幼馴染から離れられない

春景梢

第一章

第1話 幼馴染からの独立宣言

 クソみたいな人生を送ってきました。具体的に言えば、金魚のフンみたいな。


 私のこれまでの15年を振り返ると、必ず幼馴染である星野春瑠ほしのはるるが近くにいた。あれを説明するには整った顔立ち、優れた運動神経、完璧な頭脳、高いコミュニケーション能力、悪い性格くらいをあげておけば十分だろう。簡単に言えばカリスマ的な人間が彼女だった。父方の祖母から受け継いだと語っていた長いブロンドの髪は天の川とか黄金とか言われていたし、切れ長の綺麗な目は真剣にしていると冷たく見えるのに、笑うと可愛らしく潤んで優しい瞳に一瞬で変わってしまう。自分を高嶺の花と理解しているはずなのに、しょっちゅうクラスメイトにちょっかいをかける。


 そんな春瑠と同じクラスになったら最後、一年間恋バナが退屈なものになる。みんな『好きな人』が春瑠になってしまうから。そして春瑠と別のクラスになったら最後、一年間全部が退屈なものになる。春瑠がクラスにいないから。小中9年間彼女とずっと同じクラスだった私が学校で見たのはそんな景色だった。カースト上位を目指す目立ちたい女子は春瑠の近くに居座ろうとし、不可抗力的に初恋を奪われた男子は何とか意識してもらおうと背伸びする。


 そんな中で常人で一般人である私は、不幸なことにカリスマの幼馴染という、過去が変わらない限り誰にも変わってもらえないポジションにいた。話下手で背も学力も体力も平均くらいの私は幼馴染の庇護下から出られず、春瑠の一番お気に入りのおもちゃとして学校生活を送ってきた。臆病な私は常に春瑠の付属品で、クラスメイトにとっては友達の友達くらいの存在だった。


 この9年間で私が一番言われた言葉は間違いなく『星野(さん)に、これ渡してくれない(かしら)?』だ。プレゼント、ラブレター、その他もろもろ。クラスでの『梶川奈央かじかわなお』の扱いはヒトより伝書バトの方が近かった。


 成長するにつれて『星野春瑠の幼馴染』ではなく一人の独立した人間として見て欲しいという欲望がふつふつと湧き出て来るが、それと比例して私に向けられる視線からクラスメイト三十数名が私に求める役割というものも分かってきてしまった。


 星野春瑠に対する窓口で従順な伝書バト。それが私に求められているものだった。間近で完璧人間を見てきたことで摩耗しきっていた、私のただでさえかけらしか残っていなかった尊厳とかプライドとか自尊心はそれに気が付いた時に爆発四散した。だってそれって、『私』じゃなくていいじゃん。それこそ個性を殺したロボットとか。偶然、私の意思とは関係なくあいつの近くに昔からいただけなのになんで私が春瑠の下僕にならなきゃいけないのか分からなかった。


 奴隷らしく反乱でも起こしてやろうかと考えた時期もあったけれど、今はその気力すらない。春瑠は(親友とは言えなくても)友達だし別にクラスメイトからも(春瑠への踏み台扱いだけど)いじめられているわけではない。変に行動して春瑠もいなくなって本当の独りぼっちになってしまったら、私はきっと耐えられない。……こういう意気地なしが今の環境を作ったのだろうとも思うけれど、今更どうしようもなかった。


 だから、春瑠から天峰あまみね高校を受験すると聞いた時は心の底から嬉しかった。高校の名前なんてほとんど知らない私でも天峰は通っていた塾の先生から聞いたことがあった。『このクラスにいるみんなとはレベルが違う』という枕詞がついていた。『天地がひっくり返ってもみんなには無理』とも。これでようやく春瑠のいない学校生活が送れると思った。


「天峰なんだ、春瑠は頭良いからね。受かるよきっと」


 中学生最後の一学期末のテストが終わった日の放課後、私は彼女と一緒に帰りながら高校受験の話をしていた。


「奈央はどこ行くの?」

「どうしよっかな……。まあ、夏休み中に考えるつもり」

「そしたら天峰でいいね」

「良くない。というか私には無理」


 受験勉強のし過ぎでとうとう頭がおかしくなったんだろうか。何をのたまってんだ、と思って隣を見ると彼女は笑っているのに瞳は真剣そのもので、私の心の柔いところを突き刺した。


「受かるよ、奈央だったら」

「何を根拠に……」

「頭良いから。それに、私が君と離れ離れになりたくないの」


 と言って春瑠は優しく私の頭を撫でた。彼女はたまに私の事を褒める。ずっと一緒にいるのに、私はまだそれが彼女の本音か嘘か分からない。


 その日、塾の休憩時間中に天峰の赤本を眺めていたら、隣の席の松尾環まつおたまきが信じられないものを見る目で私を見てきた。


「奈央、熱中症か?」

「違う」

「いや、熱中症だろ。そうでもなきゃ人はアマミネの赤本を手に取ろうとはしない」


 環ちゃんは私の額に手を当てた。


「うわ冷たい。死んでる」

「死んでない。環ちゃんの方が顔赤いし熱中症じゃないの?」


 そう言って手を伸ばすと彼女はさっと躱してしまった。


「死人め、私もゾンビにするつもりだろ」

「しないし、できない」


 環ちゃんは隣町の中学に通う子だ。中性的な顔立ちにショートカットの似合う濁りのない澄んだ目をしていて、背は春瑠と同じくらい高い。黙っていればミステリアスだけど喋るとガサツな性格がすぐに顔を出す。中学三年の春、初めて塾で会ったときは取っつきにくそうと思ったけれどもすぐに打ち解けて仲良くなった。春瑠とは無関係に人と仲良くなるなんて、随分久しぶり、というか初めてな気がした。


「……それで奈央はアマミネ目指してんの?」


 環ちゃんはらしくない真面目な表情で私を見た。


「友達が受ける」


 私は、と言いかけて口を閉じた。改めて机の上に広げられた赤本に目を落とす。奇妙な曲線がグラフを縦断し、とっかかりのない滑らかな壁みたいな問題文が永遠に続く。ぺらぺらとページをめくっても理解できそうな問題すら存在しない。これからめちゃくちゃ勉強しても、そもそもの頭の出来も悪い私には一生解ける気がしない。私の身の丈には合わない、目指すだけ無駄って感じがする。


「奈央にとってさ、その友達って大切?」

「え?」


 環ちゃんは椅子を寄せて、過去問を覗いた。


「うわ、全然分かんねえ。いや、大切かって。アマミネの過去問が気になっちゃうくらいなんだろ?」


 星野春瑠が大切……?たしかに私の幼馴染だし情がないと言ったら嘘になる。それでもよくバカにしてくるし、からかってくるし、一人でいたら話しかけてくるし、誘ったら一緒に遊んでくれる。私の赤点ぎりぎりのテストを勝手に見て笑うくせに、理解できるまでテストの解説をしてくれる。物心ついた時からずっと変わらずに春瑠はそんな感じだった。嫌な思い出も良い思い出も同じくらいの数があって、同じくらい忘れられない。あれの事を考えると、嫉妬と称賛と自己嫌悪と愛情で深いため息が出る。


 彼女に言われた無根拠、無責任な『受かるよ』って言葉が遠くに響く鈴の音みたいにリフレインする。なんで春瑠はそんなに自信に満ちてるんだ。あの笑顔を思い出すと本当に最悪な気分になる。


「大切だよ、一番。嫌な人だけどほとんど家族みたいなものだから」

「……そしたら、頑張ってみたら。恋人と離れ離れになりたくないだろ?」

「は?違う、ただの幼馴染、友達」


 思わず語気が強まる。周りの自習していた人たちの視線がじりじりと突き刺さって痛い。環ちゃんはそんなこと気にしてなさそうだった。


「いや、恋人に対するテンションだった」

「全然違う。私恋人なんていないし」

「そう、よかった」


 何がいいんだよ私に恋人がいないことが、と言いかけた時、私の頭に妙案が閃いた。星野春瑠から逃げずに、私が私として、彼女のおまけ的存在ではなく一人の独立した人間としてみんなから扱われる、多分たった一つの冴えたやり方。


 恋人を作ればいいんだ。高校デビューして、春瑠のお情けではなく実力でクラスカーストの上位に入り、かっこいい恋人を作る。果たして恋人のいるカースト上位人間が伝書バトにされたり無償の荷物配達人にされたりすることがあるのだろうか。いやない、ありえない、許されない。


 今まで誰のことも恋愛的に好きになったことないけど、自分を変えればきっと何とかなるはず。


 春瑠と同じ学校に通いながら、春瑠から独立する。私のクソみたいな、幼馴染ありきだった人生から逃げずに向き合ってキチンと決着をつける。春瑠から逃げるという対処療法ではなく、春瑠がいても自分を変えて普通に生きるという原因療法。もしそんなことができたら……。


「環ちゃん!」


 私はもはや周りの人間なんて気にせず大声を出して彼女の手を掴む。だって今から私は天地をひっくり返しに行くんだから。


「私も天峰受ける。無理かもしれないけど、幼馴染に置いて行かれたくないから」


 この瞬間から、私の人生は変わった。きっと死ぬまでこの日の環ちゃんの驚いた顔や手の柔らかさを忘れることは無いと思う。

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