愚かな怠惰は幻想を抱く
枷秤ナツト
第1話 【白百合の天使】
木々と草木の生い茂る斜面を滑り落ち、 抜けたその先で二、三回転して止まる。
ブレーキが効き辛いとは、聞いていた。
まるで熱したフライパンに、乗せた冷たいバターの如く滑る”ブレーキシュー”。 不意に現れた水溜りを、「まあ、いっか」とそのまま横断した結果が、これだ。
『しかしまあ、派手に落ちたな……』
滑り落ちてきた斜面を見上げるが、上を見通すことは出来ない。 歩いて登り返すのも流石に無理だろう……、と確認もせず諦めた。
『回り道してけば、何とかなるんじゃねーかな……』
根拠の無い励ましを自分に放ち、回れ右して先に進む。
騒いだ所できっと届かない。 走った所で早く着くとは限らない。 悩んで留まった所で、問題が無くなることは、……もっと無い。
ひたすら歩いて進むだけ。 曲がり角は曲がり、坂なら登るか下る。 行き止まりなら戻れば良い。
今までもそうして来たし、これからもきっとそうする。 現実ってのは、止まること無く進み続け、いつも違う【今】を俺に強制してくる。
だが、抗おうとするのは危険だ。 リズムを合わせ、足並みを揃え、一緒になって進むのが、一番安全で波風が立たない事だと、俺は悟っている。 『…………ほらな。……見ろっ!森を抜けた……!』
木々の隙間から夕焼けの陽が差し込み、眩しく光る。 拓けた先に横たわる舗装された国道が現れるのを期待し、少し早歩きで木々の隙間を縫い歩く。
眩しさで、目を手傘で半分隠しながら抜けた先は…… 白い花が広がる花畑……だった。
『ありゃ…………大外れ……』
咲き誇る白い花。 あの花、なんて名前だったっけ……?
喉まで出掛かったが、残念ながらそのフレーズを口から出すには至らず、替わりに口から諦めを放り投げた。 『まあ、いっか……。理解んなくても困らんし。』
顎を触りながらしゃくり挙げ、視線を少しだけ先に飛ばした。 あれ? ……何だ?
花の合間。 中腰で、ベルトから上、尻が半分以上はみ出した男、の後ろ姿。 脇には、男に弱々しく手を向けて横たわる少年。 尻男の目線の先には……慄く長い髪の少女。
見なければ良かった。……直感的にフレーズが頭に浮かぶ。 が、俺は目を逸らせなかった。
足が勝手に動く。……足、だけではない。 俺の頭以外は、全て先駆けした足に有効票を投じたらしい。
腕は躍動して振られ、身体は重心を低く保ち、脚足は俺が一番乗りだと言わんばかりの動きで駆ける。 ……辞めときゃ良いのにさ……。
右手が、尻男の背後で地面に突き刺さっていた棒を抜き取る。 身体が捻転し、左足が踏ん張り、押し出す右足が右手を弾く。
勢いそのままに、尻男の背中に棒が突き立った。
意外だった。 突き倒すつもりが、突き刺さった。
尻男が刺さった棒を抜こうと腕を背に回す。 本懐が叶わぬ……と悟ったのか、振り返ろうとする男。
それを見て、棒を手放していた俺は、尻男の背中を蹴飛ばし、男に聞こえるよう立て続けにぼやく。
『こっち見んなよ……変態』
咄唆だった……。考える前に身体が反応した……。 やばい……人を刺した。
初めての感覚……。 今まで経験したことのない、気色悪いほどの嫌悪感。 と拭い去れぬであろう感触……。
気持ち悪い。でも、ああするしかなかった。 …………と繰り返し俺は俺に言い聞かせた。
倒れた尻男が両手を伸ばし、少女に向かって信徒の様に跪く。
降り注ぐ夕焼と咲き乱れる白い花。 唖然とした表情だが愛らしい顔。 手を胸の前で拝み合わせる仕草。 煌めきを纏う白百合色の髪。
全てが相まって天使を思わせる。 ……斜陽に照らされて、白百合の天使が舞い降りた。
『ああ、思い出した。……若い頃に、いつもアイツが玄関に飾ってたっけな。……そう、白百合だ』
少女は何事か、俺には聞き取れぬ言葉を呟きながら涙を流し、俺を見る。 俺はその無垢な顔をまじまじと見て、一言だけ彼女に伝えた。
『天使様……ごめんだけど。……君が何喋ってるのか…… おじさん、全然わかんないや。』
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