸を押す前に、騒ぎが耳に入った。
「それは俺の荷だ!」
「血が出てるのが見えないのかい!」
人だかりの隙間から見えたのは、濡れた藁の上に横たわる若い獣人――犬の耳を持つ少女だった。頭に包帯が巻かれ、赤い染みが広がっている。
その横で、宿の女将らしき中年が水を含ませた布を絞っていた。
少女の首には、紐。首輪じゃない。
それは“人を繋ぐ”結びじゃなく、獣の手綱の結び方――そう見えた。
雑に二重に回した紐は男の手に巻かれている。それが余計に腹が立つ。まるで見世物だ。
「暴れられたら賠償だ。宿も困るだろ? 嫌なら――宿が責任を負え。そうしたら外してやるよ」
「おい」
俺は人垣を割って前に出た。
「その言い方は気に入らねえ。人を“荷”って呼ぶのは、どこの方言だ?」
怒鳴っていた男が振り向いた。小太りな男で、指には宝石の付いた指輪。行商人だ。
「誰だ、お前」
「通りすがりの何でも屋だ」
俺は少女を見る。意識はあるが、唇が青い。
少女の手が、女将の手を握り返しているのが見える。
行商人が鼻で笑う。
「こいつは俺が“買った”労働だ。獣人の子は丈夫でな。治療代も、宿代も、俺が払う。邪魔するな」
「揉めるなら外でやれ。ここは宿屋だ」
鎧を着た大柄の男が割って入る。肌は緑がかって、牙が覗く。オークだ。
鎧の擦れる音がしない。重いはずなのに、動きが静かだ。
……こいつ、見た目よりずっと手練れだな。
腕章に行商組合の紋――“組合案件”の護衛印だ。護衛自体はギルド請けらしい。
俺は両手を見せるように上げた。武器は腰の直剣一本。戦う気は今は更々ない。
「悪い悪い。俺は宿を探してただけだ」
「宿を? 金はあるのか?」
「……ない。だから揉め事で飯にありつこうとしてる」
正直に言うと、女将が吹き出した。笑いが空気を少しだけ柔らかくする。
「なら裏で皿洗いでもしていきな。寝床は藁なら出せる」
「……ただし、騒ぎを大きくしないなら、だ」
俺は軽く手を上げる。
「助かるよ」
女将が片眉を上げた。
「生意気だね」
行商人が舌打ちし、オークが腕を組む。
少女は目だけで俺を見た。助けを求めている、というより――逃げ道を探してる目だ。
その瞬間、背後から誰かが袖を引いた。
「……あなた、口は悪いけど、良い奴だね」
振り返ると、フードを被った女が立っていた。背は高くない。声は落ち着いていて、目だけが妙に冷たい。
疑わしい……だが、宿場で疑わしくない奴のほうが珍しい。
「褒め言葉として受け取っておく」
「あなた、金がないんでしょう?」
どう答えたものか。俺が逡巡していると女は囁く。
「だから取引をしない?」
「……つまり……俺の取り分は何だ?」
「食事。寝床。あと、明日の通行札。関所の門を抜けるのに要るでしょ?」
通行札――確かにここは、街道の治安を口実に徴収する関所がある。通行札がないと面倒になる。
俺は顎を撫でた。
「で、何をする」
「さっきの行商人の帳簿を手に入れて。あれがあれば、あの子を“商品”として扱ってるのがどれだけ汚いか、誰にでも分かる」
暴露か……。
俺は鋭い目つきで女の目を見る。
「あんた、誰だ」
「……あの子の“家族”だった者。あいつを追いかけてきたの」
嘘かもしれない。けど、嘘は使い方だ。
嘘は値札付きで使う――使うなら責任も込みだ。
「それで、あの子を取り返してどうする? 恨みを買って殺されるだけだ」
「私にはあの子が居れば十分。別の国に逃げるわ」
なるほど。自分に都合のいい話だ。
ふと、少女が藁の上で震えている光景が脳裏に浮かぶ。
それに今は金がない。
「悪くない。取引は成立でいい。ただし条件がある」
「何?」
「前金で銀貨3枚だ。帳簿を取った後、あんたが何をするか、俺は知らん。ただし、その帳簿で誰かを売る気なら話は別だ……それでいいな?」
「いいわ」
女は少しだけ眉を動かし、頷くと小袋を投げた。銀貨の音が三つ鳴った。
中身を確認する……金の匂いが、妙に新しい。まるで今日取り出した金、みたいな。
夜が深くなる前に動く。
俺は皿洗いを手早く片付け、女将から藁床と、余り物の硬いパンに、具の無いスープをもらった。
行商の荷車は宿の裏、柵の中に停められている。護衛頭のオークが見張りに立ち、部下が二人、酒樽を挟んで笑っていた。
女が耳元で囁く。
「見張りがいる」
「見えてる。要するに、見つからなきゃいい」
俺は短く答えると、屋根裏への梯子を指差した。枕木亭の倉庫は古い。梁は頑丈だが隙間がある。
梁を渡り、荷車の真上まで出る。下の護衛が気づかない距離。
俺は小石をひとつ落とした。樽の向こうに転がる音。
「何だ?」
護衛の一人が立ち上がる。
俺は反対側に降りる。足音を殺し、荷車の鍵に手を伸ばす。
鍵は簡単だった。行商人は自分の金だけ守りたいタイプだったのだろう。そういう奴は荷物の管理も雑になる。鍵の質も、だ。
潜り込んで扉を引き、息を殺す。
中を物色し、それらしい木棚を開けると、革の帳面が出てきた。表紙に印――組合の紋に似せた偽紋。
その瞬間、背筋が冷えた。
「中か」
低い声。
護衛頭のオークが荷車の影から現れた。いつの間に……俺の降りた影を読んでいたのか。
俺は両手を上げる。
「これは参ったな」
「帳簿を盗むつもりか」
「“盗む”って言い方は嫌だな。借りるだけだ。返す……たぶん」
オークは牙を見せて笑った。
「面白い奴だ。だが、ここで騒ぎを起こすと宿場が荒れる。俺は仕事が増える」
「俺も仕事が増えるのは嫌だ」
俺は手に持った帳簿を掲げた。
「よく見ろ。これ、偽紋だ。似せる必要がある時点で、表に出せない取引だ」
オークは印を一度だけ見て、切った。
視線が、俺の動きに移る。
空気がわずかに張りつめる。
「……それで?」
「商売と善意の話だ。善意だけで腹が減る。商売だけで人が死ぬ。俺は腹を空かせたくないし、人も死なせたくない」
「俺は今、金がない」俺は続ける。
「だから取引だ。あんたが俺を止めるなら、俺はここで“正面から”騒ぐ。宿場の女将も、客も巻き込む。あんたの仕事が増えるぞ」
オークの眉が動く。
「それは面倒だな。しかし俺がお前を取り押さえれば、その帳簿が表に出ることはない……」
俺は肩をすくめた。
「俺が叫べば、この宿の客が見物に集まる。その時点で護衛としての面子が潰れるな。
それに帳簿を表に出すのは、俺じゃない。俺は通りすがりだ。あんたは“宿場の秩序”を守っただけで済む」
「……」
「五分だ。五分で戻る。戻ってこなかったら俺を追いかけて来い」
「貸しだぞ」
オークはそういうと背を向け警備に戻った。
梁に登り、その足で倉庫へ戻ると女が待っていた。暗闇の中で目が光る。
「取れた?」
「取れた。だが護衛頭に見つかった。五分だ」
「分かったわ」
女が帳簿を受け取り、ページをめくる。目が走る。速い……読み慣れてる。
彼女が指を止めた。
「ほら、獣人の子の名前が……“買い付け”じゃない。“回収”になってる」
「回収?」俺は眉を寄せた。
「――荷として戻すって意味」
女は指先で行をなぞる。
その指が、少女の欄を通り過ぎて、少し先の数字で止まった。
「あいつ、“保護”なんて顔して、他所に流すつもりだったのね。……雑ね、回収番号までズレてる」
……と、言ってから、女の唇が止まった。
自分の声を、自分が聞いたみたいに。
「回収番号?」俺が繰り返す。
女は笑って誤魔化そうとした。が、目の奥の火は消えなかった。
女の目は、名前じゃなく数字を追っていた。取り返す目じゃない。
「……追ってれば、嫌でも覚える。――だって、旦那の帳面だもの」
言い終えて、女の喉が小さく鳴った。
しまった、って音。
俺の中で、何かがカチッと噛み合う。
「へぇ。家族は“旦那”って呼ぶんだな」
俺は軽く言った。
女の口元が――ほんの少しだけ“勝ち”の形になりかけたそれが、慌てて引っ込む。
「……言い間違いよ」
「言い間違いの値札は高い」俺は続けた。「さっきの銀貨、どこから出した。旦那の懐からか?」
女の目が細くなる。
次の瞬間、帳簿を懐へ滑らせ、身を翻した。
「悪いけど、あなたは通りすがりでしょ? 私は生きるためにやるの」
迷いのない逃げ方だった。
俺は舌打ちした。美人の頼みに調子に乗ったツケだ。
俺は梁から飛び降り、女の前に回り込む。腕を掴み関節を決める。力は最小限だ。女は痛みに顔を歪めるが、声は上げない。
「離して」
「離したら逃げるだろ」
「あなた、金がないんでしょ。私が通行札を――」
俺は顔を寄せず、距離を保ったまま言う。
「あんたがやってるのは“回収”の共犯だ。行商の手下が、帳簿を抱えて逃げる。……善意の顔して商売するには、値札が高すぎるな」
女の目が鋭くなる。
「綺麗ごとを……!」
「綺麗ごとじゃねえ。損得だ」俺は低く笑った。
足音が近づいた。護衛頭のオークだ。
「時間だ」
オークは俺と女を見て、状況を一瞬で理解したらしい。
女が言い募る。
「この男が盗――」
「黙れ」
オークが遮った。彼は俺に視線を寄こす。
「……お前、騒ぎを大きくしないと言ったな」
「言った。だからここで終わらせる」
俺は帳簿を女の懐から抜き取った。
「証拠はここだ。あとは宿場のやり方でやれ」
オークは帳簿を受け取り、ページをめくった。
数行読んだだけで、牙が見えた。笑いじゃなかった。
咳払いをし、周囲に聞かせるように、高らかに宣言した。
「この紋は偽だ!
組合の名を騙るのは規約違反だ!」
オークが女に向かって言う。
「お前、ここで暴れるなら、腕を折る。選べ」
女は唇を噛み、腕を下ろした。
行商人はその夜のうちに縛られた。
帳簿は宿場の番所へ渡り、女は事情聴取のため別室に置かれた。
少女は女将の部屋で眠り、翌朝には顔色が戻っていた。
俺は、というと。
「おい、何でも屋。証人として残れ。話を聞く必要がある」
番所の役人が机を叩いた。
「つまり、俺の出発が遅れるってことか?」
俺は天井を仰いだ。最悪だ。
役人が肩をすくめる。
「嫌なら通行札は出せん。名は?」
「カイだ」
俺は乾いた笑いを漏らした。
「やれやれ。ツケってやつは、いつも足元から取り立てに来る」
昼過ぎにようやく解放された。
今から出発したら野宿になる。今日は諦めてふて寝だ。
宿屋に戻ると女将が待っていた。
女将の背に隠れるように、少女が立っている。首の縄の痕には、乾いた布が巻かれていた。俺と目が合うと、少女は小さく頭を下げた。
銀貨三枚をそのまま女将に渡す。寝床と口止め代、まとめてだ。
「あんた、結局、得したのかい?」
俺は札を指で弾いた。
「トントンってやつだ。寝床と飯。あと――」
俺は振り返り、テーブルで酒を呷るオークを見る。
護衛頭が、杯を揺らして言った。
「貸しにしとく」
「その内な。借りは借りのままにしねえ」
俺の答えに、オークは鼻で笑った。
次の更新予定
2025年12月27日 07:15
街道の何でも屋 ~カイの面倒ごと片付け帳~ コカフィ @Yuu_Bui
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