悪役令息の姉ですが、

2月末

第1話 姉、思い出す

弟が、教師に呼び出された。


それを聞いた瞬間、私はすべてを思い出した。


――ああ、なるほど。

ここ、乙女ゲームの世界だ。


そして弟――レジーラ・クレナードは

ヒロインに嫌がらせを繰り返し、最終的に断罪される悪役令息。


「……詰んだわ」


思わず本音が漏れた。


いや、正確に言うなら「弟が詰む予定」だ。

しかもその原因、たいていは些細な誤解と、誰にも聞いてもらえなかった感情の積み重ね。


私はその姉。

物語には直接かかわりのない存在。

いてもいなくても影響のない存在。

そう、いうなればサンドイッチのキュウリのような存在ってこと。


攻略対象でもなければ、イベントCGもない。

設定資料集の隅に「姉が一人いる」と書かれる程度の存在だ。


――正直、助かった。


主役じゃないというのは、

こんな時、ものすごく気が楽だ。


 


「姉上……」


しょんぼりした声で、弟が私を見上げる。


まだ十五歳。

この時点では、ただの不器用で少し皮肉屋な少年だ。


「何をしたの?」


「……何もしていません」


あ、これは本当だな。


悪役令息って、だいたいこの辺から無理やり悪役ムーブをさせられる。

本人の意思? 知らん。

シナリオがそう言ってるから、である。


 


教師の話は、予想通りだった。


ヒロイン――平民出身の少女に対する「威圧的な態度」。

貴族としての立場を利用した「空気の悪化」。


要するに、

弟が無口で表情が硬いせいで、怖がられただけ。


「……それは、申し訳ありません」


私は一礼した。


教師は拍子抜けした顔をする。

たぶん、貴族が逆ギレする展開を期待していたのだろう。


「弟は人付き合いが得意ではありませんが、悪意はありません。

今後は私からも注意します」


注意、というか――

見捨てないだけだ。


それだけで、この手のシナリオはだいたい崩れる。


 


部屋を出たあと、弟は小さく息を吐いた。


「……姉上は、怒らないのですね」


「怒る理由がないもの」


私は肩をすくめる。


「レジ、覚えておきなさい。

人はね、“何をしたか”より、“どう見えたか”で判断されることが多いの」


弟は不満そうに眉を寄せた。


「理不尽です」


「そうよ。だから面倒なの」


正義も悪意も、たいていは後付けだ。

それを、私は前世で散々学んだ。


 


この世界で、私は決めている。


弟を無理に更生させない。

シナリオと戦わない。

ヒロインとも張り合わない。


ただ――

弟が、誰にも説明されないまま悪役にされるのだけは、防ぐ。


「大丈夫よ、レジ」


私は弟の頭を軽く撫でた。


「あなたが悪役になる前に、

姉としてできることくらいは、ちゃんとやるから」


弟は少し驚いた顔をしてから、照れたように視線を逸らした。


「……変な姉上です」


「今さらでしょ」


 


この時点で私は、まだ知らなかった。


この“何もしない選択”が、

乙女ゲームのシナリオを根こそぎ破壊し、

なぜか攻略対象たちの好感度を、私に向けてしまうことを。


――本当に、面倒なことになる。


それでもまあ。

弟が笑っているなら、それでいいか。


私はそう思いながら、

今日のおやつを何にするか考えていた。


(紅茶は必須。甘いのも必要。

断罪イベントは、まだ先でいい)

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