神殺しの英雄譚
竜龍
第1話 聖夜の天啓
その年、2025年のクリスマスは、穏やかすぎるほど穏やかだった。
街は赤と緑の光に満ち、どこか義務のように幸福を演出している。
恋人たちは足並みを揃え、家族は笑顔を作り、誰もが「特別な夜」を疑わなかった。
白神颯真は、巨大なクリスマスツリーの前に置かれたベンチに、一人で座っていた。
祝祭の中心にいながら、彼はその輪の外にいる。
気づけば、靴の上に薄く雪が積もっていた。
いつから降り始めていたのか、正確には思い出せない。
寒さは確かにあるはずだったが、それを不快だとは感じなかった。
彼の中で、感覚の優先順位がどこか狂っていたのだ。
「よお。やっぱりここにいたな」
声をかけたのは、白神仁だった。
颯真の名を呼ぶこともなく、当然のように隣に立つ。
「バレてたか。はあ……茶化しにでもきたのかい?」
仁は、わずかに目を見開いた。
「まさか。いくら俺の性格が悪いとはいえ、愛人を亡くした奴を茶化しはしねーよ」
遠慮のない言葉だったが、そこに悪意はなかった。
颯真はそれを理解しているからこそ、短く息を吐き、苦笑する。
「仁ならやりかねないと思ってさ。君の境遇からすれば、僕の悲しみは取るに足らないだろうしね」
仁はすぐには返事をしなかった。
一拍置き、言葉を選ぶ。
「あー……だが、お前はどちらかと言えば、悲しみより悔しさが勝つタイプだろ?」
颯真は、ゆっくりと顔を上げ、星空を見上げた。
冬の空は澄み切っていて、星は冷たく、等しく輝いている。
「君はつくづく人の心を読むのが上手だね……はあ。何のために医者になったんだろう」
問いは、答えを持たぬまま宙に溶けた。
仁は、颯真の靴の上に積もる雪へと視線を落とす。
「さあな。だが、世の中に意味のない行為ってのは存在しない。無意味ってことはないはずだ」
颯真は大きく溜息を吐いた。
「あーあ。ここがゲームの世界なら、死者蘇生だって簡単にできるだろうに。現実ってのは、どうしてこうも残酷かな」
その言葉が終わるより先に――
世界が、止まった。
ツリーの光はそのままに、瞬きだけが失われる。
舞い落ちていた雪は宙で静止し、人々は歩幅の途中で凍りついた。
音が消え、風が止み、時間そのものが意味を失う。
ただ、意識だけが残されていた。
そのとき、声があった。
空からでも、頭の中からでもない。
意味そのものが、直接流れ込んでくる。
『天界の神より、地上の人類へ告げる。
すべての神託者を殺せ。
さもなくば、十七年後の聖夜、人類は滅びる』
声には感情がなかった。
命令であり、予告であり、祝福ですらあるかのようだった。
そして、続きが告げられる。
『其方は神託者に選ばれた。
神託者とは、神の力を与えられし特別な存在であり、死後に天へ迎えられることが約束されている者である。
神の意志に背く愚かなる人類を滅ぼせ。
最も多くの人を殺した神託者は、神として迎え入れよう』
それは選択ではなかった。
拒絶すら許されない、ただの宣告だった。
やがて、光が再び瞬き始める。
雪は落ち、人々は歩き出し、音が街へと戻っていく。
誰もが、何かを聞いた。
だが、それを正確な言葉にできる者はいなかった。
その夜、人類は気づかぬまま、引き返せない地点を越えた。
そして、この瞬間から――
十七年に及ぶ神託戦争が、静かに幕を開けたのである。
神殺しの英雄譚 竜龍 @tatudragon
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