プロローグ - 60年前からの手紙
「正直に言って、私はおばあちゃんのことをほとんど覚えていない。」
「私にとって彼女は、どこか謎めいたお年寄りだった。普段はあまり笑わず、口数も少なくて……何か秘密を抱えているような人だった。」
「それに、この重たい鉄の箱を、まるで宝物みたいに大事にしてた!」
ベースボールキャップを被った金髪の少女が、埃だらけの倉庫へと足を踏み入れ、まっすぐ正面の棚へ向かった。そこには、上質な布に包まれた鉄の箱が置かれていた。
箱の本体は無骨な鋼鉄製だが、その外側にはレースや布が重ねられ、縁取りの装飾まで施されている。だが少女にとっては、ただ古臭くて野暮ったい代物にしか見えなかった。
「中を整理しろって言われたけど……どうやって開けるの?」
少女は箱を一周回して眺めた。四桁のダイヤル式ロックがかかっており、暗証番号を知らない彼女に開けられるはずもない。仕方なく、一つずつ試していくしかなかった。
「……ああ……」
少女は嫌そうな表情を浮かべた。正直、やりたくなかった。この箱を開けたくなかった。でも、それでも中身が知りたかった。
「ジェニー!キャサリンおばあちゃんの箱、開けたの?」
遠くから女性の声がした。少女の母親だ。渋々作業していた少女――ジェニー・バリードである。
ジェニーの祖母、キャサリン・バリードは亡くなった。告別式が終わったその日の午後、母親はジェニーに祖母の遺品整理を命じた。とりわけ、あの大切にしていた箱の中身を。
誰も、その箱に何が入っているのか知らなかった。重さからして紙の束――おそらく手紙や書類だろうとは思われていた。
だが、ジェニーの知る限り、祖母は書類仕事に関わるような人ではなかったし、処理すべき書類を宝物のように保管するとも思えなかった。
箱の中身については、祖母の息子であるジェニーの父親でさえ知らなかった。
それでも、自分が箱を開ける役目を任された以上、最後までやるしかない。それに、祖母が何に興味を持ち、どんな秘密を抱えていたのか――ジェニー自身も気になっていた。
キャサリンおばあちゃんは、ジェニーにとってあまりにも謎めいた存在で、「祖母」という実感すら薄かったのだから。
「一つずつ試すしかないか……!」
ジェニーは慎重に箱を持ち上げ、床に置き、自分もその前にあぐらをかいて座った。そして、ゆっくりと番号を試し始める。
四桁ロック――0000から9999まで、総当たりだ。
そのとき、母親が近づいてきた。
「ジェニー?……暗証番号を試してるの?」
床に座り、ダイヤルをいじる娘を見て母は言った。
「うんうん!全然開かなくてさ……だから地道に試してるの」
ジェニーは適当に返事をし、母親が早く立ち去ってくれることを願った。だが、ふと思いついて声を上げた。
「待って!ママ!」
母親は足を止め、振り返る。
「おばあちゃんの誕生日って、何日?」
「10月13日よ」
「……違う」
「じゃあ、パパは?」
「5月12日!あんたの父親でしょ、ちゃんと覚えなさい!」
「それも違う!じゃあママは?」
「ジェニー!私はあんたの母親よ――えっと……7月23日」
「違う……じゃあ私……11月19……」
「それも違う!?いったい何なのよ!」
ジェニーはいら立ち、太ももを叩いて立ち上がった。
「ママ、おじいちゃんのことは?誕生日とか知らない?」
「お父さんと結婚したとき、おじいちゃんには会ったことなかったし……おばあちゃんも何も言わなかったわ。それに、どうして誕生日なの?」
「四桁って言ったら誕生日しか思いつかないじゃん!」
ジェニーは頬を膨らませ、叱られて不服そうな顔をする。母親はただ、ため息をついて首を振った。
「もう工具で壊しちゃえば?キャサリンおばあちゃんももういないんだし……」
「おばあちゃんに金縛りされない?」
「ジェニー?」
母親は眉をひそめ、袖をまくり、叩く仕草をした。ジェニーはそれを見るなり箱を抱え、慌てて倉庫を飛び出し、自分の部屋へ向かった。
ジェニー家の倉庫は家の裏にある独立した建物だった。彼女は裏口へ向かい、芝生だけの簡素な裏庭を横切る。敷地はフェンスで囲まれており、家屋は中央の一部だけで、周囲はほとんど庭だった。
郊外ではよくある造りで、近隣の住宅も皆、同じような設計をしている。
「重い!重いってば!」
ジェニーは叫びながらドアノブを回し、体でドアを押し開けた。しかし中に足を踏み入れた瞬間、バランスを崩して転んでしまった。
「きゃあ!!」
転倒した拍子に、鉄の箱も床に落ち、少し錆びていたダイヤルロックが衝撃で外れた。
――偶然にも、それで箱は開いてしまった。
「え……?」
ジェニーは起き上がり、あぐらをかいて箱を正し、外れたロックをそっと外す。
隙間から見えた中身は、やはり紙ばかりだった。ただし書類ではなく、封筒の束のようだった。
「おばあちゃんの秘密……」
ジェニーは胸を高鳴らせながら箱を開けた。極秘文書のような、衝撃的な秘密を期待して。
「……ニーナ……宛て?」
宛名は「ニーナ」。
「ジェニー!?どうしてここに……あ、箱、開いたのね……」
母親がやって来て、床に座るジェニーを見下ろす。
「ママ、このニーナって誰?パパも知ってる?おばあちゃんの何なの?」
「ニーナ?」
母親は身をかがめ、手紙を覗き込んだ。
確かに、それはキャサリンおばあちゃんの筆跡だった。だが、「ニーナ」という名前を誰も聞いたことがなかった。
母親は立ち上がり、困惑した表情で箱を見つめた。
「ほら、小さな女の子。部屋で読みなさい。私は掃除があるの」
ジェニーは不満げに母を睨む。
「もう大人だよ……」
「私から見れば、未熟な子どもよ」
「べーっ」
ジェニーはあっかんべーをして箱を閉じ、重そうに抱えて階段を上った。
紙ばかりとはいえ、ずっしり重い。
息を切らし、一段登っては休みながら、ようやく二階へ辿り着くと、母親がまだ下から見ていた。
「小さな女の子ね……体力ないわね」
「うるさい!」
ジェニーは抱えるのをやめ、箱を押して部屋へ運ぶことにした。物音を立てながらも、どうにかドアまで押し込み、部屋の中へ入れた。
薄暗い部屋には、簡素なベッドと机、古いパソコン、電子ピアノ、木製ギターが一つ。本棚はなく、雑誌が無造作に置かれているだけだった。
「重すぎ……ただの紙でしょ!?」
ジェニーは力を振り絞って箱を机の前まで押し、椅子にどさりと座った。
「さあ……おばあちゃん、何を隠してたの?」
子どものように目を輝かせ、再び箱を開ける。
しかし中には、さっきの手紙のほか、山積みの手紙、日記一冊、そして数枚の新聞しかなかった。
「えぇ?なにこれ……!?」
落胆しつつ、封筒に押さえられていた日記を手に取る。
そのとき、目に留まったのは一枚の古い写真だった。黄ばんだ白黒写真。日付は「シャランド歴741年」――60年前。
写っているのは二人の少女。そのうち一人は、間違いなく祖母だった。当時12歳。
もう一人は知らない少女だった。服装から、貧民街の子だと分かる。祖母は上質な布を身にまとい清潔だったが、少女の服は汚れ、継ぎはぎだらけだった。
身分の違う二人が、笑顔で並んで写っている。そのことが、ジェニーの興味を引いた。
さらに、箱の中の新聞に写真があるのに気づく。年号は754年。好奇心に駆られ、新聞を取り出した。
だが、そこに写っていたのは、祖母と一緒に写っていた少女によく似た女性。そして見出しにはこうあった。
「南方・鉄杵の逆賊ポール、養女ニーナを軍官に。松摩党殲滅を誓う!!」
ジェニーは察した。あの少女こそニーナ。手紙の宛先であり、754年――47年前に軍人となったのだ。
「松摩」「鉄杵」――それらは50~60年前の内戦を示す歴史用語。詳しくは知らないが、国「シャランド」で内戦があったことは知っている。
おそらく、その戦争が二人を引き裂いた。そして祖母が書き続けた手紙は、戦争への無力さを語っていた。
「……おばあちゃん……」
ジェニーは落ち込み、祖母が笑わなかった理由を理解した。同時に、なぜ誰にも話さなかったのか、悔しさも覚えた。
それでも、ニーナが生きている可能性を捨てきれなかった。きっと祖母は、彼女を探していたのだ。
ジェニーは日記を手に取り、ページをめくり続けた。
だが、記録は761年で途切れていた。
そこには短く、こう書かれていた。
「鉄杵と松摩が戦争を始めた。ニーナのいる側だと思う、たぶんサ湖。ミル中尉に様子を探ってもらった。音楽家だった彼女が前線にいるはずがないと思っていた。でも……彼女は死んだ。」
乱れた文字。絶望の中で書かれたのだろう。
ジェニーは衝撃を受け、自分が祖母の過去を何も知らなかったことに、悲しみと後悔を覚えた。
祖母も、ニーナも、もうこの世にはいない。
それでも――ジェニーは諦めなかった。
彼女は、ニーナの子孫を探そうと決意した。祖母を理解できなかった悔いを、少しでも償うために。
君に届けないける手紙 —そびえ立つ城壁の彼方の物語 Miiloo @Miiloo
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