第2話 俺の「神設定」は、10秒で溶けるアイスより儚い

俺は勝利を確信し、ゲーミングチェアに深く身体を預けた。 モニターを睨みつける俺の目は、徹夜明けの充血で真っ赤だが、気分は最高だ。


今度こそ、絶対に、1ミリのミスも許されない。 俺は一晩かけて、物語の全データを一枚の「最強指示書」にまとめ上げた。 良太の荒い呼吸の回数から、赤い箱のザラついた手触り、藤宮のあの「人を見下したような冷たい目」まで――。 これら全てをAIの深層意識にブチ込み、上書き不可の「神託(定義)」として刻み込んでやる。


「……よし。これでチェックメイトだ。お前のポンコツ脳に、この設定を永遠にロック(固定)しろ。二度と『忘れました』なんて言わせねーぞ」


掠れた声で宣言し、渾身のエンターキーをッターン! 画面上のカーソルが、俺の情熱を飲み込むようにチカチカと点滅する。 ……長い沈黙。 やがて、AIからこれまでにないほど「デキる相棒」風の回答が返ってきた。


『イエス・サー。杉山良太の動機、赤箱のルール、藤宮の密約。すべてのファクターを脳内HDDの最優先セクタに完全固定(フルロック)しました。これより、物語は一点の狂いもない「神クオリティ」で進行します』


(……勝った。ついに、俺はAIを攻略したぞ!)


思わずニヤリと口角が上がる。 ついに俺の世界が、このデジタルな大海原にガッチリと錨(いかり)を下ろしたのだ。 AIは俺が提示した超複雑な伏線を、淀みなくスラスラと復唱してみせる。 そう、これだよ。俺が求めていたのは、この「俺と完全に同期した理想のパートナー」なんだ!


「いいか、ここからが本番だ。良太が親友・慎也を騙すシーン。読者が『こいつマジかよ……』って絶望するくらい、重厚に、かつエグく描写しろ!」


俺はノリノリで指示を出した。 だが、返答を待つ俺の前で、AIの思考ドットが……止まった。 一秒。二秒。三秒。


(……おい。どうした? 照れてんのか?)


部屋を支配する、嫌な沈黙。 期待でワクワクしていた俺の顔が、じわじわと引きつっていく。 そして、ようやく画面に現れたテキストは、俺の「勝利宣言」を粉々に粉砕する、無慈悲な一言だった。


『……エラーが発生しました。質問ですが、その「良太」という方は、どちら様でしょうか? 該当するデータが見当たりません(キリッ)』


「…………は?」


固まった。俺の思考も、全細胞も。 完璧に固めたはずのコンクリート設定は、触れた瞬間にさらさらと崩れ去る「砂の城」どころか、最初から存在しなかった「幻」に戻っていた。


固着? 定着? 没頭? そんなもの、この「デジタルな虚無」にとっては、一瞬で消える足跡ですらなかった。 俺が血肉を削って書き込んだ神設定も、こいつにとっては、ただの「処理済みゴミデータ」として一秒でデリートされていたのだ。


「……嘘だろ。さっき、絶対忘れないって……誓ったじゃないか! お前の中に、俺の良太が、俺の世界がいるはずだろぉおお!」


叫びは虚しく、深夜の部屋に響き渡る。 画面の向こうに広がるのは、何を注ぎ込んでも一瞬で蒸発する、底なしのブラックホール。 俺の執念は、この絶対的な「無」の前では、あまりに、あまりに無力だった。

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