いつか消えてね
南波 晴夏
いつか消えてね
人々の喧騒を掻き消すように陽気な音楽が響き渡る。
快晴の空からは鋭い陽が射し、容赦なく肌を照りつけていた。
老若男女が楽しめるテーマパーク。いかにも青春、といった雰囲気に包まれた空間はデートでも定番の人気スポットだ。
アトラクションは楽しいし、賑やかな空間は居るだけでテンションを上げさせてくれる。お土産を選ぶのも一つの楽しみで、友達や恋人との思い出を形に残すことができる。ペアキーホルダーなんかは特にカップルに人気で、その関係を主張したり単純に心を通わせたりするのに『お揃い』というのは随分と効果的だった。
二人での思い出がより深く記憶に残るのはやっぱり嬉しい。買うとしたらシンプルなのがいいな、なんて呑気なことを考える。
まぁ、今日は二人きりじゃないんだけど。
「
平均より低く、少し掠れた声が私の名前を呼ぶ。振り返るまでもなく声の主はすぐに分かった。その声は随分と聞き慣れていたし、何より私のことを名前で呼ぶ男はあいつだけだった。
「何?」
「何って、行動班同じだろ。集合すんのあっち」
「あ、そっか。ごめん」
呆れた顔をしたかと思うと、
相変わらず単純だなぁと思う。高校最後の校外学習でテーマパークに来れたことが余程嬉しいのだろう。思わず小さく笑いながら、軽やかな足取りで進む光祐の後に続く。いつの間にか大きくなっていた背が陽射しを遮り、私の姿をすっぽりと影の中に収めていた。昔は私と同じくらいの身長だったくせに、と少しだけ悔しくなる。
……それはそれとして、これ日焼けしなくていいな。
「なんで背後にいるんだよ。なんか怖いんだけど」
「別に何もしないよ。振り返らないでそのまま歩いてて」
「はぁ?」
「あ、動かないで! 日当たる!」
「人を日除けにすんな!」
ぎゃあぎゃあとくだらない会話をしながら集合場所に近付いていく。光祐が意地でも盾になるまいと体を変に動かすので、私は思わず声をあげて笑っていた。
「
途端に心臓が大きく跳ねる。微かな緊張を感じながら振り返ると、同じクラスの
「これ落としてない?」
そんな言葉と共に掲げられたのはこのテーマパーク定番キャラクターのキーホルダーだった。カラフルで可愛らしいそれには見覚えがある。辺りを見回すと、少し遠くで楽し気に笑うクラスメイトの姿が見えた。彼女の鞄には三好くんが持っているものと同じキーホルダーが付いている。
「……これ光祐のじゃない?」
「え? 俺付けてるけど」
「だって
後ろに回ってリュックを確認すると、予想通りそこに付いているはずのキーホルダーがなかった。
なくてはならないはずのものがなかった。
「……ほら、取れてる」
「まじか。危ね~」
言葉とは裏腹に随分と軽めのリアクションをして笑う光祐に思わず呆れた息を吐く。彼女との『お揃い』なんて何より大事にしなくちゃいけないものだろうに。
光祐は三好くんからキーホルダーを受け取り、「ありがとな」とだけ言ってその場を離れて行った。それに続いて、私も足を踏み出す……のは、さすがに無神経かな。
「俺も一緒に回りたかったな」
眉尻を下げて、本気で残念そうに三好くんが言った。私も「そうだね」と同意する。
三好くんとは、一か月前くらいからお付き合いをしている。
選択授業で席が近く、よく話すようになったのがきっかけだった。学級委員である三好くんは当然のように秀才で、毎回赤点スレスレで冷や汗をかいている私とは正反対の優等生だ。
試験前に勉強を教えてもらった時は、何度も同じ説明をさせてしまったにも関わらず嫌な顔ひとつせずに付き合ってくれた。相変わらず点数は低かったけど、赤点を免れただけで私以上に喜んでくれた時は可笑しかった。
甘いなぁと思いながらも、その優しさに幾度となく救われたのは紛れもない事実だった。
……だから、馬鹿な私でも分かる。私たちはあまりにも釣り合わない。私は三好くんの隣に相応しくない。
それなのにどうして私なんかを好きでいてくれるのか、全く理解できないままここまで来てしまっている。
「そういえば、橘さんと光祐って仲良いよね」
「そうかな」
「そう見えるよ。お互い名前呼びだし」
不思議そうな顔をする三好くんに、私は「あー、」と言葉を濁す。呼び方についてはよく指摘されることだった。
確かに他のクラスメイトと光祐は違う。何せ小学校から同じ光祐とは十年近くの腐れ縁だ。それこそ、あいつが私より小さかった頃の姿だって、私は知っている。
「小学校からの腐れ縁ってだけで、特に意味はないよ」
そう言って笑う。本当にそれだけだった。
私たちはそれ以上でも以下でもなかった。
「そっか。……じゃあ、俺も名前で呼んでいい?」
「えっ、うん。いい……よ」
唐突すぎて言葉に詰まった。羞恥心と罪悪感が苦しくて逃げたくなる。どうしてか、三好くんと話す時は喉が締め付けられたみたいに声を出すことが難しくなる。
「俺のことも名前で呼んでよ」
三好くんが照れたような笑顔を見せる。
やっぱりそうなるよなぁ、と思う。異性のことは基本苗字プラス『くん』で呼んでいるから、下の名前を呼び捨てにするなんて慣れないのに。
光祐に限っては小学生の頃からずっとそう呼んでいるから慣れているだけだった。呼び方を変える必要性を感じたこともないし、今更苗字で呼ぶのも気持ち悪い気がした。
「……恥ずかしいから、少しずつ変えていくんでも良い?」
躊躇いがちに言うと、三好くんはすぐに「全然いいよ」と笑ってくれた。
こういう時、三好くんは無理に何かを押し付けたりしない。ちゃんと話を聞いて、いつも私の気持ちを優先してくれる。
……だからこそ、言葉にしない限りこの気まずさは伝わらない。
「楽しみだなぁ」
呑気な声で三好くんが言う。変に期待を持たれてしまった私は気が気でなくて、なんとなく乾いた笑いで乗り切ることしか出来なかった。
そんなこんなで違う班の三好くんに手を振って、私は光祐と同じ班に戻った。やがてテーマパークでの自由行動が始まり、私たちは順調にアトラクションを制覇していった。並ばずに乗れるなんてことはなかったけど、やっぱり休日よりは平日の方が空いているのだろう。
男子二人の後ろに女子三人、お揃いのカチューシャを着けて並ぶ。身構えていた待ち時間は、お喋りに花を咲かせているうちに着々と過ぎていった。
話題は流れるように移り変わり、やがてよくある恋バナに辿り着く。
「ね、どっちから告白したの?」
興味津々、といった様子で尋ねられ、謎の緊張感に包まれる。
「えっと、三好くんから……」
答えてから、言って良かったのかな、と不安になる。知られたくない人は知られたくないだろうし、女子特有の詳細な恋バナを苦手に思う人がいることも知っている。
満足そうに笑ってはしゃぐ女子たちを横目に、続く列の先に目を向ける。
同じように遠くを見つめる光祐の姿が見えた。
* * *
「死ぬほど並んでるな」
「まぁ夏休みだからね」
「それもそうか。言うほど暑くなくて助かったけど」
「本当にね。……ああいうカチューシャ、何気に暑そう」
「あー、確かに。ブレザーも暑そうだな」
「……高校生になったら制服でも来れるかな」
「別に制服じゃなくていいだろ」
「なんか青春ぽくない?」
「さぁ。今もそうだろ」
「……光祐ってさ、たまに恥ずかしいこと言うよね。ちゃんとしたことは言わないくせに」
「ちゃんとしたことってなんだよ」
「自分で考えて」
「……じゃあ、来年は制服で来るか」
「……うん。忘れないでね。あのボアみたいなカチューシャも」
「……冬休みに行くか」
「あはは、そうしよ。楽しみにしてる」
* * *
自由行動が始まって数時間。私たちは休憩もかねてお土産を買いに来ていた。
絶叫系のアトラクション続きでかなり体力を削られた気がする。震えの残る足を動かしながら、家族へのお土産を選んでいく。適当なお菓子を籠に放り込んだ所で、女子組で何かお揃いを買おうという話になる。文房具やらキーホルダーやらと睨めっこをして、種類豊富なグッズの中から真剣に相応しいものを選んでいく。
「これ新しいやつだよ」と年パス持ちの子が示したぬいぐるみキーホルダーが可愛くて、結局それに決まった。
少し離れた文房具コーナーから、「よくネタ切れしないよな」という光祐の声が聞こえた。
* * *
「お揃いのキーホルダー欲しいな」
「あー、そういうの好きだよな」
「だめ?」
「いや、いいけど」
「これとかさ、結構かわいい」
「こういうデザインってネタ切れしないんかな」
「確かにね。前みんなで来た時と違う」
「出た、俺のこと置いて行ったやつ」
「だってインフルじゃしょうがないじゃん」
「まぁそうだけど。お土産くれたの嬉しかったから許すわ」
「……嬉しかったの?」
「そりゃそうだろ。まぁ二人で来たかったから念願叶って良かったけど」
「…………あー、うん」
「照れてる?」
「照れてない」
「ふは、即答。ま、とりあえずキーホルダー選ぶか」
「うん。……ねぇ、あの時あげたボールペン、まだ持ってる?」
* * *
お土産を買った後は優しめのアトラクションにいくつか乗って、気付くと全体の集合時間まで残り僅かになっていた。楽しい時間が過ぎるのは驚くほど早い。
女子組の希望で最後は観覧車に乗ることになり、同じチョキを出した私と光祐はペアになった。靴の先がぶつかりそうなほど狭い空間が淡い夕陽に照らされ、少しずつ上昇していく。
お互いしばらく口を開かないままでいた。
アクリル越しに見える景色がオレンジ色に染まっていく。その光景が懐かしくて、今口を開いたらあの頃と間違えてしまいそうで怖かった。この距離に光祐が居ることも、扉の隙間から吹く風の温度も、夕暮れも、匂いも、明るさも。
外を眺めていた目を光祐の方に向ける。光祐は相変わらず口を開く気配もなくぼぅっとどこかを見つめていた。頂上が近付くにつれ、平然とした顔に段々と腹が立ってくる。
だってこんなのあまりにも似すぎている。何もかもがあの頃を思い出させてきて、記憶の覚え直しみたいだ。
ねぇ光祐。何も思い出さない? 何とも思わない?
本当に?
「懐かしいね」
当てつけのように言ってやる。気まずい顔のひとつでもさせられたら良かったのに、光祐は涼しい顔をしたままだった。
「あー、確かに」
あの頃から変わらない声で、光祐が言った。何事にも無関心そうな顔で、態度で、本心が見えなくて不安になったこともあった。
それでも私のことを気にかけてくれるのが嬉しかった。正しく特別な、『唯一』をくれたのが嬉しかったのに。
……もう忘れちゃった?
声に出すことはできない言葉を口の中で転がす。光祐の横顔がぼやけていく。近くに居るだけで溢れてくる思い出がじわじわと首を絞めていく。
本当に全部忘れてしまったのだろうか。楽しかったのも、幸せだったのも、むかついたのも、気まずかったのも、好きだったのも。思い出すたび熱を帯びて思考を埋めるこの感覚も。
……私は忘れてない。忘れてないよ。
「今日、楽しかった?」
それとなく尋ねる。自ら投下した気まずさを流していく。
「楽しかったよ。琴葉は?」
「……私も楽しかった」
楽しかった。……楽しかった、数年前の記憶を見ていた。
くだらない。救われない。何を思ったって地獄だ。
ねぇ、あの時買ったキーホルダー、まだ持ってる?
「でもやっぱ、前来た時の方が楽しかったわ」
ズキンと心臓を刺される感覚があった。少しずつ遠くなっていく地上を眺める横顔が、機嫌良さそうに笑っている。
「咲ちゃんと?」
自然と口が動いた。そんなこと聞いて何になるんだ、と嘲笑う声が聞こえた気がした。凪いだ空気とは裏腹に心臓が暴れ出す。密かに抱いていた祈りが頭の中に響く。
願わくばその口から、『彼女』の名前が出ませんように。
「いや、琴葉と」
思わず顔を上げる。なんで、と開きかけた口を閉じる。
……分からない。何を考えてるのか、どんな返答を望んでるのか。こんなに一緒にいるのに光祐のことが全然分からない。
なんで今更、そんなこと言うの。
「琴葉といるのが一番楽しい」
試すような目が私を覗き込む。自分さえ気づかなかった心の内を見透かして、私がその瞳から逃れられないことを知りながらまっすぐに視線を注いでいる。
あぁ、こういう奴だった。昔からずっとずるい奴だった。
どうしてか泣きそうになりながら、震える喉元に力を込める。
私も、って言いたかった。咲ちゃんのことも、三好くんのことも無視して。
……今も好き、なんて、都合の良いことが言えたら。
「……そんなの、これからいくらでも変わるよ」
人は変わっていく生きものなんだよ。
今は過去になって、未来は今になる。だから『一番』も変わっていく。楽しかった記憶はそのままに、綺麗な思い出は忘れずに、どんどん更新されていく。
今はまだ少し懐かしくても、愛しくても、いつかお互いの顔も思い出さなくなる。
……だから終わろう。今ここで、あの頃の恋を過去にしよう。
声に出して言ってやれたら良かったのに、震えた唇はきゅっと結ばれ、不器用に微笑んでみせただけだった。
「琴葉、」
「もういいよ」
数分前に放たれた言葉の所以が、罪悪感でも執着でも構わない。どっちでもいい。今の私にはもう関係ない。
「大切にしてあげなよ」
それだけ言うと、タイミングを見計らったかのように小さなゴンドラの扉が開いた。逃げるように観覧車を下りて、光祐の顔も見ないままスマホに目を落とす。
通知を確認すると、三好くんから連絡が来ていた。
続々と観覧車から降りてくる同じ班の友達に、それとなく近付いて声をかける。
「ごめん、私三好くんと合流してから行くね」
「おぉ、了解! ごゆっくり~」
冷やかすでもなく快活に笑ってくれたことをありがたく思いながら、先に戻っていく皆に小さく手を振る。光祐は一度も振り返らなかった。
観覧車から離れて端に寄り、夕陽に染まったテーマパークを眺める。幸せに包まれた空間に一人、泣きそうな気持ちで立っている。まだまだ人の姿は沢山あるのに、世界で一人きりになったような気分だった。
中学三年生の夏休み、恋人だったあいつと見た夕暮れを思い出す。燃えるような赤を背景に咲く笑顔が懐かしい。
今すぐにでも過去にするべきだなんて、そんなことはずっと分かっていた。それなのにどうしても、この浅ましい執着がいつか自然と消えてくれる日を待つことしかできなかった。
優しい人を裏切り続けていた。
「琴葉」
すぐ後ろから名前を呼ばれて思わず飛び上がる。振り返ると、目を丸くした三好くんが立っていた。
「ごめん、そんなびっくりさせるつもりじゃ……」
「ううん、大丈夫だよ」
暴れる心臓を落ちつけながら、平静を装って笑みを浮かべる。
三好くんは申し訳なさそうに下がった眉尻をすぐに戻して、柔らかく笑った。
声の違いなんて気付く余地もなかった。だって私のことを名前で呼ぶ人なんてただ一人しかいなかったのだ。
ふと、冷えていた指先に三好くんの体温が伝わる。大きな手に包まれるたび、その熱さにびっくりしてしまう。何度触れても一向に慣れる気配がない。掌がじわじわと温かくなって、とくんとくんと優しい心音が響く。好きだなぁ、と心の中で呟いてみる。
「ちょっと遠回りしていかない?」
「いいよ」
そのままの状態で、集合場所とは少し逸れた方向に歩き出す。
三好くんの繋いでくれる手は優しい。ふとした時に解けてしまうんじゃないかと思うほど。遠慮がちな手にはほとんど力が入っておらず、少し痛いくらいの力で手を引かれる感覚とはまるで違う。
……だから、簡単に解くことができる。
柔らかい指先をなぞって、その隙間に指を滑り込ませる。
「三好くん」
本当はこの呼び方でさえまだ慣れていないなんて、そんなことは誰も知らなくていい。
「……好きだよ」
責め立てるような夕陽を睨みつける。まるで戦いに出るような心境だ。愛に溢れた感情とは程遠い。
三好くんは珍しく繋いだ手に力を込めて、「俺も好きだよ」と返してくれた。
はぐらかしたりせずに、ちゃんと応えてくれる誠実さが好きだ。いつも私のことを気にかけてくれる優しさが好きだ。柔らかい言葉遣いも、子どもみたいに無垢な笑顔も好きだ。
ちゃんと好きだ。
今日の終わりを告げる夕陽が、その身を焦がしながら遠くの空に落ちていく。絡み合った体温の狭間には珍しく汗が滲んでいた。
固く手を繋いだまま、私はこの恋を続けていく。
いやにぬるいあいつの体温を思い出さないように、茜射す記憶に蓋をしながら。
いつか消えてね 南波 晴夏 @haruka_773
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