猫になる③

 

 接客よりかは人とあまり関わらない静かに働ける仕事。お局がいなさそうで、未経験オーケー。そんな夢のような条件に当てはまったのがこの塾の事務だった。
 

 初出勤日、塾の先生はほとんどが大学生のアルバイトで想像よりも静かだった。




「どうだったー? しょ、に、ち、は」
 

 家に帰るとジョウが何か作っている。鼻歌を添えて。


「もうさぁ、インキャぶちかまし。でもアルバイトの大学生さんたち見てたらさぁ、戻りたくなっちゃった」


「いいなぁ、大学生。イケメンいた?」


「イケメンかぁ。先生たちの顔なんて見る暇なかったわ」


「ま、初日だしね〜。てことで、はい。今日は初日お疲れ様!のたこ無しのたこ焼きでーす」


「主役無いんかーーい。」


「まぁまぁ。いつか二人で大富豪になってさ、たこゴロゴロ焼にしようね!」


「いつになるんでしょうね〜そのたこのゴロゴロ焼」
 

 キャベツと小麦粉と卵がただ焼かれた謎の丸料理に、おたふくソースとマヨネーズをかけて頬張る。
 


 大富豪にならなくても、このままこういう幸せというものやらを噛み締めていたい。





【バイト三ヶ月目】




「塩谷さん、これお願いします」
 


 採用された日、あのお偉いさんからは優しくてユニークな塾長だと聞いていた。

 ”優しい”という安心できる情報に”ユニーク”が加わったことで身構えていたが、実際のところは、どこにでもいるようなおっさん。悪い人では無いという、初めて会った時の勘が私の中で着実に事実になっていくのを感じていた。



「かしこまりました」



 三ヶ月目。ようやく仕事に慣れてきて、先生と生徒たちの顔と名前が一致してきた。

 相変わらず先生同士は必要最低限の業務連絡しかしていないが、ごく稀にプライベートの会話が横切る。




「先輩、もう就活終わりました?」


「いや、まだ。明日も面接あるし。きちぃ」
  この先生たちは先輩後輩なのか。


 いろんな先生たちの会話を盗み聞きしていくうちに頭の中に相関図ができた。


 ただ一人だけ、他の先生とは一線を引いている三回生の田畠優というやつがいる。何をされたわけでも無いが、どこか冷たい雰囲気を放つ彼に私は少し苦手意識を持つ。




「田畠先生、あとで生徒さんにお渡しおねがいします」


「あ、はい」


 田畠は絶対に私の目を見ない。




***




「無愛想なんだよねぇ」


 三回目の給料日、ジョウと来たバンザイでいつものように他愛のない話をしたついでに田畠のことを話した。


「でもイケメンなんでしょ?」


「うん」

「なら良いじゃーん」


「それが良く無いんだよ。ストレスなんだよー。てかイケメンだから許されるとか、やっぱルッキズム嫌なんだけど」


「まぁ気にしないことが一番一番。じゃ、最後のねぎまたっべまーす!」
 

 ジョウはもう完全に出来上がっている。
「はい、どうぞぉ!」
 

 私も人のことは言えない。

 

 最後のねぎまを食べ終わってレジに向かう途中、嫌な予感が私を襲った。

 

 噂をするとその人物がやってくるというのは、今までの経験上、結構信じてる。




「お会計6040円です」


「クレジットで」



 ピー



「レシートご利用でしょうか」


「いや、大丈夫です」



 早く、早く。



「かしこまりました。お客様おかえりでーす。ありがとうございまぁす」


 よりによって今日は元気なスタッフばかりだ。気づかれただろうか。




***




「すみません。これ生徒からなんですけど」
 今日も相変わらず田畠は無愛想だ。


「ありがとうございます」


 プリントを受け取る際に田畠の靴が視界に入る。
これ確か…


「どうかしました?」


「あ、え、いや。スニーカー、それ1906の……」


「え?」


 そういえば田畠と目を合わせて話すのは初めてだ、そう頭の中の自分が囁く。


「いや。何でも無いです。じゃあ授業よろしくお願いします」
 


 教室を後にして、階段をものすごい勢いで降りる。


 塾は二階建てで、いつも一階には塾長か私のどちらかが滞在しているが、今日は私だけ。おまけにラストの二十二時までのシフト。こう言う時に限って、つまらない親父ギャグを言う塾長がいない。





「じゃあねー先生」




 授業が終わった生徒を見送るのも事務の仕事だ。先生と呼ばれる資格は私に一切無いのに、生徒たちは私のことを先生と呼ぶ。




「お疲れ様です」
 


 生徒に続いて、続々と先生たちも帰っていく。今日は私が戸締り当番だ。
最後に降りてきた田畠を見送って、鍵を閉めるだけ。待っている間、適当にスマホを眺める。




「え」
 

 生徒のファイルを戻し終わった田畠が校舎の鍵を取ろうとしているのを見て思わず声が出た。


「私、今日私戸締り頼まれてるんですけど」


「自分もLINEで戸締りよろしくって…」


 彼も戸惑っている。おい。塾長。

 


 結局一緒に校舎を出て、田畠が鍵を閉めるのを眺める謎の時間が流れた。田畠が鍵を閉めている間、ポケットに手を突っ込みながら夜ご飯を考える。




「ありがとうございます。それじゃ、お疲れ様でした」
 

 っしゃ、今日は鍋にするかぁ。


「あの」


 ん?


「僕も今日そっち方向なんで、途中まで一緒に帰ってもいいですか」
 

 ここで嫌です、と言う度胸などない。


「あぁ。はい」

 


 田畠は私の右側を歩いて、私はその左で寒いですね、と天気や授業の話をしながら駅を目指した。駅まであと少し。





「そういえばこの前の金曜日、バンザイいました?」




ドッッン




 血液の流れが変わって思わず立ち止まる。
「そんなわけあるかい!」と目を線にして笑っていたあの日の彼の姿が蘇る。

 
 私が立ち止まったと同時に彼はどうしたのかとこちらを見ている。



 コンビニの光が彼を照らす。田畠の目は意外とたれ目で、黒目が大きい。まっすぐな瞳とは、このことを言うのかもしれない。




「あ、……はい。いました。友達と」


 少し間が空いて、ようやく声が出た。


「やっぱり塩谷さんだったんだ。その日、自分も知り合いと飲んでて」

 知ってる

「今度一緒行きましょうよ」


 これは夢だ。

「はい」
 

 いつのまにかそう返事していた。

 そのあと、いつのまにかLINEを交換して、いつのまにかジョウが寝ている家に帰っていた。
 

 罠だ。私は今、三男マジックというものに数年越しにかかっている。そうだ。私は馬鹿にされてるだろう。いや、そうに違いない。
  隣でいびきをかいて眠っているジョウが羨ましい。





【バンザイ】




「で、どうすんの」



 次の日、ジョウに昨日のことを伝えると、すぐ討論会が開かれた。


「うーーーん。行きたくないような、行きたいような。でも行かなかったら行かなかったで、気まずくなるんかなぁって」


「あのねぇ、気まずくなるなんて考えないの。行きたいの? 行きたくないの?」
「行きたくないわけではない。」


「ほな、行きたいかぁ」


「ミルクボーイか」


「で、ラインは? なんか進展あった?」


「いや、なんもなってない。そう、そこなんだよなぁ。本当に行きたいと思ってたらさ、すぐLINEとかしてくると思うんだけどぉ。そこも含めて三男マジックなんかなって」


「いやいやいや。考えすぎ。昨日の今日、というか二十二時でしょ。ほぼ今日じゃん。今日の今日じゃん」


 以前、ジョウと朝四時まで喋っていたことがある。その時はまだ日は回ってないと言っていたが、彼女の時間軸はどうなっているのだろう。




***




優:  昨日は突然すみませんでした!
    今度の木曜か金曜どうですか?


塩谷: お疲れ様です。

    金曜の方が助かります。


優:  金曜日17時〜でも良いですか


塩谷: 大丈夫です。


優:  じゃあ金曜17時~で!




***

 


 ジョウには猛反対されたオーバーサイズのパーカーとダボっとしたズボンで家を出る。

 あー。帰りてぇ。でもここでドタキャンすると、後々めんどくなる。

 少し深い呼吸をして最後の角を曲がると田畠が店前で待っていた。

 いつものシャキッとしたシャツではなく、ニットを着ているからか、雰囲気が違う。




「お待たせしましたー。ハイボールとレモンサワーですねー」
 

 仕事ができるお姉さんが持ってきたお酒たちはグラスを合わせずに乾杯された。



「今日は大学あったんですか」


 久しぶりのハイボールが喉を通る。


「今日は午後の一コマだけですね。塩谷さんは、」 


 私がフリーターということは、塾長以外知らないはず。ギリギリ大学生に見えるかもしれないし、そうじゃないかもしれない。彼はおそらく、私が何者か、まず大学生か否か、そこから探ろうとしている。いずれフリーターということも、君よりも三、四つ上なのだよということもバレる。
 

 あぁ、周りくどい。



「私、フリーターで。今社会人二年目の人と同い年です。だから田畠さんとは、多分三つくらい違うんですかね」




 アンケートなどにある職業欄というのは私の敵だ。必ずそこで手が止まる。会話もそうだ。今何歳で、何の仕事やってるの?と言われるほど怖い質問はない。




「あぁ、どおりで落ち着いてるかと思ったら」
 

 それは老けている、負のオーラをまとっているという意味なのかな。若僧よ。


「いやいや、全然落ち着いてなんか無いです。毎日あたふたしてますし」


 話題を変えなきゃ。


「そういえば、前一緒にいたのって大学の友達ですか」


「ん?」
 

 レモンサワーを飲んでいる田畠の眉毛が上がる。


「え?」


「自分いたの知ってたんですか」


「あ……実は。レジに行く途中、見えたもんで」


「言ってくださいよ〜」


「何となく、声かけない方がいいかなって」
逃げるように、またハイボールを飲む。


「いやいや、んなわけないじゃないですか。でも確かにあの塾で働いてる人同士プライベートで話すってなんかむずいっすよね」


「ね」
 

 まだドリンクの冷たさに慣れなくて、そんな相槌しかできなかった。




「お待たせしましたー。ねぎまとスパイスですねー」




「前一緒にいた人は、大学の先輩で、めっちゃおもろいんですよね。塩谷さんと一緒だった人は?」
 

 そう言いながらどうぞ、とお皿をこちらに寄せてくる。


「友達です。大学の時に知り合って、そっから仲良くさせてもらってますね」


「いいなぁ。社会人になっても遊べる関係」
 というか、一緒に住んでるし。


「最初見た時、びっくりしましたよ。塩谷さん、あんなにはしゃぐ人だと思ってなかったんで」


「いやいや、それをいうなら田畠さんの方でしょ」


「僕そんなはしゃいでました?」


「もうそりゃあ。関西弁かましてましたよ」
「まじか〜。見られてたか〜」



 バイトの時はワックスでまとめられている髪が、今日は違う。照れながら笑う彼についていくように、その髪が靡いている。





……カラン



氷が溶ける音がした。



「あ、そうそう。塩谷さんスニーカー好きなんですか?」


「まぁ」


「前、ぼくのニューバラ当ててくれたじゃないですか」


「当てるっていう概念はなかったですけど。前、ネットで買おうとしたらまさかの希望サイズ売り切れで。実際に履いてる人初めて見たんで、思わず」


「塩谷さんは足のサイズいくつなんですか」
「23.5」


「シルバニアファミリーやないかい」


 私も田畠もおなかを抱えて笑う。

 前この店で見た田畠が目の前にいる。





「それじゃ、また」




 外に出ると来た時よりも冷たい風が吹いている。熱くなった顔に冷たい夜風が当たっ
て気持ちいい。


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