亡国のフロンティア

朝露紫紺

亡国のフロンティア


 この世界は灰色だ。

 なにも、つまらない日常が色あせて見えていること比喩表現しているのではない。

 もっと物理的な話だ。

 一説には、太陽から放たれた光線がこの孤立した都市に覆い被さっている天蓋を通過する際に、外面に反射されて日射量が減少していることが原因だという。

 天蓋と言ったが、この半径50キロメートルもの巨大な円形都市は外周部分を高さ約4キロの壁で囲われており、その壁の上側と同心円状の都市の中心部分に聳え立つ7539メートルの高層ビルが支となって、これまた巨大な膜を都市の上空全体に張り巡らすことでドーム状の構造を実現している。そのドームをこの都市国家では一般に天蓋と呼んでいるのだ。

 遥かな昔、今から400年以上前に都市の外側から撮影された写真によると、我等が都市は白い膜に覆われていたそうだ。今となっては一般市民が自由に都市の外に出る術はないので、天蓋の外側の様子など知る由もない。

 故に、当時白かった膜の外側は黄ばんで汚れてしまっている可能性もある。重要なのは外側から見たこの都市ではなく、内側から見た都市の様子だ。

 人類が農耕文明を誕生させてから、はや6千年。天蓋に覆われたこの都市――エルノメ――が今の形になったのも、もう500年は前だ。

 標高に表せば5000メートルを下らないこの場所から見下ろせば地表にも見える「それ」は、どこの一部を切り取ってもひしめき合い林立する高層ビルの上層部である。政府は3000メートルを超える建物の規制を行っているため、それを超えるのは合計で4本のある地区庁舎と中央の政府庁舎のみ。それゆえ都市を見回せるこの場所、東地区庁舎の上層部回廊式展望台はエルノメという都市を考察するのに最適の場所の1つだ。

 

 何度でも繰り返そう、東地区長になり、ここに初めて昇った日から変わったことの無い感想を。

 ――この世界は灰色なのだ。

 写真では純白にも見えた天蓋の、その内側がこんな有り様であったとは。

 古の物語を子供のころに読み、大きく広がる大海原と青い大空を夢見た時。低階層を抜け出せることができればそれらを、少なくとも美しい青色の大空を拝むことができると思っていたのに。

 あれだけ暗い街だったのだ、低階層は。

 至る所に高層ビルは林立してはいるが。地表付近から、或いは低階層から空を見上げたところで太陽光を浴びることはできない。灰色の建設物は1500メートル地点まで複雑に結合しあい、宛ら第二の地表部分を形成しているのだ。しこうして、天を見上げて目に入るのは果てまで続くかと思われるビルの外壁、僅かに窓ガラスから漏れ出す照明の明かり、ビルとビルを繋いで作られた中層の、新たなる地上の基底。低層階の住人たちは、どうも哀愁を漂わせる薄暗い空間で暮らしているのだ

 それが上層階にて、青い大空を望むことの何が悪いか!

 報われない人々の数多が抱いてきた夢の、この暗い世界から解放されたいというに、何の過ちがあったか!

 人々の悲願の成就には、この都市では足りないというのか!

 

 低階層は暗いだけでない。物価も賃料も安い。ゆえに貧しい労働者階級が集まっていた。4等分に分割されている地区の、東地区以外の情報は今の自分――東地区長の権限では手に入らないが、東地区4千万の7割は低階層の住人だ。そして改めてエルノメ政府の統治巧妙さに驚かされる。低階層の住民には都市の人間の誰も手に入れることのできない、あの「大空」がごとき夢を餌にして、それを原動に使役させる。

 何と悲惨な現実だ。この世界を管理する政府が上層階の人間を中心に構成されていること、諸悪の根源はその事実に違いない。

 ここから数十キロ先に霞んで見えるは天蓋を支える壮大な支柱。文字通り世を統べる政府の拠点。エルノメが外部から切断される以前は、莫大な経済力により外の世界に影響を与え続けた組織Eとして知られる。都市を分厚く巨大な壁で囲い、何の素材とも知れないが何百年も落ちることのない覆いで蓋をした、正にその組織。

 当初は緊張化した国際社会からの離脱を理由に現地政府との合意の許に封鎖が行われていたようだ。残念なことに、歴史はこの合意の正しさを証明した。

 都市の封鎖完了直後に世界的な核戦争が勃発して他国は破滅の一途を辿った――

 それ以降、つまり450年以上だ。外部との交流は一切無いこともあり、やはり周辺国は全て滅んでしまい、エルノメの天蓋が幸運なことに都市を守ったという認識が一般的なものだ。

 組織Eは都市を外部から封鎖して直ぐ、世界中に分散していた資本をエルノメに全て移して旧政府の買収に走った。時には賄賂を、時には自前の傭兵を。結果を明かしてしまうと、組織がクーデターを起こして政府を打倒するまで、さほど時間は掛からなかったそうだ。

 新政府は建前上の民主主義を奉じたが、蓋を開けてみれば議会を構成したのは組織Eの株主ばかりであり、政府の官僚は組織Eの社員が異動して補われた。旧エルノメ軍は一部が蜂起を起こすも即座に鎮圧され、かえって政府に軍の解散の口実を与える結果となり、今の政府軍の殆どは組織の傭兵部隊が基になっている。

 陰謀論は好まないが、反政府的な論者に依れば、このときの反乱は軍に紛れた組織Eの内通者が起こしたものらしく、自分もその説には一定の真実味があると判断している。

 これらの歴史の多くは一般市民、特に中・下層の市民に知られていない。人々が日常使いする政府に貸与された個別の情報通信端末には、階層ごとのレベルで情報統制がなされており、歴史を含む都市国家の基本的な情報にアクセス可能となるのは上層以上の市民に限定されている。当然反政府的な言動も取り締まられており、端末に打ち込んだとしても反映されないようにプログラムされているし、紙媒体の書物の発行には検閲が掛かっている。先ほどの陰謀論は、学者と地区長の定例会議の際に、例外的に下層部から地区長になることができた自分に対して正義感の強い上層の学者が教えてくれたものだ。

 凡そエルノメの仕組みが分かってきた頃であろうか。組織Eを主導とした新政府は言わば究極の企業城下町を作り上げたが故に、組織と縁のなく貧しい人々が虐げられる社会構造が成立したのだ。建前上の民主主義といったが、一応は下層部を含めて全市民が平等に投票権を持っている。しかし、立候補者の要件として上層の大学を卒業することが設けられている点が重要なのだ。下層と上層の行き来は幾らかのお金を払えば可能であるし、難易度の高い入学試験を突破さえすれば住んでいる階層の区別なく上層の大学に入学することができる。

 問題は、上層社会が上層の物価で成り立っていることにある。下層や中層の住人には到底支払えない学費が要求されるため、実質的には入学不可能である。さらに下層部の学校の教育水準は非常に低いことも影響しており、人々は碌に社会のことを学ばないで世に放出される。

 制度上は立候補が可能である点と低い水準の教育の二つが、中・下層の住人にとって「不公平」な社会であることを彼ら自身で非難することを困難にしているのだ。これがエルノメ政府の統治の巧妙さであり、それゆえ既存の体制を内部から打ち崩すことはまず不可能なのだ。

 ところで、自分が如何なる者かを話そう。

 小さなころから勉学の才覚を表した少年を下層の中学校の教師一同が支援し始めた。なぜと言われても、教師らに自分を満足させられる教育が与えられない自責の念があったのか、社会構造への違和感があったのか、今となってはわからないが、ともかく彼ら数十名がなけなしの金銭を寄せ集めて上層の大学の学費と生活費を捻出したのだ。大学では社会を、エルノメを学び、この世界の不条理を知った。下層で生活していては気づきもしない不条理。

 上層部の大学卒業の肩書で被選挙権を得た自分は卒業後すぐに控えていた東地区長選挙に出馬し、手あたり次第に駅や街角で我々を覆う不条理さについて演説を行った。演説は人々の強烈な共感を呼んだ。結果、胡坐をかいていた現職地区長は大敗し、史上最年少かつ下層出身の地区長として就任したのだ。不条理に対抗すると躍起になるも、権限は限定的だった。あくまで東地区の地方行政にしか携わることができない。強いて言えば、政府独立で区直属の警察組織を動かせるようになったことは大きい。中・下層出身者が中心の彼らが地区長の警護に当たるおかげで、政府から圧力は掛けられども、いまのところ軍に逮捕されるようなことはない。

 他の地区に働きかけて下層出身の地区長を増やし、警察機関を完全に掌握したうえで政府に反旗を翻そうと計画を練ったことは一度や二度でない。しかし、実際に計画を実行することは難しかった。有望な若者が大学に入学することを支援したが、卒業までの年数を待つことはできないし、当局が自分と区の協力者を監視していることを警護から忠告されていたので下手に打って出ることもできなかった。

 終わっている国の、無力な地区長なのだ。自分という人間は。

 地区長就任以来、毎日一度はこの回廊で都市を、エルノメの大都会を望んでいる。

 首長になり自身の生活も豊かになったことで、この社会に潜む不条理と中・下層の生活を忘れてしまわないように。

 ――灰色の世界は何時だってこの世界が終わっていることを思い出させてくれるから。


「防空識別圏に異常信号確認、東区庁舎より西側、仰角80度!」

 庁舎の緊急無線が突然響き渡る。

「区長、その方角ですと天蓋、或いは”外”かと」

 傍に控えた秘書と参謀が深刻そうな顔を見合わせ、警護の数人が回廊の西側に走っていった。非常事態をけたたましく知らせるサイレンと、いつの間にか雑踏に連れ込まれたかのような周囲の足音が、交響曲第九番を奏でる。残った警護によって自分は回廊の中央部に誘導された、その時。

 中央庁舎にくそでかい光の柱が降り注ぐのが見えた。思わず皆、足を止める。

 暖色の光の柱は天蓋から中央庁舎を丸呑みにして突き刺さっており、やがて地面との結合部分から膨張を始めた。

 ――そうか、今の今まで政府は上層の市民までも騙し切っていたか。

 膨張は遠目でもわかる衝撃波を伴っているのだった。

 背の低い建物はまだわからないが、飛び出している四つの地区庁舎は。

 

 崩壊は近い。


 光に切り裂かれた天蓋から覗く青空が、酷く美しく見えるのだった。


 

**********************


 数分前、中央庁舎の首相室にて。

【再度確認する。貴国に連邦との国交樹立の意図がないのであれば、即時的な攻勢も厭わない】

 数秒、沈黙。

【エルノメは閉ざされた国家だ。如何なる干渉も受け付けない】

【連邦は貴国の防護壁と防護膜が微細なアルミニウム片を混ぜ込んだ特殊素材であることを確認済みであり、如何にして内部と外部の通信を遮断していたかはこれにて解明された。また、連邦の衛星兵器であれば貴国の防護を貫通する攻撃により政府機能の麻痺が可能であることを改めて強調する】

 溜息。

 空調の可動音のみが響く。

 庁舎の地下200メートルにある首相室は内閣戦略指揮室を兼ねており、室内の正面を飾る大型モニターと職員の使う特別端末の他に目立った光源はなく、薄暗い。

「開国を進言します。諜報部の調査では連邦の衛星複合兵器が水素爆弾同等のエネルギーを射出できることを確認しています」

「我々の防護装備では対応できません」

 沈黙、空調、緊張した息遣い。

 ――やがて首相は、重々しく口を開く。声を絞り出して。

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