第3話 記憶
ドラゴンキャッスルにおいて、建国の第一歩は「種族の心臓」とも称される『コア』を平原に設置することから始まる。
これを使用すれば、瞬きする間もなく国の中心たる「主城」が構築される。
ここで変にリアリティを追求し、建設に何時間、何十時間という待ち時間を強いていれば、せっかちな現代のプレイヤーは即座に見切りをつけて去っていただろう。
いわば「ご都合主義の不思議パワー」だが、このテンポの良さこそが、初心者を惹きつける秘訣でもあった。
主城さえ建ってしまえば、あとは土地と資源が許す限り、あらゆる施設を魔法のごとく一瞬で増設することが可能となるのだ。
◆
「よし――これより、建国を開始する」
口にすると、年甲斐もなく胸が躍った。
慣れ親しんだ動作で、ユーザーインターフェースを呼び出そうとして――私は、自分の指先が虚空を切るのを見た。
「……あれ?」
いつもの操作アイコンが出てこない。時間停止機能付きの容量無限カバン、あの便利な『インベントリ』さえも表示されないのだ。
違和感に突き動かされ、私は自分の身体を見回した。
手の甲を覆う黒い袖、膝下まで届く長い裾、背中に垂れる深いフード。
それは、見覚えがありすぎるほどある、『ドラゴンキャッスル』におけるアンデッド種族の初期アバター装備だった。
ゲームの世界に吸い込まれたのか、あるいは質の悪い夢を見ているのか。最新の記憶を懸命に手繰り寄せようとした、その時。
――ズキンッ!
脳を直接焼かれるような鋭い激痛が走った。
「大丈夫ですか、主様? 顔色が悪いようですが……」
アニスが不安げな表情で覗き込んでくる。
「ああ……大丈夫だよ、アニス。少し、考え事をしていただけだ」
表面上は平静を装いながら、私は冷や汗を流していた。
ゲームの仕様、システム、アニスや他の英雄たちの設定。それらは完璧に思い出せる。
だが――それ以外の、私自身の名前や家族、現実世界での記憶が、霧に包まれたように一切思い出せないのだ。
「本当に……本当に大丈夫ですか? 主様」
アニスは不安げに潤んだ黄色の瞳で、私の顔をじっと覗き込んでくる。
「ああ、すまない。少し考え事をしていただけだよ。……それより、精魂込めて作り上げた国が跡形もなくなっているからね。ショックが大きかったのかもしれない」
私は努めて穏やかに笑い、自分自身の記憶が欠落しているという恐ろしい事実には、ひとまず蓋をすることにした。
「ところでアニス。私のことをちゃんと覚えているかい? 少し妙な質問に聞こえるかもしれないが……君が知っている『私』について、教えてほしいんだ」
本来、『ドラゴンキャッスル』の英雄たちは、あらかじめ設定された定型文や、簡単な命令に反応するだけの存在だった。しかし、今の彼女はどうだ。 不安、安堵、心配――。そこにあるのは、文字データの羅列ではない。一人の少女としての、生きた感情の機微だった。
……まあ、厳密には人ではなく「アンデッド」なのだが。
「私が主様について知っていること、ですかー」
アニスは人差し指を顎に当て、可愛らしい鈴の音のような声で語り始めた。
「主様は私を創造してくださった、偉大なる創造主。それはもう、親しみやすくてお優しいお方です。的確な采配で、アンデッドの地位を確立し、巨大な国家へと発展させた……私たちが心から尊敬する王様です」
ふむふむ、なかなかの高評価だ。
ゲーム時代の「忠誠度」は伊達じゃなかったらしい。これなら反逆の心配もなさそうで一安心だ――と、胸をなでおろしたのも束の間。
「……そして。こんなに可憐で華奢な私に、ハルバードと手斧を握らせて『敵を根こそぎ殲滅しろ』と命じる、とっても酷なお方でもあります!」
ん? アニスさん、雲行きが怪しいぞ。
「私は忘れてませんからね。私の戦いぶりを見て『アニスちゃんマジゴリラ』って呟いていたのを……」
……アニスさん? それは、その、圧倒的な破壊力に対する最大級の賛辞というか、言葉の綾でして。
「ふんだ。アンデッドだって乙女なんですから、傷つくんですよ? 次からは気をつけてくださいねー」
ぷくっと頬を膨らませる彼女を見て、冗談だと分かり安堵する。どうやら彼女の「天真爛漫」な性格設定は、少しばかり「お転婆」な方向へ進化して出力されているらしい。
「……なら、もう一つ。私の『名前』を覚えているか?」
核心を突く問いを投げかける。自分の名前さえ思い出せない私にとって、彼女の答えは唯一の希望だった。
「もちろんです。忘れるはずがありませんよ」
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