第二話①
一週間後、俺は、太陽が照りつける中を乗り心地の悪い荷馬車の上で揺られていた。
薄緑色の干し草が敷き詰められた薄箱型の荷台の中でただ座り、時折跳ねて打ち付けられる下からの衝撃に備えるだけの時間。底が硬い木の板では、干し草の衝撃吸収能力なんて、たいして意味はないらしい。
脚を欠損した兵士は戦場には立てない。それが軍の判断だった。だから俺は隊から除名される。シェルマーに成り代わって、シェルマーの成すべきことを放置して、戦場を離れるのだ。……でも、仕方ないだろ。片足がないんだから。
荷馬車には、俺と同じように怪我を負った歩けない人達が二、三人ずつに分かれて積み込まれている。寝転がる人、座る人、呻く人、放心する人など、その様相は様々だ。
一方、怪我を負った歩ける人達は、荷馬車の周りで身体を引きずるようにして歩いている。時折、羨ましそうに俺達を眺めながら。
そして、怪我を負わなかった人が、俺達を守り、世話をし、祖国への帰路へと着かせてくれているのだ。
帰国だって言うのに、みんなの顔は沈んでいて、喜びなんて微塵も感じられなかった。
彼らはみんな、ナトゥリジ軍の第八連隊。俺が魔法障壁を張らなかったから被害にあった人達だ。
俺がシェルマーになっていなかったら、あの火球は止まっていたのかもしれない。あの時俺が魔法障壁を出そうとしていたら、結果は変わっていたのかもしれない。
それはもうわからないけれど、挑戦すらしなかった俺に、もしもを考える資格はないんだろう。
不意に、隣から声がした。
「あんた、シェルマーだろ?」
見れば、肌の焼けた細身のおじさんが緊張したような顔で俺を見ていた。
同乗者。俺と同じように片足を失っている。
「……は、ははは。そうかもしれないですね」
努めて明るく言った言葉に、おじさんは訝しげな表情をしつつも手を伸ばしてきた。
「俺はグオンメってんだ。よろしくな」
差し出された手を握りつつ、会話を続ける。
「あー……、俺を知ってるんですね」
「そりゃそうだろ。ナトゥリジの大盾。第八連隊の守護神。魔法要塞の創造者。挙げりゃきりがない」
「ははは。なるほど……」
呟きながら、俺は荷馬車の縁に身体をぐっと押し付けた。伸びるようにもたれれば、自然と視線が上に向く。見上げた空は、気が遠くなるほどの快晴で。
グオンメの口ごもったようなハッキリとしない声が耳に届く。……俺はシェルマーじゃないのにな。緊張すんなよ。
「子供がファンなんだよ。同じ隊に所属になるっつったら喜んでな、……っとと」
荷馬車が止まり、身体が振れた。崩れた体制に荷馬車のみんなが踏ん張り、声が途切れる。会話はおしまい。ちょうどいい。
(何がちょうどいいだよ。最低過ぎんだろ、クソッ……)
降り注ぐ太陽が、俺の身体を貫いて、中身を下へと連れていく。目を瞑れば、そんな感覚が強くなったけど、抜け殻になったシェルマーの身体は、それでもまだ、真っ暗な俺が居座ったまま。
また、グオンメの声。
「休憩みたいだな」
「……そうですねー」
その時、足音が鼓膜を揺らした。
疲れ切った兵士達の歩く、引きずるようなそれじゃなくて、短い間隔で地面を叩く、乱雑に走る音。
顔を向ければ、黒髪を頭の高い位置でまとめた、スラリとした背の高い一人の少女が、人々の隙間を縫うようにこちらに駆けてきていた。
(……怒ってくれていた方が、ずっといい)
身体がガクンと揺れ、俺は胸ぐらを掴まれていた。
「なんでお前がっ! お前だけがっ! 生きてるんだよっ!」
身体が揺れる。胸ぐらを中心に。けして激しい動きではなかったけれど、俺にとっては酷く痛く、そして力の抜ける行動だった。
「……ごめん」
「っ! 謝んじゃねぇよぉ……!」
少女の顔が沈んだ。俺の鳩尾に丸い何かがのしかかった。そこから、胸へ、腹へと熱が広がった。でも、俺の身体が温まることはなかった。
「みんな、みんな死んじゃったんだ。お前が守ってくれるって言ってたのに、みんな……」
吐き出してしまわなければ、きっと彼女も、そして俺も壊れてしまうのだろう。だから、俺は聞く義務がある。……ああ。ホント、最低だよ、俺は。
視界の隅、慌ただしく動いていた人々が、騒ぎを聞きつけ集まってきた。その中には、ジネーゼの姿もあって、すぐに少女を引き剥がそうとしてくれたけれど、俺は首を振ってそれを止めた。
少女の声と嗚咽が鼓膜を揺らし、背中に熱を帯びさせてくる。
「ザブルはチーズが好きだった……。スノンは甘いものが好きだった……。ブレースは鶏肉が! グロスは葉物が! マイスはトウモロコシが好きだった! なのにみんな配給を我慢して、お前にあげたんだ。ちゃんと動いてもらえるようにって! 部隊の要だからって……! でも、魔法は、まっすぐ私達のところへ飛んできて……」
俺は何も覚えていない。顔も、名前も、貰ったものも、約束も……。
俺だって巻き込まれた。俺のせいじゃない。そう囁く自分がそばにいる。
だけど、魔法を防げなかったのは、爆発が起こってしまったのは、俺がシェルマーを奪ってしまったからだ。なんでそうなったのかなんて、そんなことは、みんなの苦しみには関係ないんだ。
だから、その苦しみが少しでも晴れるなら、恨み辛みをぶつけてくれた方がずっといい。
「……ごめん」
なくなったはずの右足が疼く。立ち上がろうとするみたいに膝が曲がって、足裏に感触を感じる。
そんな幻覚を抱いたって無駄なのに。そんな、やった気になったって、俺が楽になるだけなのに。
啜り泣く声を掻き分けるように、砂利を踏み潰す足音が聞こえて、ジネーゼが少女の背中を撫でた。
「こっちに。……それでもシェルマーは、私達を守ってくれてたんだよ」
優しい声色だったけれど、しっかりとした口調。少女の首が僅かに縦に動いた気がした。
それから、ジネーゼは少女を連れて離れていった。こちらを見ていた人集りも疎らになり、俺は、また、荷馬車の住人に戻った。
ガサゴソと聞こえる衣擦れの音。視界の端に、よく焼けた傷だらけの手が伸びてくる。グオンメの手。
「これをよ、娘に渡してこいって言われてんだ。受け取ってくれや」
それは貝殻に麻紐を通して作ったペンダントだった。
「浜辺で拾った貝殻で作ったお守りだとよ。だから、なんの由緒も効力もねぇがな」
「……いやいや。こういうのは気持ちが大事ですから」
俺がそれを首にかけると、グオンメは長く息を吐き、それから、ニッと笑った。
「ふぅー。ありがとな。これでどやされずに済むぜ、英雄さん」
「いえ」
「……まぁ、なんだ。同じ隊で、話もできて、物も渡せて、おまけに足がないのもお揃いときたもんだ。こりゃ、一生もんの自慢だな。ははは、はは、は……。笑えねぇか」
「いや。元気出ましたよ。ははは」
試しに俺も口角を上げてみたけれど、前向きにはなれなかった。
それでも、グオンメは笑った。
「俺はあんたのお陰で娘に自慢話ができるんだ。感謝してる」
そして、俺の返答を待たず、そばを通った兵士を呼び止めた。
「おおーい。水、持ってきてくれよ。配給されてんだろ?」
「今日はここで泊まるってよ。配給は夕食だ。あー、何人分だ?」
「荷馬車の三人分だな」
「あいよー」
離れていく兵士の足音。礼は言わなくちゃいけない。どんなに、惨めでも。
「ありがとうございます」
「おうっ」
俺が親切にされるのは、慰められるのは、全部シェルマーの功績だ。シェルマーが頑張って、守ってきたからだ。俺の力じゃない。俺は、怒られる資格しかないんだよ。
その後に配られた夕食のスープは、具材のない白湯みたいなスープだった。
「なぁ、シェルマー。英雄なら、自分の身体くらい取り戻してくれよ……」
夕焼けの中に飲み込まれる呟き。嫌になるくらい、俺はハッキリと生きている。
その後、二月余り続いた旅程の中でも、みんなは口々に俺のことを『シェルマー』と呼んだ。励ましたり、笑ったり、憎んだり、怒鳴ったり。そしてそれは、全て俺の知らない誰かに向けられたものだった。
ロジスティクス ――失ったものの代わりに―― 路外の毛むくじゃら @ke_bowbow
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