保健室のエース
落伍
第1話 エース候補は保健室
いつもと変わらない天井、内装、人。僕は保健室が大好きだ。余計な友人関係もなければ陰湿な教師もいない。勉強を進める上でこれほど僕に適した空間は無いだろう。僕は保健室登校になったのではない。選んだのだ。
僕、雨宮恒一がそう考えていると保健室の扉が勢い良く開き人が入ってくる。僕の所属している野球部のコーチ沼木監督だ。正直この先生は苦手だ。無愛想だし、何考えているのかも分からない。
「ほぉ…無愛想で悪かったな。」
口に出していたようだ。
「お久しぶりです、監督。今日は何の用で?」
「はぁ…なんでそのメンタルが試合で出ないのか。
用件だが明日練習試合をする。」
試合というワードに心臓がドキリとする。
「練習試合に出てほしい。ということで今日ブルペンで投げれるか?」
更に投げるという言葉に心臓がもう1段、強く跳ねる。
僕は中学時代は負け無しのエースだった。実力は全国区。未来のドラフト候補。そんな期待が僕を押しつぶしていった。
中学最後の大会。決勝9回裏。点差は1点差。うちのチームが守りきれば勝てる展開。走者は二塁に一人。雨宮が投げるなら勝てる。そんな雰囲気が僕のチームに流れている時だった。
相手は敵チームの四番打者。油断はしていなかった。ただ、指のかかりがおかしかったような気がした。酷く甘く入ったスライダーは見事に相手のバットへと吸い込まれ場外へ運ばれた。
逆転するスコアボード。絶望するチームメイトの顔。3年はこの試合が最後の試合だった。僕は先輩達の野球を終わらせてしまった。そこからだった。僕がマウンドに立てなくなったのは。
それでもこの質問がきたら答える事は決まっていた。
「…1回、1回だけなら…できると思います。」
自分でも驚くほど声は震えていた。
沈黙。
監督の息を吐く音。
「分かった。それでいい。来い。」
グラウンドに出ると、風の匂いが違った。
ブルペンに向かう途中に見たマウンドは広くて、投球練習してる同級生の投手が羨ましく思えた。
ブルペンで待機していたのはうちの学校の正捕手らしい。シニア時代何度か見たことある顔だった。
「お、お前雨宮だよな。あの北の怪物!帝北行ったんじゃなかったのかよ。あ、自己紹介がまだだったな。俺の名前は榮枝葉大。よろしくな!」
「え…と、よろしくお願いします…」
元気な人だと思った。
ブルペンに立つのでさえ一年振りだった。
歓声は無い。それでも足は重い。指先が冷たい。
捕手が構える。
ミットが、確かにそこにある。
――大丈夫だ。
――投げ方は、知っている。
深く息を吸い、ボールを握る。
縫い目に指がかかる感触だけを、信じる。
脚を、振り上げた。
―――――――――――――――――――
監督が明日の練習試合で使うと言って連れてきたのは俺等世代の悪夢 雨宮恒一だった。
監督は優しい奴だと、イップスで投げられないから付き合ってやってくれと言われたが正直に言うと怖かった。支配的なピッチングをする奴だったからどんなキツイ性格をしているんだろうと。
しかし、実際の雨宮は小さかった。190近くはある長身に見合わずオドオドした雰囲気とはっきりしない声。ちょっと安心した。
「雨宮、監督からイップスって聞いたんだが大丈夫なのか?」
「え、えとブルペンなら大丈夫だと…思います…。
ただマウンドに立つとどうしても…」
なるほど、マウンドが駄目なのか。
「OK。とりあえず1球投げてみよう。」
ブルペンに立った雨宮はデカかった。試合で感じた雨宮恒一その者だった。1球目。雨宮が大きく足を上げる。
(投球フォームが変わってる!?)
雨宮が足を下げたその瞬間だった。
“ドンッ”
銃声のような音が鳴り響き俺のミットに見慣れた硬球が収まる。俺は震えた。捕手として雨宮の球を受けれるとは。しかも進化している!夢だった甲子園が少し近づいた気がした。
――――――――――――――――――
(よ、よかった〜。ちゃんとコントロールできた。)
帰り道。未だに投げた時の感覚が手に残る。
みんなの中学野球を終わらせてしまった僕にこんな事を言う資格はないのかもしれないが純粋に楽しかった。この時の僕は練習試合なんてことは忘れていた。
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