アンダーグラウンド・レイク

きのこ星人

第1話 泥濘む夢






グチャ、グチャ、と泥濘ぬかるむ地面を蹴る。


息がきれる程の急坂は…幾度となく登り慣れた道。


進む…進む、進む…。ただ…何も考えたくなくて…がむしゃらに…目的の場所に向かう。



生温い風が頬を撫でる。もうすぐ雨だと知らせるように…。


長い、長い、獣道を抜けると…開けた場所に出る。そこには自分の瞳と同じなまり色の湖が広がっていた。


ボタリ、ボタリと水滴が落ちる。


気持ち悪くて拭いながら、彼は…辺りを見渡す。

いない…誰もいない…。そこにはいつもの…静かな湖が広がっている。


だが、その時は違って見えた。胸を締め付ける…不気味な静寂が辺りを包みこんでいた。そう………だって………





……弟が…………何処にも……いなかったのだ……………。





ーー





………ハタッと不意に目が覚めた。昼間の直射日光が、こちらを照らしている。どうやら少し眠っていたようだ。


嫌な夢を見た。まるで今の状況を責めるような…たった1人の弟がいなくなる…そんな夢。


纏わりつく汗が気持ち悪くて…大きく深呼吸して眼前を眺めた。目の前に広がるは……大きな湖…。


弟の瞳と同じ…澄んだ青色の静かな水面は、昼間の太陽の光を浴びてキラキラと輝いていた。


静かで穏やかで…見ていると時間を忘れさせてくれる…。

ボケっと眺めているだけで、次第に…気分も落ち着く…不思議な湖だ。


片田舎の山の上にある…『竜宮湖りゅうぐうこ』と呼ばれるこの場所は……昔から不思議な言い伝えがあった。



『ここは人間界と海底の国を繋ぐ唯一の場所。

選ばれし者は、海の底より列車が迎えに現れ、国を救う為その力と叡智を振るうであろう。』



なんと………まあ………。



「胡散臭い…おとぎ話で……いって!」



抜け殻のように呆けていると、背後からペシッ!と丸めた紙で叩かれた音がした。


頭をさすりながらバツ悪く振り向くと、そこには腰の曲がった白髪の老人が、しわくちゃの顔を意地悪そうに口元を歪ませながら、こちらを見下ろしていた。



「バイト中に惰眠を貪るとはいい度胸じゃのぉ…水面みなも なぎ

わしが見てないとでも思ったかのぅ?」



「これは減給もんじゃのぉ?」と抜けた歯を見せながら、ニタリ…と笑うこの老人は、この竜宮湖でボート屋を経営している爺さんだ。

つまり…凪の雇い主である。



「……でも…角皆つのかいさん…。朝から俺…ずっ〜〜〜〜とここで座ってますけど……誰1人としてお客が来ないんですけど……。」



凪は元々無気力な灰色の半眼を、更に物言いたげに細めて、上司を見上げる。


生来…接客など好みではない彼にとっては、静かで客足の少ないこのバイトは都合が良いのだが…それにしたって少なすぎる…。


このままでは自分達、高校生2人を養う為のバイト代が出るのかと不安になるが……

目の前の爺さんは、何も気にせずカラカラと笑っていた。



「そんなもん、今に始まった事ではないわい。

客足なんぞ気にしとらん。なんせ…この竜宮湖は神聖な場所じゃ!そんな所に人がゴロゴロと入り込んでは困る。これくらいが丁度いいのじゃ!」



……じゃあなんでこんな所にボート屋なんて開いたんだよ…。凪は内心この妄言爺さんに悪態をつく。


なんせ…この角皆は…先程の言い伝え…『竜宮湖は人間界と海底の国を繋ぐ唯一の場所…』の提唱者なのだ。


おおよそ…この場所に魅入られた老人の戯言ざれごと……。と町の人は認知しており、おかげで変人扱いされ、より人が寄り付かなくなった。



「(でも…俺達、双子は好きなんだけどな…。そのおとぎ話。)」



真実かなんてどうでもよかった。ただ…この大きく美しく…キラキラと…どこか神秘的な景色の湖には、そのおとぎ話が似合うと思ったからだ。


水底から伸びるレールは、なんの為にあるか分からない…。

その不可思議さが、本当に海底からお迎えが来るのではないかと、幼い頃の俺達は何度もワクワクしていたものだ。



「………あ。そうだ…。

角皆さん。朝から働きっぱなしだったし俺…今から休憩もらいます。」



ボート小屋のオンボロ時計を見て、凪は急いで立ち上がった。

パンパンとついた埃を払い、バキバキになった体をほぐす。



「…なんじゃ。もうそんな時間かのぅ。じゃあ店番交代じゃ。とっとと行ってこい。」



そう角皆は凪と入れ代わるように、その埃だらけの箱イスに座ろうとする。

だがその前に凪の方を向き、彼のクセの強い、紺紫色の髪の毛をポンっと荒々しく撫でた。



「…わしも湖もお前達、水面兄弟を待っておるからの。

……紫緒しおによろしくな。」





ーー





静かで穏やかだった湖畔とは違い…どこか緊張感を含んだ…静寂さに包まれた場所へと赴く。

凪はいつも通りの足取りで、ある病室へと向かった。


ドアの前に掛けられた『水面みなも 紫緒しお』と書かれたネームプレートを前に凪は一瞬立ち止まる。



「シオ来たよ。体調はどう?」



控えめなノックの後、カラカラ…とためらい気味に病室のドアを開ける。するとそこには、凪と似た顔と雰囲気を備えた双子の弟…


……水面 紫緒がいた。


彼はベッドの上で何をするでもなく、ぼぅと虚空を眺めていたが、凪の存在に気づくと、ニコリと薄く笑った。



「兄さん……いつもごめんね。毎日来てくれて。

……俺のことは気にしなくていいんだよ?」



そう儚く笑う紫緒を見て、凪は人知れず胸を強く握った。


つい、数日前…両親と紫緒を乗せた車は交通事故にあった。かなり大きな事故で、両親は帰らぬ人となり、紫緒だけが一命を取り留める事が出来た。


だが、その代償か…紫緒は左半身に麻痺が残り、歩くことすら辛い状態に陥った。


当時、別行動をしていた凪だけが唯一、無事で…。

大切な家族を失い、自身も回復に向かわない弟を励ます為に…毎日、病室にへと足を運んでいた。



「今日は……どうだった?リハビリ。ゆっくりなら歩けるんだろ?」



だが…こう言う時、何を話していいか分からない凪は結局…今日のリハビリの結果を聞くことしかできなかった。

そして…結果が芳しくないことは…紫緒の表情から見て取れた。



「うん…。いつもと同じだよ。

誰かの支えがないと、歩くことすらできない…。

それよりさ!兄さん、この時間あのボート屋でバイトの時間じゃないの?早く帰らなくて大丈夫?」



こうやって気を使われ…すぐに話を逸らされてしまう自分の口下手さを恨む。

双子と言っても彼らはあまり似ていなかった。髪色や…顔付きは似ているのだが…。


凪は無口で無愛想。紫緒は物腰が柔らかく、落ち着きがあった。

そのせいか、こんな状況にも関わらず紫緒は逆に兄の凪を心配する。



「早く良くならないとね。勉学も疎かになっちゃうし…兄さんは片付け下手くそだしね。家の中大変そう…。

…ほら。俺に構わないで勉強してきなよ。もうすぐテストもあるんでしょ?。」



そう柔らかく紫緒に諭されると、凪は力なく「…うん…。」と呟き立ち上がる。

もっと話したい事があるのに…結局…何をしに来たのだか…。紫緒に心配されるだけで、今日も終わってしまった。


不甲斐なさを感じながら、荷物を持ち立ち上がる。病室のドアに手をかけた時、紫緒は「ねえ…ひとついい?」と声を漏らした。



「……兄さんにとってさ…。俺って……どう言う存在?」



思ってもいなかった質問に、凪は息をし忘れるほど驚いた。

思わず困惑していると、そんな凪の表情が珍しいかったらしく、紫緒が久しぶりに笑った。



「アハハハ…。ごめん兄さん。ちょっとナイーブになってたみたい。

こんな体じゃあ…まだ父さんと母さんにお別れの挨拶もできないし…切り替えができないみたい…。まだ…取り戻せる気でいるのかも…」



「弟だよ。大切な。」



無理して笑う紫緒の話を遮るように…凪はそう断言した。

その言葉を目を丸くして聞いていた紫緒は…次第に口元を緩めて、目を閉じた。



「………ありがとう兄さん。

そうだよね…俺にはまだ兄さんがいるもんね。」



そう言って微笑んでくれた。

ようやく兄らしい事ができただろうか…。双子なのに、彼の真意は読み解くのは難しい。


凪も慣れない笑顔を浮かべると「じゃあ…何かあったら連絡して。」と短く言って紫緒の病室を後にした。



「…………………。」



ガチャリ…と扉は閉まり、取り残された紫緒はしばらく、凪が出て行ったドアを凝視する。そして…大きくため息を吐いて先程の彼の言葉を反復した。



「………大切な……弟か…。…まあ…そうだよな……。」



部屋に誰も来ない事を確認すると紫緒は、右手で握り拳を作りそのままドンッ!!とベッドの手すりを殴りつけた。



「……ふざけるなよ……誰が……弟だ………っ!」



その表情は……先程までの穏やかさとは打って変わり、荒々しい憎しみのこもった顔をしていた。



「双子なのに……!なんで凪が兄なんだよ!!なんで…!俺だけがこんな目にあって…凪は平然としているんだよ!!

これからずっと……俺は凪に頼らなくちゃならないんだよっ!!」



痺れて動かない自身の左腕を忌々しく思った…。

これだけ頑張っているのに…最早、回復は絶望的と言われたのだ。自分は……もう2度と…今までの生活は送れない。

それどころか一生、凪に頼る他なくなってしまった。それが堪らなく…………屈辱的だった!



「もう……何もかも…嫌だっ!!」



哀れに思われるのが嫌で…この状況を享受していたが、本当は一分一秒でもこの辱めから抜け出したかった。

しかし、それも絶望的…。紫緒の心は……完全に疲弊していた。



「っ全部……全部!凪のせいだっ!なんで俺なんだよっ!なんで、アイツは恵まれる!?なんでアイツばっかり…………っ!」



「クソッ!クソッ!」と頭を掻きむしりそ泣き叫ぶ。

すると次第に…紫緒は何かに乗り移られた様に……まるで抜け殻みたいな表情で、ベッドから這い出てゆっくり…ゆっくりと…病室から出て行くのであった。



それから数時間…バイト帰りの凪に1件の通知が入っていた。

病院からだ…。嫌な予感がしてすぐにかけ直す。すると…焦った様子の看護師からの声が聞こえた。



「紫緒さんがどこにも見当たりません!凪さんの所に戻っておられませんか!?」



暗く…広い…家族で暮らしていた一軒家には凪しか居ない。

彼は…その言葉に頭が真っ白になりながらも、弟を探すために文字通り家を飛び出す。


ゆらりゆらりと沈む夕空の中…黒い雲が、辺りを支配し始めた。重い重い…足と肺に入る空気に叱咤しながら、がむしゃらに…走りだすのであった……。





……夢は……まだ…始まったばかり…なのだから…………。









  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

アンダーグラウンド・レイク きのこ星人 @kinokonoko28

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ