風読みの魔女は静かに過ごしたい

@ooriku

プロローグ 風の果て光の揺り籠

世界は、魔力に満ちている。

風は歌い、水は踊り、大地は呼吸し、火は脈動する。

人々はそれを当たり前のものとして受け入れ、生活の糧とし、あるいは争いの道具とした。


けれど、少女にとって、世界は「音」が大きすぎた。


大陸の片隅。地図にも載らない小さな村、ローゼン。

その村外れの丘の上に、一人の幼い少女が座っていた。

アリア・ローゼン。当時、五歳。

彼女の小さな手の中には、一羽の小鳥が横たわっていた。

冷たく、動かない。

巣から落ち、狐か何かに襲われたのだろう。その命の灯火は、すでに消えていた。


「……かわいそう」


アリアは、涙をこぼした。

死という概念をまだ完全には理解していない幼心にも、二度と動かないその温もりが、悲しくてたまらなかった。


(動いて。お願い、動いて)


少女は祈った。

無垢で、純粋で、それゆえに強欲な祈り。

彼女は知らなかったのだ。自分の中に、世界を書き換えるほどの「奔流」が眠っていることを。


——ドクン。


少女の心臓が跳ねた瞬間。

彼女の指先から、金色の「何か」が溢れ出した。

それは風でも、水でもない。もっと根源的で、圧倒的な輝き。


光が、死んだ小鳥を包み込んだ。

折れた翼の骨が、巻き戻されるように繋がる。

失われた血液が、体内へ戻る。

そして、止まっていた心臓に、再び命の火が灯る。


チチッ、チチチッ!


小鳥は、何事もなかったかのように跳ね起き、アリアの手の上でさえずった。

それは奇跡だった。

蘇生。あるいは、時間の逆行。

神の領域にある御業。


けれど、幼いアリアが感じたのは、歓喜ではなかった。


「……ひっ」


アリアは、震える手で小鳥を放した。

小鳥は元気に空へ飛び立っていったが、アリアの視線は、自分の「手」に釘付けになっていた。


周囲の草花が。

アリアが座っていた場所を中心として、半径数メートルの草花が、異常な速度で成長し、花を咲かせ、実をつけ、そして枯れ落ち、また芽吹いていた。

命のサイクルが、暴走していた。


「なに、これ……」

「こわい……」


自分の手が、怖い。

自分が願っただけで、世界がおかしくなる。

平穏な景色が、自分のせいで歪んでしまう。


その時、背後の森の暗がりから、二つの金色の瞳が、じっと彼女を見つめていたことに、アリアは気づかなかった。

それは、長い時を生き、世界に絶望していた一匹の「黒猫」だった。


(……見つけた)

(永き時を経て、ようやく現れたか。「原初の光」を宿す器が)

(だが……なんと脆く、臆病な魂か)


黒猫は、目を細めた。

このままでは、この少女は自身の力に押しつぶされるか、あるいはその力を欲する者たちに食い物にされるだろう。


(……仕方あるまい)


黒猫は、音もなく少女に歩み寄った。

それは、大魔法使いクロノスと、のちに「最強の落ちこぼれ」と呼ばれる少女との、運命の出会いだった。


「……お嬢ちゃん。力が、怖いか?」


人語を話す猫に、少女は泣きそうな顔で頷いた。


「……うん。こわい」

「ならば、隠すがいい。誰にも見つからぬよう、息を潜め、石ころのように生きよ」

「……隠せば、平穏に生きられる?」

「ああ。わしが保証しよう。その代わり、わしの言うことを聞け」


少女は、涙を拭って、黒猫を抱き上げた。

温かい。

その温もりに、少女は初めて安堵を覚えた。


——それが、全ての始まり。

風読みの魔女が、その身に余る「光」を隠し、ただ静かに、平穏に暮らしたいと願うようになった、原点の記憶。

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2025年12月28日 06:00
2025年12月29日 06:00
2025年12月30日 06:00

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