短編集

なるせ

年相応で解放的

 俺の家の周りにはキャバクラ、クラブ、風俗店に――そういやホストクラブも最近できたんだったな――そういう夜の店がそりゃもうえらい繁盛していて、スーツを着崩したサラリーマン風の衆人が、上気した頬をクイッと上げて「ここ、いいんだぜ。お触り」「マジすか!」なんつー会話を繰り広げるのは日常茶飯事なんだけどな。

 あぁ、とりあえず今は、(そんな法外な店、非日常茶飯事じゃないのか)っつー話は置いておこうぜ。そりゃ俺も最初は頭を抱えたさ。なんせ十六年もこの街に住んでいて未だ乳のひとつも揉んだことがない俺だというのに、トータル滞在時間がせいぜい三時間くらいの男どもがいとも容易く揉んでいくんだ――や、ひょっとしたら両乳いってるのかもしれないな――クソ、羨ましいな。そう思うだろ?


 で、だ。それだけ多くの店があるってことは、そのぶん人の数も多くなるよな。となると当然それだけの数の胃袋があるわけなんだが、そいつらが腹を満たす場所も必要になる。

 ところがどっこい。この街の七不思議のひとつなんだが、なぜか俺の家の周り半径一キロ圏内には飯屋の一個もありゃしない。察しの良いヤツはもう分かったと思うが、要するに退勤直後の姐さんや酔いつぶれた客を運ぶタクシー運転手、果てには乳揉みエロリーマンなんかが、腹ごしらえのために一堂にウチの居酒屋に集まるっつーわけだ。ちなみに七不思議なんてないんだなこれが。

 

 さて、傾けた耳を元に戻してくれ。ここからは俺のだらしがないエピソードのひとつでも聞いてもらおうと思う。

 というわけで、今度は反対の耳を傾けてもらおうかな。


 ウチの店は年中無休で、親父と母さんが毎日エッホエッホと働いている。夜はもう大繁盛で、二階の俺の自室まで客の声は貫通するし、足音やら品出しの音で一階から地響きのような振動がときたま伝わってくる。そんな感じで自室に居ても色々とやる気は削がれるもんで、「たまには孝行息子にでもなろうかなァ」と、俺は誰もいない自室にわざわざ言葉を残して一階に降りていく。こうして考えてみると、俺はけっこう面の皮が厚いっつーか、観客ゼロの講演会を平気で開けるような人間だな。会場にば俺の声がよく響き渡るだろうぜ。


 本題だ。

 「あら夏彦なつひこぉ~。お手伝いしにきてくれたの~?」と間延びした声で出迎える母さんに「たまには孝行息子になろうかなって思ってな」などとやかましい返答をした俺は、冷蔵庫から取り出した枝豆を適当に皿に盛りつけ、カウンターテーブルで談笑する露出多めのお嬢三人衆に提供し、


「あ、ナツくん。あんがと」


 の言葉は耳に留めず、彼女らの胸元をまじまじと見つめた。


「ああ」


 淡泊に答える俺だが、その眼は乳へ熱い視線を送っている。デカい。白い。柔らかそうだ。包まれたい。そんなことばかり考えている。嘆かわしい。俺にとって孝行とは、乳への視姦のことなんだろうな。そんなわけあるか。

 

「……ナツ」

「ん?」

 

 ちなみに俺は感情が表情に出やすいタイプで、あんまり駆け引きは得意じゃない方だ。きっと今も頬が緩んでいるんだろう。男はみんなエロい生き物なのかもな。となると俺は将来エロリーマンのようになるんだろうか。

 

「エロガキ。鼻の下伸ばしてんなよ」

 

 こうやって、すぐにバレるのがオチだ。

 この店に来る姐さんは大抵たくましい性格をしているんで、俺は毎度毎度ド直球ストレート三百キロを受け止めている。ミットが破れて身体に当たろうとも、俺は決して視姦……や、孝行をやめることはない。

 

「いいじゃねーか。減るもんじゃないだろ」


 カウンター越しに悪態をついて見せると、女狐は獲物を捕らえるような目つきで俺を睨む。


「は?」

「悪かった」


 素直に謝るとそれ以上突かれはしない。こういうのには慣れているんだろうな。

 諦めて視線を胸から逸らし、俺はその場を離れる。

 もっとも、反省はしていない。そりゃ、本気で嫌がられるなら俺も考えようがあるんだが、いかんせんお嬢たちは大股で座るし、店の中で「ブラきちー」と下着を脱ぐことがザラなので、俺はそれを後ろ盾に堂々と視……孝行ができるっつーわけだ。

 というわけで、遠巻きに乳を眺める懲りない俺がいた。


「夏彦」


 親父の声だ。振り返ると、俺の背後から店全体を見渡すようにして、親父が仁王立ちしていた。


「親父……」

 

 下心を隠す気すらない俺にしびれを切らしたんだろうか。

 が、しかし。その線は薄いだろうなと俺は思っていた。確信に近い。


「……気をつけろ」


 親父は遠くを見つめるように細い目つきをして、一呼吸置いたあとで口を開いた。


「……目を細めて、バレないようにするんだ」

「親父……」


 血は争えないな、こりゃ。

 心の中で呟いた俺は、まぶたを軽く閉ざし再び胸元へと焦点を当てた。

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短編集 なるせ @naruse-desu

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