悪魔憑き神父をキスで救った、猫獣人の半人前聖女

黒鍵

悪魔憑き神父をキスで救った、猫獣人の半人前聖女

 ひとりの男性が教会に運ばれてきた。彼は胸に深い切り傷があり、真っ青な顔をしていた。


 運悪く上級の聖魔法が使える司祭が不在。例の試練・・・・のために教会本部に出向いていた。


 ――この教会に、この男性を救う者はいない。誰もがそう思ったとき、緑色の髪の美しい少女が近寄り、男性に手をかざした。


癒しの導きリカバリー


 その瞬間、眩い光が男性を包み、瞬く間に傷を癒した。まさに神の奇跡と呼ぶべき魔法だった。


「すごいね、ルージュ。今のは上級の聖魔法だよね」

「ええ、この前、ようやく覚えたの。おかげでこの方を救うことができたわ」


 黒髪に眼鏡をかけた美青年――神父見習いのマルスは、穏やかな笑みを浮かべる聖女候補のルージュに、優しく微笑んだ――


 そのとき、教会の扉が勢いよく開き、バーンッと壁を打ちつけた。


「こ、これを使うにゃ! この薬草なら、どんな傷も治すことができるにゃ!」


 肩で息をする修道服に身を包んだ猫獣人――ルミナス。彼女は手に持っていた最上級の薬草を突き出した。


「……ルミナス、お疲れ様。せっかく薬草を取ってきてもらったんだけど、もう男性はルージュの魔法で助かったんだ」


 マルスは激しく息をするルミナスの肩にそっと手を置くと、優しく労う。ルージュも隣に立ち、声をかけた。


「すごいわね、ルミナス。この薬草、滅多に見つからないのに。さっき教会を飛び出したばかりで、すぐに採ってくるなんて」


 彼女は本当に感心し、尊敬していた。だが、ルミナスにはそれがどこか優越感からくる余裕のように感じられた。


「……結局、役には立たなかったにゃ。意味ないにゃ」


 項垂れるルミナス。魔力が少ない猫獣人。彼女は自分の魔法では救えないと分かると、急いで森へ走り、その驚異的な嗅覚で最上級の薬草を見つけた。


 その薬草でも男性を救うことはできた。マルスは薬草を握りしめる彼女を見つめる。彼女もまた聖女を目指すひとりだった。



 ――これは悪魔憑きの神父を救った、猫獣人の半人前聖女の物語。





 今朝、傷を負った男性の治療に間に合わなかった私は、修道院の屋根に登り、ひとり反省していた。


 ――また、ルージュに負けてしまった。


 男性の命が救われたことは嬉しい。だけど、聖女として、また一歩、彼女と差をつけられたことは悔しかった。


 私が聖女を目指す理由は単純だった。幼馴染のマルスと一緒にいたい。それだけだ。


 私の家族は全員が戦士で冒険家だ。獣人の驚異的な身体能力と鋭い五感。それに猫特有の予知のような野生の勘――。


 すべてが、一流の戦士となるべく備わった得難い能力だ。


 だけど、私には不要だった。それよりも膨大な魔力と聖属性の適性が欲しかった。なぜなら、それこそが私が目指す聖女に必要な能力だから。


 どんなに才能がないと言われようが、聖女になること――マルスの傍にいることは諦められなかった。


 私は親の反対を押し切り、聖女候補にしてほしいと教会に駆け込んだ。


 空を見つめながら、幼いころに誓った決意を思い返していると声が届く。


「何を見てるんだい、ルミナス。遠くを見つめて?」


 艶やかな黒髪をなびかせ、マルスが隣に座る。


「なんでもないにゃ、少し考えごとしてただけにゃ。それよりここは危ないにゃ。マルスは普通の人間にゃ」

「大丈夫だよ、昔、いつも君と一緒に遊んだ場所だ。慣れているよ」


 温かな太陽の光が私たちを照らす。子どものころを懐かしむマルスの横顔をじっと見る。


 ――そして、改めて誓う。必ず聖女になって、ずっとマルスと一緒にいると。



――――――――――――



 あれは十年前。私が六歳のころの話だ。幼かった私は、家族が冒険に出るたびに教会に預けられていた。


 日頃から高額のお布施をする家族に教会は感謝し、また孤児院を営んでいることもあり、いつも快く引き受けてくれた。


 そんなある日、ひとりの少年が教会に預けられた。孤児ではなく、身なりはきれいで、平民には買えない眼鏡をかけていた。


 艶やかな黒髪を肩まで伸ばし、白くきめ細やかな肌をしていた。すっと伸びた鼻梁に、煌めく青い瞳――私よりも遥かにきれいだった。


 その少年は、呆然と見つめる私に優しく微笑んだ。


「初めまして、僕はマルス。今日からここで神父見習いとして住むことになったんだ。君の名前を教えてくれるかな?」


 真っすぐ見つめられ、顔が赤く染まる。白いくせのある髪を手で抑え、伸ばしながら答えた。


「私はルミナスにゃ。この町に住んでいるにゃ。今は家族が冒険に出ていて、この孤児院でお世話になっているにゃ」


 マルスは笑みを崩さず、何度か私の名前を呟き、頷く。


「うん、ルミナスか、いい名前だね。もう覚えた。もしよかったら、僕と友達になってくれないかな?」

「も、もちろん、いいにゃ! 私も友達が欲しかったにゃ。これからよろしくにゃ、マルス!」


 乱暴者で有名な猫獣人の私に、こんなふうに優しく名前を呼んでくれた子はいなかった。


 ――心臓がとくりと跳ねた。


 ひと目惚れ。そして、初恋――運命だと思った。猫の野生の勘がそう告げた。それから私は毎日、マルスに会うために教会に通った。





 遠くを見つめるルミナス。せっかく薬草を採ってきたのに役に立てなかったことが、悔しいようだ。


 ――彼女は子どものころから、ずっと優しく強かった。


 とある事情・・・・・で、この教会で神父見習いとして預けられることになった僕を、彼女はいつも明るく励ましてくれた。


 僕の実家は侯爵家で、騎士の家系だ。いずれ僕も騎士となって父や兄と同じく、王家に仕えると思っていた。


 だけど、それは叶わなかった。僕のある体質・・・・のせいで――。


 騎士になる夢を失い、打ちひしがれていた僕は絶望した。もちろん、分かっていた。誰も悪くない。


 それでも小さかった僕は気持ちを整理することができず、沈んだ気持ちを抱えたまま教会に向かった。


 途中、何気なく馬車の外を眺めていると、男の子たちに混じって木剣で遊ぶ白髪の猫獣人――ルミナスを見つけた。


 多くの男の子たちに囲まれて戦う彼女。それでも諦めずに剣を振るい、男の子たちを次々と蹴散らした。そして、涙を浮かべる彼らに、彼女は言い放った。


「絶対に諦めない私に、お前たちが勝てるわけないにゃ! 例え全員でかかってきても、絶対に勝ってみせるにゃ!」


 そう告げて木剣を掲げる彼女は、美しかった。今でもはっきりと覚えている。あの姿は、夢を諦めて希望を失っていた僕を一喝した。


 ルミナスがいるから、僕は今も頑張れる。


 僕には、彼女にも秘密にしていることがひとつだけある。ずっと隠れて剣の鍛錬を続けている。いつかこの体質が治り、騎士になれるように――。


 膝を抱えて遠くを見つめるルミナス。その横顔を見ながら、昔の出会いを思い出し、改めて彼女に感謝する。


 だからこそ、僕の英雄――彼女がまた俯いているのが、どうしようもなく歯がゆかった。


 そのとき、屋根に並んで座る僕たちの間を一陣の風が通り抜け、少しだけ暗くなりかけた気持ちを攫っていった。





 屋根の上で遠くを見つめていた私は、ふと視線を感じた瞬間、じっと見つめるマルスに気づいた。


「ど、どうしたのかにゃ? 顔に何か付いているかにゃ。森に入ったときの葉っぱが残ってたかにゃ?」


 慌てて顔を触って確かめる。その姿を見て、マルスはくすりと笑った。その笑顔を見た途端、四つの耳が真っ赤に染まる。


「ふふ、何も付いてないよ、ルミナス。それより、そろそろ聖堂に戻ろう。いよいよ聖女を決める試練について説明がある」


 心臓が跳ねる。ついに聖女を決める最後の試練が言い渡される。今まで必死に頑張り、ようやく聖魔法も中級まで覚えた。


 だが今日、ルージュは上級の聖魔法で瀕死の男性を救った。やはり彼女が一番、聖女に近い存在だ。


 唇を噛みしめる。もう少し時間がほしい。そうすれば私も上級を覚えることができるかもしれない。


 思わず俯く私に、マルスは何も言わず、見つめるだけだった。



――――――――――――



 聖堂には多くの聖女候補が並んでいた。全員が私より高い魔力と聖属性の適性を持っている。


 私が聖堂に入ると、一斉に視線が集まる。この中で唯一の獣人である私は珍しいらしい。瞳孔を細め、真っすぐ射抜くと、彼女たちは視線を逸らす。


 そんな中、ルージュだけは笑顔で話しかけてきた。


「いよいよね、ルミナス。お互い、全力を尽くしましょう」


 その言葉には、絶対に負けないという気持ちが滲み出ていた。


 もちろん、他の候補たちも同じ気持ちだろうが、彼女からは必ず聖女になるという確信めいたものが感じられた。


「……そうだにゃ、ここまできたら、あとは頑張るだけにゃ」


 彼女の自信がどこから来るのか気になったが、今は考えないことにする。すでに教皇陛下の遣いの司祭が講壇に登るところだった。


「聖女を目指す皆さん、今から教会本部に来てもらいます。そこで教皇陛下が直々に最後の試練を発表します。すぐに準備をして入口に集まってください」


 それだけを述べると、教皇陛下の遣いは教会の奥へと消えていった。


 私は、なぜこの教会に聖女候補たちを集めたのかと首を傾げる。直接、教会本部に全員を呼べばいいはずだ。


 眉をひそめる私に、ルージュが声をかけた。


「ルミナス、何を考えているか分かるわ。だけど、まずは準備が先。ほかの子たちは部屋に戻ったわよ」


 周囲を見ると、聖堂には私とルージュしかいなかった。彼女に礼を述べると、私たちも急いで部屋に戻った。



――――――――――――



 教会本部に向かう道中――マルスはほかの聖女候補たちと積極的に会話を交わしていた。


 幼いころからあの教会にいた私とルージュよりも、この一カ月前に来た彼女たちとよく話す。


 艶やかな髪に煌めく碧眼――美しいマルスに話しかけられ、彼女たちは頬を染め、笑顔で言葉を重ねた。


 その光景に胸が苦しくなり、首にかけたロザリオに手を当てる。


「大丈夫、ルミナス? 少し顔色が悪いわよ。本当にマルスも冷たいわね。幼馴染の私たちより、彼女たちと話すなんて」


 頬を膨らませるルージュ。だけど、彼女には余裕があった。おそらく聖女となり、ずっと傍にいられる自信があるからだろう。


 さらに胸が締めつけられる。心配そうに見つめる彼女も、ほかの聖女候補と話すマルスも見たくなかった。


 私は視線を落とし、じっと床だけを見つめ、思わず小さく呟いた。


「私なんて、中級の聖魔法までしか覚えられない、半人前にゃ……」





 馬車に揺られ、俯くルミナスが視界に入る。いつも明るく元気な彼女とは違う。心配になり、声をかけようと腰を上げそうになる。


 だが、教皇陛下の指示を思い出して座り直すと、ほかの聖女候補たちの親睦を深めるため、会話を続けた。


 胸がかすかに痛む。その気持ちを悟られぬよう笑顔で覆い、彼女たちの話に耳を傾けた。


 やがて馬車が止まると、大司教が司祭を連れて入ってきた。


「お疲れ様でした、聖女候補の皆さん。それでは早速、教皇陛下のもとまで案内します」


 馬車から降りた僕たちは、すぐに教皇陛下が待つ大聖堂へと向かった。だが、僕だけは途中で大司教に連れられ、別の場所へ向かうことになった。


 多くの聖女候補が並び、司祭の後ろをついて行く。十人にも満たない、小さな列だ。その中で、ルミナスだけが僕に気づき、心配そうに見つめていた。





 大聖堂に入った私は思わず息を呑んだ。果てしなく高い天井に、豪奢なステンドグラスの天窓――その荘厳な雰囲気に圧倒された。


 呆然とする私に、重く静かな声が届いた。


「よく来た、聖女候補たちよ。私が教皇、コックシー・ルソー。ルソーでよい。これから最後の試練を言い渡すと、言いたいところだが、数日待ってほしい。部屋を用意するので、試練に備え、心を磨くように」


 視線を向けると、講壇に真っ白な布に金糸の刺繍が施された修道服を纏った壮年の男性が立ち、威厳ある態度のまま、人を安心させるように朗らかに笑っていた。


 その神聖な雰囲気は、誰が見ても、彼こそが歴代最高の聖下と謳われる教皇陛下だと確信させた。じっと見つめていると、陛下と目が合う。


「君がルミナスか。噂は聞いているよ。獣人でありながら努力を重ね、最後の試練に残った頑張り屋さんだとね。ほかの聖女候補と同じく、君にも期待している」


 その言葉に目を大きく見開く。まさか教皇陛下が私のことを知っているなんて。思わず敬語も忘れて答える。


「あ、ありがとうにゃ、ルソー陛下、さま? 頑張り屋なんて言ってもらえて嬉しいにゃ。ぜ、絶対に諦めず、最後まで頑張るにゃ!」


 ルソー陛下は目を細めて頷くと、聖女候補たち全員を見渡して告げた。


「神のご加護を――」


 その瞬間、大聖堂にいた全員が両手を胸の前で組み、頭を下げた。



――――――――――――



 司祭に案内されて部屋に向かう途中、マルスを見かけた。その隣には彼と同じ黒髪の美丈夫がいた。


 どこか雰囲気が似ている二人は穏やかに笑い合い、会話を楽しんでいるようだった。


 声をかけたかったが、二人の邪魔をしたら悪いと思い、開きかけた口を閉じ、司祭のあとを追った。


 部屋は一人ずつ用意され、台所やトイレも備わっていた。食事は用意されるので台所を使うことはないが、私にとってはありがたかった。


 私は荷物を置き、鞄から先日採取した最上級の薬草を取り出し、台所へ向かう。少しでも効果を高めるため、薬草を煎じることにした。


 ――次こそは、ルージュより先に負傷した人たちを助ける。


 そう強く決意し、一心不乱にすり鉢に入れた薬草を擦り始めた。


 途中、爪で指先を小さく切り、滲んだ血を薬草に落とす。ちくりと痛んで頭の獣耳が跳ねたが、傷を舐めると、何事もない顔で作業を続けた。


 やがて我が家に伝わる秘伝の治癒薬が完成し、安堵の息を吐く。窓の外を見れば、夜の帳が落ちようとしていた。


 かなりの時間が経ったようだ。背筋を伸ばし、外の空気を吸おうかと部屋の外に出たとき、叫び声が聞こえた。


 すぐにただごとではないと気づく。四つの耳を澄ますと、地下からだと分かる。ほかの部屋からも聖女候補たちが出てきて、騒然となる中、大司教が現れた。


「すいません、皆さん。急で申し訳ないのですが、至急、付いてきてください!」


 顔を真っ青にした大司教に、彼女たちは言葉を失う。これから向かうところが危険な場所だと分かるからだ。


 誰も動けず、じっとしている。そんな中、私が一歩踏み出すと同時にルージュも前に出た。どうやら彼女も覚悟はできているようだ。


 視線が重なり、笑い合うと、私たちは大司教に連れて行くよう促した。



――――――――――――



 連れて来られた部屋は、邪教徒を捕らえる巨大な牢獄だった。薄暗い中に等間隔で松明が備えられ、中の様子がぼんやりと分かった。


 猫獣人の私には見えるが、おそらくほかの聖女候補には見えていないだろう。


 大司教を先頭に中に入ると、純白の鎧を纏った騎士が倒れていた。その手には、光り輝く剣が握られている。


 ――たしかさっきマルスと話していた男性だ。


 思わず息を呑むと、その視線の先に、鎖に繋がれたマルスの姿が目に飛び込んできた。


 頭が真っ白になる。とっさに駆け出そうとする私に、声がかかる。


「……待つのだ、ルミナスさん。今のマルスは危険だ」


 視線を下げると、横たわる騎士が苦痛で顔を歪めながらも、必死に立ち上がろうとしていた。その胸の装甲は抉れ、そこから大量の血が溢れている。


 視界の端に映る、鎖に繋がれたマルスが気になる。それでも、まずは目の前の命を助けないといけない――。


 私は急いで駆け寄って彼を支え、座らせると、鎧を脱がせた。やはり、胸は深く大きく斬られていた。


 その傷は、心臓にまで届いてもおかしくはなかった。大量の血が流れ続けている。


「もう、助からないわね、あの人」

「上級の聖魔法でも無理よ」


 いつの間にか、ほかの聖女候補に囲まれていた。私は彼女たちを睨みつける。傷ついた者にかける言葉ではない。


「不安にさせてどうするつもりにゃ!」


 一喝する。ルージュも彼女たちに冷たい視線を向けると、私の隣に膝をつき、魔法を施そうとする。だが、私は手で制した。


 袖の下から、さっき作ったばかりの治癒薬を取り出し、胸の傷に振りかける。両手にありったけの魔力を込めて、聖魔法を唱えた。


治癒と回復ヒール


 刹那、薬草の粉が輝き、新たな肉体となって傷口を塞いでいく。その光景に、誰もが言葉を失う。


「ルミナス、どういうことなの? あなたが施したのは中級の聖魔法よね」


 いち早く我に返ったルージュが問いただす。いつもの余裕が影をひそめている。


「薬草に私の魔力と血を混ぜたにゃ。詳しい製法は言えにゃいけど、それに私の魔法を重ねたにゃ。うまくいってよかったにゃ……」


 そう告げ、顔色が戻った騎士に笑顔を向けると、ルージュは黙り込んでしまった。ふと気づくと背後には、目を潤ませるルソー陛下が立っていた。





 目の前で起きた神の奇跡に目頭が熱くなった。


 魔力も少なく、聖属性の適性もない猫獣人の少女――ルミナスが、最上級の聖魔法でしか治せない致命傷を完治してみせた。


 私は大司教に呼ばれ、すぐに地下牢に着き、マルスの兄・アイオスを治療しようとした。だが、真剣な表情を浮かべ、魔法を唱える彼女を見て、思い留まった。


 ――もしかしたら、彼女なら本当に救えるかもしれない。


 そう思い、じっと見つめると奇跡が起こった。中級の聖魔法で治癒してみせたのだ。人を救う――それだけを思った結果だと悟る。


 感動で震える私は、彼女のもとに歩み寄る。


「見事だ、ルミナス。よくぞ、マルスの兄――アイオスを救ってくれた。感謝を……」


 頭を下げる私に、彼女は慌てて立ち上がり、両手を振った。


「頭を上げてくにゃさい、ルソー陛下。私はただ助けたかったから、助けただけにゃ!」


 素直に出た言葉だと分かる。助けたいから助ける。そこには見返りを求める気持ちも、力を誇示する態度もなかった――汚れない心に、私は目を細めた。


「分かった、ルミナス。この件は、またあとで。それよりもアイオス。その聖剣でも、悪魔祓いはできなかったのか」


 やはり、彼女かもしれない。亡き妻のレンゲ――先代の聖女が私に残した神託ことばが脳裏をよぎった。


<いつか現れる――力なき愛の聖女が、きっと私が救えなかった闇の落ちたあの方を救ってくれるはずです>


 悪魔憑きの少年――マルスを救うために命を落としたレンゲ。その最後に見せた笑顔を思い出し、胸が苦しくなった。


 気持ちを切り替える。今はマルスと聖女の試練の方が大事だ。近衛騎士の彼に聖剣を与え、マルスに憑りつく悪魔を払おうとしたが、失敗したようだ。


 アイオスは唇を噛みしめて俯き、顔を歪めた。


「はい、ルソー陛下。駄目でした。言い訳かもしれませんが、聖剣の力が及ばなかったわけではないのです。ただ、思いのほかマルスが強く、その動きは騎士のように洗練されていて、私では剣を奪い、鎖に繋ぎとめることしかできませんでした」


 その言葉に驚く。剣に詳しくはないが、アイオスはこの国で五指に入る騎士だ。教会で暮らしていたマルスに遅れをとるとは思えなかった。


 考えても仕方ない。私は覚悟を決めた。本当なら、彼女たちには背負わせたくなかった。


 だが、妻が残した神託の通り、悪魔憑きを払えるのは本物の聖女だけのようだ。残酷な試練を与えることに躊躇する。


 目を閉じて心を落ち着かせ、ゆっくりと聖女候補たちを見渡して、静かに告げた。


「……予定が変わった。これはすぐに対処せねばならん。今から、最後の試練を始める。あの牢屋の奥にいる青年――マルスに憑りついている悪魔を払ってみせよ。見事に浄化できた者を聖女と認めよう」


 残酷な言葉だった。薄暗い牢屋の奥にいるマルスは、悪魔封じの眼鏡が外れ、凶悪に笑っている。


 鎖に繋がれているとはいえ、体から溢れる瘴気は魔界の匂いを含み、鼻をかすめただけで発狂するだろう。


 誰もマルスに近づこうとはしなかった。少しでも親交を深めさせ、彼の優しさや純粋な心を理解してもらおうと思っていた。


 だが、教会でともに過ごした一ヶ月では無理だったようだ。己の浅慮を恥じ、後悔する。


 そのとき、緑髪の少女――ルージュと、その隣に座るルミナスが立ち上がった。二人は無言のまま、マルスに近づいていった。





 眼鏡を外し、髪を乱して凶暴な笑みを浮かべるマルス。あの優しい碧眼は、もうどこにもなかった。


 私とルージュは、彼から溢れる黒い瘴気に飲み込まれまいと歯を食いしばり、近づく。


 悪魔を払うには聖魔法しかない。中級で払えるのか――不安がかすめる。そんな私の気持ちが分かったのか、ルージュが静かに告げた。


「ルミナス、まずは私からいい? あなたはさっき魔法を使ったでしょ。少しでも回復させて。

 もしものときは、お願い……」


 彼女はマルスから視線を外すことなく、懐からマジックポーションを取り出して手渡した。その手は震えていた。


 その瞬間、気づいた。彼女は私をちゃんと見ていた。そして、聖女候補――ライバルと認めていたのだ。


 胸が熱くなった。恐らくルージュの魔法でもマルスを救えるかどうか分からない。そのときは私に託す。そう言ったのだ。


 私は黙って頷き、立ち止まる。すっと前に出る彼女の横顔を見ると、少しだけ口元が綻んでいた。


 今にも鎖を引き千切らんとするマルスに、ルージュは手をかざした。


浄化の聖光エクソシズム!」


 一瞬で牢屋に漂っていた黒い瘴気が浄化され、眩い光がマルスを包む。誰もが言葉を失う。彼女は最上級の聖魔法を発動してみせたのだ。


 枢機卿すら使えない魔法。清らかな聖光がマルスを浄化していく――と思われた。


 次の瞬間、光は弾け飛んだ。


 ――まさか、浄化しようとするから、拒まれる……? 求められているのは、別の救いなのかもしれない。


 最上級の浄化を拒むマルスを見つめながら思考を巡らす。やがてよりどす黒い瘴気が牢屋に広がる。


 その光景を見て、ルージュは儚げに笑みを浮かべると、すべての魔力を使い切り、気を失い、崩れ落ちた。


 それでも、彼女は行けるところまで行こうとした。その姿を、心から尊敬した。


 私は急いで彼女に駆け寄り支える。そのまま黒い瘴気が及ばない教皇陛下たちのもとまで運んだ。


「ルソー陛下、彼女をお願いするにゃ。それとアイオス様、あの聖剣を貸してほしいにゃ」


 ルソー陛下とアイオス様は目を見開く。だが、すぐに表情を戻して頷いた。


「ありがとうにゃ、陛下、アイオス様。私がマルスを救ってみせるにゃ!」


 二人に笑顔を向けると、地面に転がる聖剣を拾い上げて、一気に駆け出した。





 朦朧とする意識の中で、剣を構え、マルスに向かって走るルミナスが目に映った。


(ばか、あんたは聖女見習いでしょ。剣なんか持ってどうするの……)


 黒い瘴気を切り裂き、猛然と進む彼女の姿は聖女――いや、戦士にしか見えなかった。だけど、必死に愛する者を救おうとする姿は尊かった。


 聖剣は瘴気を払い、浄化していく。ついに彼女はマルスの目の前まで辿り着いた。誰もがマルスに剣を突き刺すルミナスを想像した。


 けれど、誰も止められなかった。あの背中に宿る決意に、ルソー陛下すら息を呑むしかなかった。


 その瞬間、彼女はマルスを縛る鎖を断ち切った。


 バキンッと金属が断たれる音が牢屋に響き渡る。鎖から解放されたマルスは、凶悪な笑みを浮かべ、ルミナスを見る。


 誰もが言葉を失い、見つめる中、彼女は聖剣を放り投げた。カラン――乾いた音が響くと、マルスが黒く伸びた爪を振りかざした。


 その瞬間、彼女はマルスの胸に飛び込み、ぎゅっと抱きしめた。


「マルス、大好きにゃ! 悪魔憑きでもいい。聖女になんてどうでもいい。私の夢は、ずっとマルスと一緒にいること――それだけ!」


 心からの言葉だった。


 しかし、必死に抱きつく彼女の背中に、マルスは容赦なく爪を突き立てた。それでも彼女はその手を離そうとはしない。


 凄惨な光景に、聖女候補たちは目を瞑り、顔を背ける。アイオス様が彼女を救うため駆け出そうとしたとき、彼女は叫んだ。


「いい加減にするにゃ、マルス。それに悪魔。私はお前を払うつもりなんてない! 今のままのマルスでいい。ワイルドでカッコいいにゃ!」


 ルミナスはマルスを睨みつけ、首に手を回すと、思い切り唇を押し付けたのだった。





 背中に爪を立てるマルスに怒りが湧いてくる。勇気を持って告白したのに、返事もくれない。


 それどころかチクチクと背中を突き刺してくる。悪魔の仕業と分かっていても、許せない。私は意を決して両手を離した。


 その瞬間、振り上げる爪をかいくぐり、マルスの首に手を回して、強引にキスをした。もちろん魔力と愛情をたっぷりと唇に込めて――。


 キスは告白を伝える手段ではなかった。それは――私はあなたを否定しない。その証明だった。


 瞼を開けると、大きく目を見開くマルスがいた。その碧眼は優しさに満ちていた。思わず涙が溢れる。


 私は涙を流しながら、さらに回した腕に力を込めて、唇を押し当てる。もはや悪魔払いなんてどうでもよかった。


 ただ、初めてのキスを堪能する――いつまでたっても唇を離さない私を、マルスが強引に引き剥がした。


「ぷっは。……ルミナス、いったいどうして、キ、キスなんかしたのさ! 危険な目に遭ってまで」


 肩を掴まれ、真っすぐ私を射抜くマルス。それを真正面から受け止める。


「決まっている――好きだから! 勇気を持って告白したのに、返事をくれないマルスが悪い。

 だ、だから、『否定しない』って、分からせるためにキスしたにゃ!」

「いや、僕は悪魔憑きで危険なのに、なんで無茶したのかを聞いているんだけど……」


 私の答えに納得できない彼は眉を曇らせた。だけど、私は告白に対して何も言わない彼のほうが納得できない。


 そのとき、再びマルスの表情が凶悪に歪み、黒い瘴気が滲み出て、悪魔と入れ替わった。


「くっくっく、面白いな、お前。悪魔である俺を払うつもりはないと言ったな。それは本当か? そんなことを宣言したら、聖女なんてなれないぞ。もしかしたら、異端者として教会から罰せられるぞ?」


 わずかに濃くなった紺碧の瞳を鋭く向け、脅す悪魔。だけど、私は睨み返す。


「構わない、聖女なんて興味ない。好きな人を否定するような称号なんて不要。私が欲しいのは、マルスとずっと一緒にいられる――そんな称号にゃ!

 そ、その恋人とかお嫁さんとか……」


 かすかに頬を染め、口ごもってしまう。だけど、そこで言葉を切り、息を大きく吸い込み、悪魔を見つめて力強く告げる。


「それに好きな人が悪魔憑きだからって、諦める――そんな軽い気持ちでマルスを好きになったわけじゃない! お前を含めて私は愛する! 覚悟するにゃ!」


 キッと眼差しを強め、彼に指を突きつける。刹那、悪魔は口をぽかんと開けて呆然と立ち尽くす。


 今なら中級の聖魔法でも払えるかもと、密かに魔力を練り始めたとき、悪魔は腹を抱えて笑い出した。


「ぷっ、ははは! 何を覚悟するか分からんが、面白い。聖女――いや聖女見習いが悪魔を愛するとはな。いや、満足した。初めて俺の――

 いや、私の求めていた答えを得られたようだ」


 突然、悪魔――マルスは穏やかな表情を浮かべると、黒い瘴気が金色に変わり出した。やがて牢屋中が満たされ、神聖な雰囲気に包まれた。


 全員が驚愕し、立ち尽くす――そのとき、マルスの背後から聖なる光に包まれた天使が現れた。


 その天使の背中には十二枚の翼が広がり、わずかに羽先が黒く染まっていた。彼をじっと見つめていると、背後から声が届く。


「も、もしや、貴方様は熾天使ルシフェル様ですか? かつて我が主を裏切り、魔界に堕天した……」


 振り向くとルソー陛下が膝をつき、両手を胸の前で組んでいた。その後ろに視線を送ると、聖女候補や大司教も皆が同じく祈りの姿勢をとっていた。


「そうだ、人の子よ。私は悪魔だからといって、ただ滅することが正しいとは思えなくなった。彼らにも心があり、愛する権利があるのではと――。だから、私は我が主の教えに背き、堕天して彼らに寄り添った」


 決して大きくなかった。だが、心に沁み込む不思議な声。ルシフェル様は静かに言葉を紡ぐ。


「だが、その考えを理解する者たちはいなかった。次第に私の心も闇に染まっていった。だが、彼女が教え、体現してくれた。

 ――無償の愛。何もかも受け入れ、ただ相手を慈しみ愛する。それが悪魔だったとしても……」


 ルシフェル様は、慈愛に満ちた笑みを私に向けて、ゆっくりと天へと登り始めた。


 その神聖な光景にルソー陛下や大司教、聖女候補は涙を流し、見つめ続ける。そんな彼らに笑顔を向けると、十二枚の翼をはためかせた。


 ばさりと無数の金色の羽根が舞い、牢屋の中が輝き出す。視線を戻すとルシフェル様の体が光の粒子となり、霧散していく。


 ――神に許され、天に還ろうとしていた。


「ありがとう、愛の聖女・・――ルミナス。君は、その無償の愛で悪魔となった私を救ってくれた。我が主も悪魔にも愛を与えると約束してくれた。私は天界に還る。

 ――本当に、本当にありがとう……」


 ルシフェル様は真っすぐ私を見つめ、朗らかに笑みを浮かべ、静かに消えた。


 視線を落とすと、じっと私の顔を見つめていたマルスと視線が重なる。私は満面の笑みを浮かべ、試練が終わったことを告げようとした――。


 そのとき、彼は呟く。


「僕も好きだよ、ルミナス」


 そして、私の唇を塞いだ。自らの唇で……。




――エピローグ。


「ねえ、ルミナス。本当に聖女にならなくていいの?」


 颯爽と教会本部から抜け出すルミナスに声をかける。


「大丈夫にゃ、聖女はルージュがやればいいにゃ。私には必要ないにゃ。欲しいものは手に入れたにゃ」


 そう答えて振り向くと、彼女は僕の手を握り、走り出した。急にどうしたのかと思い、後ろを見ると、ルソー陛下や大司教が聖騎士を連れて追ってきていた。


 どうやら、ルージュが教えたらしい。彼女にだけには、ルミナスもちゃんと別れを告げ、立派な聖女になってほしいと想いを託していた。


「どうやら、ルージュが喋ったみたいだね。愛の聖女――ルミナスが逃げ出したこと」

「うう、裏切られたにゃ。せっかく親友と思っていたのに、ひどいにゃ!」


 彼女は強く僕の手を握りしめて、走る速度を上げた。やはり猫獣人。本気で走ったら、敵わない。


 引っ張られて走る僕に、彼女は笑顔を向ける。


「ところで、マルスは何になるにゃ? もう悪魔憑きじゃないし、やっぱり家に戻って騎士になるのかにゃ?」


 全力で走る彼女。激しく揺れる尻尾が僕の頬を掠めた。その後ろ姿が眩しくて、思わず目を細める。


「そうだね、剣はずっと鍛えていて、騎士は夢だったけど、今はどっちでもいいかな」


 その言葉に、不思議そうに瞳孔を細めるルミナス。頭の獣耳がぴくぴくと動く。その姿が愛おしくて、笑みが零れた。


「まあ、何になるかは分からないけど、するべきことは決まっているよ。

 ――それは、ずっと君といることさ。大好きだよ、ルミナス!」


 僕は彼女を見つめ、はっきりと宣言した。悪魔憑きの僕を、キスで救った半人前・・・の聖女に――。


 その瞬間、ルミナスは四つの耳を真っ赤に染め、瞳孔が大きく開き、叫んだ。


「にゃ、にゃんてことを言うにゃ、マルス。子どもたちも見てるにゃ」


 恥ずかしがる彼女を、多くの巡礼者が微笑ましく見ていた。僕は、わずかに速度を落とした彼女を一気に追い越した。


「行こう、ルミナス。これからもずっと一緒だ!」


 彼女は頷く。僕はルミナスの手を力いっぱい握りしめ、思いっきり走り出した。


 ――こうして世界には、


 『悪魔をも愛した半人前聖女』の伝説が静かに広まり始める。




―――――――――――――――


登場人物の紹介を近況ノートにまとめました。よければこちらから。

https://kakuyomu.jp/users/bk-key110204/news/822139842259753172

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悪魔憑き神父をキスで救った、猫獣人の半人前聖女 黒鍵 @bk-key110204

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