第4話

 生来の臆病者・稀代の痛がりである私は、点滴の小さな針にすら律儀に怯えてのけぞった。

 早ければ数時間後にも初めての出産を経験するというのに、一周まわってのんきなことである。

 

 入院二日目。分娩予定日当日。

 人工破水を終えた身体に、ついに陣痛促進剤が流れ込んでくる。

 昨晩緊張で浅い眠りしか得られなかった私は、分娩台でうとうとしながら必ず訪れるはずの痛みを待った。

 いや、待つつもりだった。存外その痛みは早く来た。

 

 子宮がねじ切れるような、生理痛に似た痛み。

 

 私史上最大の生理痛は、二年ほど前職場で倒れたときだったか。

 這って辿り着いたロッカールームでバファリンを握りしめながら気絶したあの日。あの日の痛みを超えるのに、促進剤の滴下開始から三時間もかからなかった。

 

「あの……麻酔って、まだ」

「はい、まだ入れられません。耐えましょう!」

 若い助産師さんが真っ直ぐな笑顔で答えてくれた。言い返すこともできず、私は曖昧に頷くことしかできない。

 

 そう、無痛分娩は、無痛ではない。

 麻酔を入れるとお産の進みが遅くなるため、痛くてたまらないギリギリまで耐えるよう言われていた。

 

 ギリギリと言ったって。

 私の感覚では今がもうその時だ。間違いなくこのくらいの痛みで、二年前私は気絶したのだ。


 しかしその激痛の中でも今は不思議と意識もハッキリとして、気絶もできない苦しみからせめて気を逸らしたいという思いが強くなる。

 目に入ったのは、助産師さんから「気晴らしに見ててもいいですよ」と言われて近くに置いていたものの、いいや私は体力温存を優先するね、と頑なに触らなかったスマホ。

 それを掴み、妊娠中何度もそうしたようにあるワードを検索窓に打ち込んだ。

 

「ともちん 母娘コーデ」

 

 ともちんとは、元AKB板野友美さんのことである。

 いや、わかってはいる。絶対にこんなことをしている場合ではない。当たり前に初志貫徹で体力温存を優先すべきである。

 

 けれど私は妊娠中何度も、ともちんのインスタに救われてきた。

 母娘でおそろいのコーディネートを楽しむ写真。

 芸能には疎い私だったが、それでもお腹の子が女の子だとわかった日から、腰痛で歩けなくなった日も、お産への恐怖で眠れなくなった日も、「娘を持つ母」の幸せの形をあまりにも単純明快に示してくれる彼女の写真に元気をもらってきたのだった。

 出産というあまりにワイルドな生命の試練の先に、こんなにオシャレで、ちょっとチャラくて、とんでもなくカワイイ楽しみが待っているのだと思うと俄然勇ましい気持ちになった。

 適度なチャラさが何よりも大事だった。たとえば大学受験だって、可愛くチャラいキャンパスライフに思いを馳せる方がずっと勉強に打ち込めるってもんだ。立ち向かう試練が人生や命の重みを突きつけてくるものであるほど、その先に待つチャラい部分に救われることって確かにある。


 さて、そろそろ本当に耐えられないんですけど、と思い約一時間。

 分娩台の周囲は、結局放り出したスマホ、ゼリー飲料の死骸、痛すぎて吐き気がしたため貸りた洗面器などでめちゃめちゃになっていた。

「では麻酔、入れましょう。……入りました!」

 やっと、やっと無痛分娩の本領発揮である。痛みももちろんだが、「無痛分娩代五万円の効果はいつ得られるのですか?」という方面でもそろそろ焦りが出てきていたのでほっとした。

 

 それから数分後にはあのねじ切られるような痛みがすっと引いて、まあまったく痛くないわけではないけれど、なんとか痛みのレベルは「あの日の生理痛と一位タイ」ほどまで落ち着いた。

 渡されたスイッチで自分でも麻酔を入れられるようだったが、無闇に押すのは厳禁、とりあえずお産の全編を通して「一位タイ」程度の痛みをキープすることを助産師さんと相談して決めた。麻酔を入れすぎない方がお産の進みも早い。痛みに弱い私は危うく連打するところであった。

 

 さて、痛みのレベルは計画通りをキープ。陣痛の間隔が短くなり恐怖心はあるものの、いきみ逃しも我ながら上手くなってきて、途中で様子を見に来てくださった主治医の先生から「初産の無痛分娩にしては早い展開で順調」のお墨付きもいただいた。

 

 しかし、本当に辛いのはここからであった。

 

 ついに助産師さんから、いきんでも良いと許可が出たのだ。

「いいよ!いきんで!」

 よし来た!

 この頃には陣痛の間隔が狭くなりすぎて、もはや自分でも麻酔のペースがわからなくなっていた。当然痛みのレベルは「一位タイ」をゆうに越し、重いお腹におさえられていなければのたうち回るほどの痛みであった。

 

 しかしそれ以上に、いきみたいのにいきめないフラストレーションが凄まじかった。

 いきんで!の声は、やっと自分に出番が巡ってきた合図である。開放感にも似た気持ちで、私はたまごクラブで予習した通りにいきむための姿勢を取った。

 

 気分は試合終盤まで温存されてきた剛腕ピッチャーだ。

 ベンチの湿気った空気はこの肺に馴染まない。グラウンドの白熱を大きく吸って、私の見せ場、とくとご覧あれ!

 

 助産師という監督に熱く送り出され、フラストレーションを渾身の力に変えていきみ始めた私であったが、闘志は無情にも二時間ほどしか続かなかった。

 分娩台の手すりを握っていきむのだが、数十回ほどいきんだところで両腕がガクガクと震えてきた。力が入らない。手すりを握れない。握れないと、不思議なことにいきめない。

 剛腕ピッチャー、破れたり。けれど恐ろしいことに出産に選手交代はありえない。

 私は一度陣痛の波を深呼吸でやり過ごし、麻酔のスイッチを握りなおした。その手を監督、じゃない、助産師さんが優しく包んでくれる。同時にスイッチがなぜか私の手からすり抜ける。

 

「あ、もうだめですよ。ここからはお産の進行優先で麻酔無しです。スイッチは預かりますね」

 

 え? え、もう? もう麻酔無し?

 スイッチを回収され、カラの右手を虚空に残したまま、私はすぐにやってきた次の陣痛にうめいた。

 もちろん最初に説明は受けていた。終盤は麻酔無しですよって。

 でも、もう?

 明らかに骨盤の奥、素人でも「まだ出口には距離があるな」って明確にわかる位置に大きなものが挟まっている。このままだと骨盤が割れる。

 麻酔無しで、骨盤の骨折。ほんとにショック死するかもしれない。

 

 これでもう痛みから逃れるためには「とにかくいきむ」「そして出産を終える」以外の手段はなくなった。血のにじむその手(嘘だ。さすがに血は出ていない)で、ボール、いや、手すりを握れ、私。

 

 とはいえ、元より根性のない私である。再度様子を見に来てくださった先生に、吸引分娩ーートイレのスッポンのような器具で胎児を引き出す方法ーーについて聞く。聞くというより、懇願する。

 先生は私の命乞いにもとくに顔色を変えない。美しい顔立ちで穏やかに微笑みながら、幼稚園児に言い聞かせるように語りかける。

「名堀さん、落ち着いて聞いて。吸引分娩にもリスクがありますからね。赤ちゃんが弱って、早く出さないと危ないときには使いますが……この画面見て。赤ちゃんの心音、元気です。赤ちゃんも頑張ってますから、もうひとふんばりしましょう!」

 

 いくら噛み砕いて説明してもらっても、凄まじい痛みで幼稚園児以下の思考力しか残っていない私には、先生の言うことが聞けない。

 

 だって、言うて私も頑張ってるからね?

 

 幼稚園児、胎児と張り合う。

そう、なんなら私、胎児より頑張っている自信がある。

 私の可愛い、賢い赤ちゃん。ちょっとだけ心音落ちたフリしてみぃひん?吸引分娩の方が多分お互いラクやんか?

 脳内で胎児相手に交渉までする始末である。

 

 吸引して、骨盤割れます、といきむたびに叫んでは、陣痛の波が引く一~二分の間は体力温存のため死んだように静かになる……という半狂乱のサイクルを二時間ほど繰り返しただろうか。

「十八時ですね。今日中に産みましょう。吸引します、私たちの合図に合わせていきんでください」

 十八時が、何かの目安だったのだろうか。

 唐突に話が進み、産科の先生や看護師さんが数人のチームで分娩室に入ってきた。

 ベテランの男性医師が力を込めて私のお腹を押した。

「いきんで!」

 

 剛腕ピッチャーは、まだベンチに下げられてはいなかったらしい。

 新しい展開に私は再度、下腹部にあらん限りの力をこめる。力を入れすぎて脳の血管がちぎれそうだったが、どうにでもなれ。きっと骨盤が割れて死ぬよりマシだ。

 

 よく見えないけれど、股ぐらでスッポンが作動する。とんでもない力でお腹を押される。骨盤がミシミシと悲鳴をあげる。主治医の「いきんで!せーの!」を何回聞いただろうか。

 突然腰周りが涼しくなって、不意にチームのうちの誰かが叫んだ。

「赤ちゃん産まれます!……おめでとうございます!」

「おやっ、フサフサ。いいですねぇ!」

 これは誰の声かハッキリ覚えている。お腹を押してくれた男の先生である。

 豊かな頭髪を褒められながら産声をあげた我が子は、すぐに清潔な布で丁寧にくるまれた。

 それは視界の隅で眩いばかりの白さであった。そこからのぞく真新しい皮膚は羊水に濡れて赤く光り、 小さな頭は狭い産道を押し広げ、あまつさえスッポンで吸われて出てきたというのに、いじらしいほど完璧に丸かった。

 赤ん坊のすべてが神々しかった。

 身体中の力が抜ける。腰周りの涼しさはやがてなめらかな眠気となって全身を満たしてゆく。

 会陰縫合の痛み、飛び交う看護師さんの声、追加された点滴のしたたり。分娩室のなにもかもが心地よく現実感を失って、力強い産声に溶けてゆく。

 

 

 

「血が出過ぎです。今立つと倒れますので、今夜はこのまま分娩台で過ごしてください」

 なるほど、あの現実感が薄らいでゆく心地よい感覚は貧血だったか。

 一・五リットルほど出血した私は、分娩時に装着された医療機器に繋がれたまま、さらにいくつかの点滴を追加され、いまだ分娩台に横たわっていた。

 

 まあ、動かなくていいなら疲れた身体には願ったり叶ったりである……とのんきにしていたけれど、夜が来て一人になり、分娩室の電気が消されると急に恐怖心が襲ってきた。

 

 出産後一歩も動けず分娩台で過ごす、なんて聞いたことがない。

 私の身体はそれほど深刻に血を失ってしまったのか。このまま眠ってしまうと死ぬのでは、という不安に取り憑かれて、疲れているのに全然眠れない。いつかテレビで見た「O型は血の粘性が薄く、出血多量で死にやすい」という最悪の豆知識が何度も思い出された。

 

 ほとんど寝ずに迎えた明け方四時、にわかに隣の分娩室が騒がしくなり、二時間ほど経って産声が聞こえた。

 夜明けを迎えても窓のない分娩室は暗いままだ。身体に繋がれたままのモニターだけが、出産の高揚と死への不安が濃密に混ざった青い夜の底で一晩中ほの明るく光っていた。

 

 ああでも、まさに今、その夜が明けたのだ。

 夜は明けた。死ななかった。母になった。

 どこまでも鈍臭い私は半日前自ら産み落とした我が子ではなく、顔も知らない誰かの赤ん坊の声を背景に涙した。

 一秒でも早く我が子に会いたかった。

 

 

 

 

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