第二話 開いてびっくり! 聡実お手製学習テキスト

 さてと、従姉ちゃん作の教材じっくり見てやるか。

一段ベッドに腰掛けた優祐は、最初に英語のテキストを捲ってみた。

「おう!」

 思わず感激の声を上げる。一ページ目に、英語に対応するキャラクターの全身カラーイラストと、簡単なプロフィールが載せられていたのだ。

この栗巣モニカって名前の女の子が解説してくれるってわけか。

 わくわくしながら次以降のページをパラパラ捲ってみた。

従姉ちゃんが高校時代に授業や自習でまとめた学習用ノートを元に作ったみたいだな。カラフルでめっちゃ分かりやすく書かれてるし。紙質も良いし、これはかなり期待出来そうだ。従姉ちゃん、俺のためにこんなの作ってくれるなんて……。

 不覚にも従姉のことをちょっと見直してしまった優祐は、続いて社会科のテキストもパラパラ捲って確認してみる。

こっちの子もエスニック風でなかなかかわいいぞ。世界の料理とか、農作物とか、家畜とか、民族衣装のイラストもやっぱ上手いなぁ。 

感心気味に眺めていると、予期せぬ出来事が――。

「あっ、あのう」

 どこからか、聞きなれぬ女の子の声が聞こえて来たのだ。

「何だ? 今の声」

 優祐は不思議に思い、周囲をきょろきょろ見渡す。

耳元で聞こえた気がするんだけど、誰もいないよな?

 少しドキッとしながらそう思った直後、

「うっ、うわわわわわぁ!」

 優祐はあっと驚き、口を縦に大きく開けて絶叫した。弾みで手に持っていた社会科のテキストも床に放り投げてしまう。

 突如、英語のテキストの中から、飛び出して来たのだ。

服装は『Let‘s enjoy studying with elder sister♪』とホワイトロゴプリントされたオレンジ色チュニックにデニムのホットパンツ、水色ニーソックスという組み合わせ。マロン色なセミロングウェーブヘアは胸の辺りまで伸びていて、つぶらなグレーの瞳ですらりとした体つき、背はやや高めで一六〇センチ台半ばくらいあるように見えた女の子が――。

イラストの一つと全く同じ格好だった。紙上に描かれた人間の女の子が飛び出してくるという、物理現象を完全無視した出来事が今しがた優祐の目の前で起こったというわけだ。

「グッイーブニン、ナイストゥーミートゥ。ワタシ、ユウスケくんに英語を指導することになった、栗巣モニカだよ。アイムフロムインジィイングリッシュテキスト、リトゥンバイユアカズン、ノノセサトミ。ユウスケくんと同じ、十年生だよ。アイムフィフティーンイヤーズオールド。マイファザーがアメリカン、マイマザーがジャパニーズなハーフなの。いっしょにスタディー頑張ろうね♪」

 その女の子はモニカと名乗りぺこりと頭を下げ、微妙な発音の英語も交えて挨拶した。そのあと優祐の手を握り締めて来た。 

「……………………」 

 優祐の口は、顎が外れそうなくらいパカリと開かれていた。

「Oh,ユウスケくん、a(ア)を発音する上でベストな口の形だね。Very good!」

 そんな彼を見て、モニカは嬉しそうににこにこ微笑む。

続いて、国語のテキストが自動的に開かれた。そしてまた中から女の子が――。

「こんばんは。わらわ達の作者、野々瀬聡実さんの従弟君の優祐さん。この度は飛び出す美少女教材高校生の家庭学習用をご利用下さり、誠にありがとうございました。わらわは現国と古典を担当させていただく、新玉葉月(あらたま はづき)と申します。中学二年生です。今後、末永くよろしくお願い致します」

 江戸時代の町人娘を思わせる地味な着物姿だった。黒縁の丸眼鏡をかけ、濡れ羽色の髪を撫子の花簪で飾り、背丈は一五〇センチをちょっと超えるくらい。優祐に向かって丁重に深々と頭を下げ、おっとりとした口調で挨拶して来た。

さらにもう一冊、社会科のテキストからも。 

「はじめまして優祐君。わたくし、社会科担当の長宗我部・エリザベス・州湖良(すこら)。高校二年生、グレゴリオ暦換算で十七歳よ。分からないことや悩み事があったら、遠慮せずに何でも相談してね」

 この子の背丈は一六〇センチくらい。小麦色の肌、面長でつぶらな鳶色の瞳、ほんのり栗色な髪をポニーテールに束ね、色鮮やかなインドの民族衣装サリーを身に纏っていた。

「えっ、あっ、どっ、どうも。おっ、おっ、俺、とうとうアニメの世界と現実の世界との区別が付かなくなってしまったのか?」

 優祐は当然のように戸惑う。

「夢じゃないよ。現実なのだ」

「実数の世界だよ」

 背後からまた聞きなれぬ二人の女の子の声がした。

「アタシ、理科担当の原子化能蒸(げんし げのむ)でーす。物理・化学・生物・地学、どの選択科目でもアタシにお任せあれ。中学一年生、十二歳。よろしくね♪ ユウスケトン」

 この子は紫色の髪を螺旋状にしていた。四角顔でネコのように縦長な瞳、背丈は一五〇センチあるかないか。ソテツの葉っぱで胸と恥部を覆っただけの非常に露出度の高い姿だった。

「数学担当の、四分一理密図(しぶんいち りみっと)です。小学四年生、九歳です。これからよろしくね、優祐お兄ちゃん」

 こちらの子はおかっぱ頭にしたみかん色の髪を、松ぼっくりとパイナップルとひまわりの花、合わせて三つのチャームを付けたサイコロ模様のダブルりぼんで飾り付けていた。丸っこいお顔とくりくりしたつぶらな瞳。背丈は一三五センチくらい。なんと、全裸だった。

「うわぉっ!」 

 振り返った優祐はそんな二人のあられもない身なりを目にし、反射的にのけぞる。そして目を覆った。

「こらこらっ、化能蒸ちゃん、理密図ちゃん。そんなはしたない格好で現れちゃダメでしょっ! 優祐君はエリクソンのライフサイクル論によると青年期の男の子なんだから。えっと、あっ、ちょうど都合良くいいのがあったわ」

 州湖良が注意した。そして彼女は、学習机の本立てに並べられてあった、優祐が学校で使用している地図帳を手に取りパラッと捲る。続いて開かれたページに手を添えると、なんと波打つ水面のように揺らいだのだ。

 三秒ほどのち、州湖良は何かを掴み上げた。

「これを着なさい」

「分かった。裸子植物風に登場してみたけど、被子植物風になるよ」

「きれいな模様だね。この部分の面積はどれくらいかな?」

 それを化能蒸と理密図に投げ渡す。この二人は素直に従った。

州湖良が先ほど取り出した物の正体は、ベトナムの民族衣装アオザイだった。色は純白で花柄の刺繍も施されていた。

なっ、なんでこんなことが、起こってるんだ?

 優祐は目の前で次々と起こった超常現象にただただ唖然とするばかり。

「絶対、夢だよな?」

 とりあえず右手をゆっくりと自分のほっぺたへ動かし、ぎゅーっと強くつねってみる。

「いってぇっ!」

 痛かった。

現実……だったらしい。

「嘘だろ?」

まだ優祐は、この状況を信じられなかった。

「どないしたん優祐? すごい大声出して」

 ガチャリと部屋の扉が開かれる。聡実が入って来たわけだ。

「ねっ、ねっ、従姉ちゃん。さっ、さっき、この従姉ちゃんが作ったテキストの中から、おっ、女の子が、五人、飛び出して、来たんだ。あのイラストの。ほらここにっ! ……あっ、あれ?」

 優祐は強張った表情で声をやや震わせながら伝えたものの、

「誰もおらへんやん」

聡実にきょとんとした表情で突っ込まれてしまう。

「いや、さっきいたんだけど、おっかしいな」

 優祐は訝しげな表情を浮かべた。

「優ちゃんったら、紙に描かれた絵ぇが飛び出てくるなんてマジあり得んし。アニメの世界と現実の世界との区別はちゃんと付けなきゃダメよー。うち、あんたより遥かにアニメの世界にどっぷり嵌っとるけど、現実の世界との区別はちゃーんとついとるで」

 聡実はくすくす笑ってくる。

「いや、俺もちゃんとついてるんだけど」

「確かにお○ん○んはちゃんとついとるよね」

「……今そういう話じゃないんだけど」

 優祐が困惑顔でこう言った直後、

「優祐ぇー、聡実ちゃん、夕飯出来たでー」

 階段下から母の叫び声が聞こえてくる。

「今行くぅー。優ちゃんもはよおいでよ」

 聡実はすぐにこの部屋から出て、ダイニングの方へ向かっていった。

「やっぱ、気のせい、だよな?」

 優祐はこう呟いてハハハッと笑う。

 次の瞬間、

「気のせいではありませんよ、優祐さん」

 国語のテキストから、葉月がぴょこっとお顔を出した。

「うわぁっ!」

 優祐は反射的に仰け反る。

「また驚かせて申し訳ありません。というか、こんなに驚くとは思いませんでした」

 葉月はてへりと笑ったのち、全身を出して直立姿勢になった。

「驚くに決まってるだろ」

 優祐はごもっともな意見を述べた。

 他の四人もまた飛び出してくる。

「お部屋の様子を見て、ユウスケくんは本当に美少女系のアニメが大好きな男の子なんだなぁって、judgmentしたの。これならワタシ達がテキストから飛び出して、三次元化する。というphenomenonを起こしてもごく普通に受け入れてくれるかなぁと思って♪」

 モニカはにこにこ顔で伝えた。

「優祐さんの従姉君は、妄想空想癖は酷いようですが一応常識的なお方のようですし、わらわ達の姿を見たら腰を抜かすかと思いまして、とっさに隠れました」

 葉月はゆったりとした口調で語る。

「俺だって相当驚いたよ」

「サトミちゃんから、3Dイラストにもなってるって説明されたでしょ?」

 モニカは爽やか笑顔で問いかける。

「いや、それって、特殊な眼鏡をかけて、最近では裸眼でも見えるやつもあるけど、実際は平面上にある映像や絵が立体的に見えるやつのことだろ?」

「優祐さん、それは前世紀的な発想ですよ。今や3Dというのは、二次元平面上に描かれたイラストが質感と触感と重量感と香りを伴って、実際に飛び出してくるものなのです。優祐さん若いのにお年寄り風な考え方ですね」

江戸時代風な格好をした葉月がくすくす微笑みながら指摘してくる。

「俺の考えは、間違ってないと思うんだけど……」

優祐は困惑顔になる。

「まあまあユウスケトン、素粒子の世界では、日常生活では起り得ない現象がしょっちゅう起きてるんだし、素直に受け入れなよ」

「優祐お兄ちゃん、二次元が三次元になることは、Z軸座標が増えたってことだよ」

 化能蒸と理密図はにこにこ笑いながら言った。

「受け入れろと言われても……」

「ワタシ達みんなファミリーネームは違うけど、五人姉妹だってデザイナーのサトミちゃんは設定してくれたよ」

 モニカはにこにこ顔で語る。

「……それにしても、二次元キャラが三次元化するって、現代の科学技術的にあり得ないだろ」

「それが出来てしまったんだから、そう突っ込まれると反応に困っちゃうな」

 州湖良はちょっぴり困惑気味だ。

「まだ現実とは思えない」

 優祐は半信半疑な面持ちで呟く。

「ユウスケくん、これは現実、リアリティなんだよ」

 モニカはにこっと微笑む。

「あの、モニカちゃん、俺、これが現実だってこと実感したいから、体、触っていいか?」

「オーケイだけど、breastは変な気持ちになっちゃうからNo way! だよ」

「分かった。頭にするよ」

 優祐が恐る恐る、モニカの髪の毛に手を触れようとしたら、

「優祐ぇー、いい加減夕飯食べやぁー。冷めてまうやろっ!」

 母に扉を開けられた。

「わっ、分かったよ」

 優祐はビクッと反応し、周囲を見渡す。

 またもみんな姿を消していた。

やっぱ、夢だよな?

 優祐は首をかしげながら電気を消して部屋を出て、ダイニングへと向かっていった。

「優祐、聡実ちゃんの描いた3Dイラストの迫力に圧倒させられたみたいだな」

 高校理科教師を務める父は楽しそうに微笑む。

「うん、まあ。かなりリアルだったし」

 優祐は苦笑いで答え、

 絶対俺の見間違えだ。

 心の中でこう確信して椅子に腰掛けた。

「うちの作った教材、優ちゃんにウケてくれたみたいでうち、めっちゃ嬉しかったわ~」

 隣に座る聡実は上機嫌でかぼちゃコロッケを頬張っていたのだった。

「その教材上手く活用すれば、優祐も聡実ちゃんみたいに現役で阪大受かるかもな」

父は上機嫌で高野豆腐を頬張りながらそんな期待を抱く。義理の姪に当たる聡実の趣味もジャ○ーズやE○ILEなんかに嵌るよりは健全だろうってことで聡実の父同様、快く容認してくれている寛容で心優しいお方なのだ。

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