対岸の火事を消しに行く男 ウルトラさん
haru
第1話
彼は、人呼んで“ウルトラさん”。
誰が呼んだのかは知らないが、言われてみれば、なかなか上手いこと言っている。
またの名を“対岸の火事を消しに行く男”。
迷惑極まりない。
今日も彼とは関係のないところで事件が起きた。
三丁目の山田さんと奥さんが夫婦喧嘩をしているというのだ。
もちろん、山田さんとは面識がない。
「これは放っておけないな……」
誰に頼まれたわけでもないのに、彼は真剣な顔でつぶやいた。
彼は早速、ウルトラスーツに着替え始めた。
銀色と赤の、あの配色。
度重なる洗濯で縮み、サイズは若干きつい。
彼には時間がない。
忙しい彼にとっては、いつも時間との戦いでもある。
なぜなら――
他人の揉め事は、だいたい三分で収まるからだ。
---
現場に到着すると、すでに収拾がつかなくなっていた。
「何であんたは、いつもそうなのよ!」
「それはこっちのセリフだ!」
ウルトラさんは、電柱の影からそっと様子をうかがった。
深刻度:中
介入リスク:極大
これは――誰が行っても得しないタイプ。
それでも、彼は行く。
「シュワッ!」
意味不明な掛け声とともに、ウルトラさんは二人の間に割って入った。
「ちょ、誰!?」
「何この人!?」
「安心してください。私は――
対岸の火事を消しに来た者です」
名乗っても、理解されることはまずない。
「今、お二人の間には“熱”が発生しています」
「は?」
「このままでは、ご近所に迷惑がかかる恐れがあります」
周りは彼に迷惑している。
ウルトラさんは胸のランプを叩いた。
タイマーが作動する。
(残り二分五十秒)
「では、鎮火します!」
彼は両手を広げ、夫婦に向かって叫んだ。
「落ち着いてください!!」
――それだけだった。
夫婦は一瞬、ぽかんとした顔で彼を見た。
「……何なの、この人」
「知らん」
三秒後。
「余計に腹立つんだけど!!」
「帰れ!!」
ウルトラさんは吹き飛ばされた。
(失敗)
彼はすぐに立ち上がった。
ヒーローにとって、失敗は想定内だ。
(作戦変更)
彼は今度は低い声で言った。
「……お二人とも」
「まだいるの!?」
「今、この喧嘩に“勝者”はいません」
一瞬、沈黙が落ちた。
「……確かに」
「……そうね」
(効いた)
ウルトラさんは静かに続けた。
「あるのは、疲労だけです」
「……」
「そして明日も、同じ朝が来ます」
二人は顔を見合わせた。
「……今日はもう、やめる?」
「……そうだな」
(鎮火成功)
胸のランプが点滅を始めた。
(残り三十秒)
「では、私はこれで」
「ちょっと!」
奥さんが呼び止めた。
「あなた……誰?」
ウルトラさんは一瞬考えた。
「……通りすがりの、迷惑な正義です」
そう言って、彼は走り去った。
帰り道、彼はコンビニで缶コーヒーを買った。
ヒーローにも糖分は必要だ。
彼は誰からも感謝されない。
SNSにも載らない。
拍手もない。
だが、それでいい。
彼は知っている。
対岸の火事は、当事者にしか意味がないということを。
それでも――
行ってしまうのだ。
ウルトラスーツを脱ぎながら、彼はつぶやいた。
「さて……次はどこの火事だ」
テレビでは、隣町の自治会トラブルを報じていた。
彼はため息をつき、またスーツに手を伸ばした。
迷惑極まりない男の一日は、今日も終わらない。
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