フヘンテキヘンカ

星宮ななえ

フヘンテキヘンカ


 本日はいかがなさいますか?

「そうですね。よく晴れた空のもと、水上のコテージ。四方がガラス張りの室内プールから眺める海原、打ちつける荒れ狂った波、なんていうのがいいですかね」

 かしこまりました。時が経っても天候はそのままがよろしいですか?

「いい質問ですね。では時と共に天候も変えてください。雷や豪雨、雹や雪なんか降らせても、ほどよくスリルが増していいですかね」

 かしこまりました。それでは愉快なドリームコアをご堪能ください。

 

 私、藤堂ミズカはブルームコーポレーションの代表取締役をさせていただいております。弊社では、昨今流行りのドリームコアを豊富なプログラムから好みに合わせて選択していただけます。ええ、ドリームコアは非現実的な世界観のなかに懐かしくも不気味なリミナルスペースをつくりだすことにより生まれる芸術的な世界です。急速な気候変動で世界はおおきく変わりましたが、昔よき懐かしい時代を彷徨い、そこにわずかな刺激を足すことにより、アドレナリンが分泌され身体能力の向上や集中力アップにつながります。また、ストレスへの耐性強化、心理的不安の解消にも役立っております。

 初回は特別、お試し価格でのご提供となっております。お気に召しましたらご入会を。はい。さっそくご体験なさいますか。かしこまりました。誠に申し訳ございません。追加オプションをお選びいただけますのは、ご入会後となっております。


◻︎

 ぐにゃり。と空間が歪む。ここはブルームコーポレーションのドリームコアのなかだと、冷静に見ている私がいる。冷静? だめだ。この世界を楽しまなくては、意味がない。

 見上げた空は青い。その青さは絵の具の白と青を混ぜ溶かしたような不自然な水色で、地平線がピンク色に発光している。私は果てのない草原のなかに佇んでいる。ここは娘とよく訪れた場所に似ている。きっとこれから飛ぶのだ。からだに力を入れて飛ぶ。力を緩めれば墜落してしまうから、精一杯拳を握り締め続ける。高くは飛べない。きっと地面すれすれを危うく漂う程度。どうして天高く飛びあがらないのかって、そんな野暮な質問はいらない。だってこれがドリームコアのなかの私。それ以上になれば、それは私ではない。

◻︎


「藤堂さん」

 気質を感じられない声かけに、私は振り返る。視線の先に佇んでいるのは、先月入社したばかりのADJ521。私よりもひとまわり小さくて真っ白なつるりとした機械体だが、中身はもと人間(七十五歳)の、もと上司というカオス。これがたかだか十数年前の話というのも信じられないが、人間は肉体が事切れる前に、機械体に自分の脳の全データをアップロードするのが常識的となった。これにより、人間の生命は永遠とあいなったわけだ。ん? 生命? いや、生命の三つの定義は「入れ物がある」「代謝を行う」「子孫を残す」とされているのだから「入れ物がある」以外、機械体には当てはまらないのではないか。しかしそんなことを言ったら、いまや殆どの肉体保持者は子孫を残さなくもなっている。ならば生身の人間が生命体であるという定義すらも曖昧か。

「藤堂さん。顔色があまりよくないですよ。今日は早めに退社して休まれては?」

 顔の位置にある感情投影ディスプレイが誤作動を起こしているのか、ADJ521は喜怒哀楽のパターンを順番に繰り返している。誤作動だといい。それでなければ怖すぎる。

目の前にいる先月入社したばかりのADJ521は、昨年に危篤状態となり退職したのち、機械体となってこの職場に再就職をはたした、もと人間、もと上司のもと櫻田さん。生身だった頃は私よりも身長がうんと高く、身なりにも相当気をつかう人で、いつもぱりっとしたスーツを身に纏っていた。仕事に厳しい人だった。

 ADJ521はアナログタイプの機械体だ。それもかなり古い型の。最新式のものは、見た目はほぼ人間と変わりない。昨今、大抵の者は還暦を迎える頃までには最新式の機械体を発注しておく。完全オーダメイドのものは完成までに一年はかかるからだ。おそらくだが櫻田さんは独り身で、ずっと仕事に生きてきた人だったから、そういった終活ごとに手が回らず、機械体の納品が肉体の終了期に間に合わなかったのだろう。それから機械体で生きていく第二の人生のスタートには、戒名ならぬ改名をする。だが、その手続きも櫻田さんは行っておらず、今は機械体の胸にでかでかと書かれたADJ521と呼ぶはめになっている。早く手続きをして欲しい。早く最新の機械体にデータを移行して欲しい。それでないと私が今、接しているものが何であるのか、どうにもわからなくなってくるのだ。

「お気持ちはありがたいのですが……」

「体調管理も仕事のうちですよ」

 壊れかけの機械体といえども中身はもと上司の長老者。扱いには気をつかう。

「……そうですね。実はどうにもすこし熱っぽくて。では午後はお休みをいただきます」

 どうせ家に帰ったところで休まらない。いつも仕事のことが頭から離れない。頭のなかではずっと、私と私が好き勝手に会議をしてしまう。疲れた。吐き気もする。私は深く息をはき、こめかみに自社の端末をつける。銀色の薄くて丸い端末が脳へと電子信号をおくる。

「ドリームコアの世界へようこそ」

 オプションをつけまくって、さんざんこねくりまわしたプログラムから六時間コースを選択する。やはりドリームコアはいい。仮想と現実が混ざり合い、心地良いスリルと癒しを与えてくれる。


◻︎

 身を引くほどの勢いで天から降り続ける滝。滝の裏には苔むす小道ができていて、私はそこを進んでいる。目の前に虹が数本かかっている。しぶきを浴びて進んだ先には、つる草で編まれた不安定に揺れる長い吊り橋。空は水色。地で手招きうなる海波は群青。私はととと、とリズミカルにその橋を渡る。真っ白なカモメ。一羽二羽、三羽。君たちどこへいくの。カモメに目をとられて足を踏み外す。ふわり、私は宙を舞う。何度か雲にリバンドをしてトランポリンを楽しんでいるうちに、目の前に硝子の足場ができる。足場に着地。からだをぐらりと揺らしながらも独楽のようにまわり、バランスをとる。

「蓮香?」

 くるくるとまわっている途中で私の名を呼ぶ声がした。

 ああ、母だ。あれは私の母。

「お母さん、また来たの?」

「あなたが呼んだんでしょう」

 母が苦笑いする。私のなかでは五十歳くらいのつもりだけれど、その顔には小皺がひとつも見当たらない。つるりとした陶器肌に肩までの艶髪をなびかせて、水色のツーピースを身に纏っている。

「蓮香、また嫌なことがあったんでしょう」

 母はなんでもお見通し。隠し事はできない。

「もう、わかっているくせに」

 母が頷く。

「私はね、お母さんみたいに才能があるわけじゃないのよ。努力はしているつもりだけれど、代表取締役なんて器じゃない。七光りでいつまでその椅子に座っているつもりだって、従業員にはきっとそう思われているのよ」

 母が破顔する。

「ああ、もう。あなたはそんなわかりきったことでまた、ぐだぐだと。まったく、いつになってもお子ちゃまねえ。誰もあなたにそこまでの期待をしていないんでしょう。それならかえって気楽でいいじゃない」

 母はいつでも辛辣だ。自分にも厳しい人だから仕方がない。そんなことはわかっている。いまさら優しい言葉なんてもらっても気味が悪い。ただ、もうすぐ四十近くなる娘にお子ちゃまはない。顔のあちこちに小皺だって出てきている。最新の医療メンテナンスをしたってさすがに、二十年前のからだに戻ることはできない。しかしこれでも人間のからだとしての寿命の半分も過ぎていないというのだから、寿命が来る前にさっさと機械体に移行する人が多くなるのも頷ける。

「ねえ。どうしてお母さんは、ドリームコアに生きることを選んだの」

「生きる? ここはあなたがつくった空想で仮想の世界。私は実体ではないでしょう」

「わかってるよ。ここは私のドリームコア。だけど取り込んだわけでしょう。コアシステムにお母さんの脳のデータを全て」

 私の母、藤堂ミズカは十八年も前に亡くなっている。死因は胃癌だった。自分のことはいつも後回しの人だったから、病魔の発見が遅れ、気がついたときには余命三ヶ月。だから母は自分の命が絶えるまえにドリームコアのデータベースに自分自身の脳をアップロードした。母はドリームコアの一部とあいなったのだ。

「会社を存続させるためよ。十八年前、私が死ぬときにあなたはまだ子供で、全てを託すには幼すぎた。けれどあの頃はまだ機械体へのアップロードが国に認定されていなかったからね。ドリームコアに自分を取り込むしか方法がなかったのよ」

「だからさ、お母さんはここで生きてるんでしょう」

 母は首を横に振る。

「プログラムとして取り込まれているだけよ」

「なにが違うの」

「違法だもの。生きているなんて認めたら、そりゃだめでしょ」

「数年の違いってだけなのにね。……ねえ。現実社会では、もう半数の人間が機械体になっているのよ」

「そう。いずれ、そういう世の中になるだろうとは思っていたわ。思っていたよりも、だいぶはやかったけれど。それじゃあ、ドリームコアの需要も減って会社が岐路に立たされてくる頃よね」

「ええ、機械体であれば自分自身でいつでもドリームコアくらいの仮想現実をつくることができるもの。このままだと会社の存続は厳しいわ」

「それならあわせて会社も変化していかないと。とりあえずドリームコア部門の事業縮小、他部門の新設と拡大を早急に進めなくちゃ」

 私は曖昧な顔で頷く。頷きながらも小首を傾げる。

 事業の縮小をするとなれば、多くのオプション機能をなくさざるをえない。管理や維持費を考えたら、プログラムの一部となった母を簡素化するということにもなる。そもそも母の脳内にあったデータ量は膨大で、自己進化型AIと同じく常に進化もし続けている。そのため、いまやサーバーを圧迫している一番の要因ともなっているのだ。でも——私は母が現実社会からいなくなってからも、こうやって毎日のようにドリームコアで顔を合わせてきた。母を簡素化。それは母を、自らの手で認知症にすることと同じではないのだろうか。

◻︎


「藤堂さん」

 気質を感じられない声かけに、私は振り返る。視線の先に佇んでいるのは、先月入社したばかりのADJ521。

「昨夜はしっかりと休まれましたか? 本日の取締役会では今後の経営方針を決めていきますからね。大丈夫、ですか」

 大丈夫ですか、じゃないだろう。お前がいうな、機械体をギチギチと軋ませて歩いているお前が。

「ええ。あなたが提案してくださったプランを、正式に発表させていただこうと思っています」

 ADJ521の提案。それは機械体のメンテナンスプログラムの新しい構築。それから地方都市におけるメンテナンススポットの充実——リスクを抑えた堅実な事業提案だ。

「いやあ。そうですか。それは嬉しい。まずは会社を存続させるためにも土台を固めるということでね。ここはやはりひとつ、手堅く」

 私の言葉にADJ521がわざとらしく腕を伸ばし、大きく手を広げるかたちで笑う。

はて、彼はこんな動作を生きているときにするような人だっただろうか。これでは古めかしいアンドロイドそのものだ。

「はあ……そうですね」

 どうにも頭が痛い。吐き気もする。私の体調は一向に良くなってはくれない。

 すこしの間ひとりにさせてくれとADJ521に伝え、私は身の丈に合わない広さの社長室へとこもる。複数のオフィスが入っているビルの103階。その窓から見えるのは群するビルに舞う砂嵐。この街ではもう、青い空を見ることはできない。港では火星への機械体用移住者専用シャトルが煙幕をもうもうとあげている。終わりのない生命は今後、どこへ向かって行くのだろう。眩暈がする。あと一時間で取締役会が始まるというのに私は、ドリームコアに新たな自分用のプログラムを打つ。


◻︎

 見上げても終わりが見えないビル群のなかをただ彷徨っている。足もとには薄く水が張られていて、虹色の魚がゆらりと泳ぐ。ビルの隙間からは木星の禍々しい渦がこちらをじっと見ていて、壁のような津波がこちらへ向かってきている。津波のなかに無数の星が見える。私はあれに、もうすぐのまれるのか。

◻︎


「藤堂さん」

 気質を感じられない声かけに、私は振り返る。視線の先に佇んでいるのは、先月入社したばかりのADJ521。

「うまくいきましたね。執行役員のみなさまも今後の経営方針に賛同されたようです」

 功績を讃えてくれといっているのだろう。私はADJ521の望み通りの言葉をかける。感情投影ディスプレイが喜を表示する。いつメンテナンスしたのだろうか。

「ところで、ドリームコアの事業は縮小となるわけですが、そうなるとお母さまがつくられてきた会社の色がだいぶ変わってしまうわけですよね」

 ADJ521よ、おまえはなにが言いたいのだと、私は目を細めた。

「ですので思い切って事業内容をがらりと変えるのも良いかと思うのです。昨今は地球上の人口増加問題も著しく、国は機械体である我々に火星への移住を進めていますでしょう。そこでまずは火星へ支社をつくり我々機械体が率先してですね……」

 私は手のひらをADJ521に向ける。気分が悪いのだといいわけを添えて。


◻︎

 デパートのなかにいる。カラフルなキャンディやマシュマロが並ぶお菓子売り場で数点の商品を手にしてから、どこかで買い物しているはずの母を探している。魚売り場肉売り場、靴売り場服売り場、どこを探してみても見あたらない。私を置いて帰ってしまったのかもしれないと、不安が胸を揺さぶる。お願い。いなくならないで。

 エスカレーターに乗って階をあがり、母がいそうな場所をしらみつぶしに探す。本屋、ゲームセンター、フードコート。

 ドリームコアのなかなのだから私以外に客はいない。閉店時間をとうに過ぎたであろうデパートは四隅から闇を落とし始めている。先ほどまで愉快な音楽が流れていたはずなのに、今は静音。エスカレーターだけが不気味にガコンガコンと規則的な音を鳴らし続けている。足もとの影が伸びる。あるいはよくない影が忍び寄ってきている。

 お母さん。どこにいるの、お母さん。助けてお母さん。

 私を守ってくれていた人はもう、誰もいない。

 私は追い立てられるようにして屋上にあがる。鉄の戸を開けると身を持っていかれそうなほど強い風。夜の街が果てなく広がる。私が今、立っている建物以外は光り輝いている。天を貫くほどのビル群が私を見て、きらりきらり。笑っている。おまえのいる場所は暗鬱だなと、笑っている。私は惨めで泣きたくなる。

「蓮香」

 ああ、お母さん。よかった。どこに行っていたの。

「ずっといたわよ。ところであなた、なにをしているの」

 ずっとお母さんを探していたの。

「そうじゃなくて」

 お母さんがいなくなって怖かったの。

「蓮香。下を見て」

 見えるのは暗く冷たいコンクリート舗装のされた空閑地。

「蓮香。おかしいわ。このプログラムはおかしい。だってここには……救いが、ないじゃない」

 母が眉を顰める。私のまわりには黒い霧が絡みついてきている。

 ここは私の選んだドリームコア?

◻︎


「藤堂さん」

 気質を感じられない声かけに、私は振り返る。視線の先に佇んでいるのは、先月入社したばかりのADJ521。

「あいかわらず顔色がよくないですよ、しばらく休まれてもいいのではないですか」

 うるさい。私はうつむき、無言で首を横に振る。

「会社のことは、ご心配なさらずに。私もここでの勤務は長いのですから……」

 うるさいうるさい。どうせおまえはここを乗っ取るつもりなのだろう。黙れ黙れ。もうなにも考えたくない。

 私はADJ521に背を向け走る。

 ああ。暗い、不穏な考えが私を支配する。感情のコントロールすらできない。私が私でなくなっていく。まったく気味が悪い。


◻︎

 浜辺にした。水色の空もピンクの夕焼けもない、すこしだけ曇り気味の、より現実に近い浜辺。潮風はなくてもいい。あると髪の毛がまとわりついて、気分が良くない。ただ波音だけはざあざあとうるさく響いてくれたらそれでいい。私は湿った砂浜を歩く。足裏に砂がざらりと張りついて気持ちが悪い。素足の設定になど、しなければよかった。

 向かいから母が来る。

「わからないと思った?」

 母の言葉に、私は首を横に振る。

「もうひとり。すこし前からあなたと一緒にドリームコアに来ているわね」

 母が気がつかないわけがない。このドリームコアには使用者の脳波はもちろん、心拍数を取り込んでもいる。

 今、心音は私のなかにふたつある。

「年齢的に一度はと思ってね。IVFをうけたの」

 母や私同様、婚姻をせずにIVF(体外受精)で子を授かるのは一般的であるが、やはり生身である人間のからだにはタイムリミットがある。それにいまや地球上の人口は増え続ける一方なのだから、IVFができるのは四十歳以下と法律で決められている。

「無事に授かれたのね。おめでとう。でも、ずいぶんと迷っているのね」

 私は頷く。

「こわいのよ」

「こわい?」

「自分のからだが変わっていく。違う、何かに。今は感情すらコントロールができていない」

「仕方がないわよ。人をひとり生み出すんだもの」

「守るものもまた増える」

「素敵なことじゃない」

「けれど私は愚か者でしょう。お母さんが残してくれた会社も、自分の子供も、うまく育てていける自信がない」

「あなたはお子ちゃまだけど、愚か者ではない。ねえ。あなたはあなたで、あなた以上ではないのよ。だからもっと、肩の力を抜けばいいの」

「この変化の激しい世に肩の力を抜くことなんてできないよ。生まれたら最期を決めるのが自分になる世の中で、肩の力は抜けない」

「あいかわらず不器用なのね」

「お腹の子もこんな世に、こんな私のもとに生まれてくるなんて、かわいそうなことをしてしまうのかな……」

「その答えを出すのは遥かに先の未来のあなたとその子。どの答えにたどり着きたいのか決めるのは本人。でも受け入れなくちゃなにも始まらない。からだも心も世情も、まず変化を受け入れなくちゃ。たとえば。あなたが今、こうやって私と話ができるのは、それほど最悪なことだった?」

 私は首を横に振る。母の存在が私を生かしてくれた。いない世など考えられない。

「よかった。ほら、変化はこわいことじゃない。あなたのお腹のなかにいる命はあなたがつくる。今、あなたとこうやって話している私はあなたがつくった。変わっているようで変わらない。けれど変わっていくこともまた必然なのよ」

 私は小首を傾げる。変化は必然? けれど変化していない?

「ねえ知ってる? 生命の三つの定義ってやつ。ほら「入れ物がある」「代謝を行う」「子孫を残す」の三つとかいわれているわけでしょう。で。今、人口の過半数をしめる機械体だって、入れ物があり、自発電エネルギーでまわり、自分自身の複製をつくった。ほらね、やっぱり変わっているようでさほど変わらないわね」

 私は破顔した。腹から沸きあがるようにして笑いの声がもれ出る。母が何事かと、目を丸める。

「ごめん。……いやあ、さすがは親子だなって。思考が同じところにあるのね」

「そう? まあ、血は争えないっていうものね。でも、あなたはあなただから。あなたとして生きる意味を見つけて、自分のいる世界を楽しまなくちゃね。けっきょくそれが、この世に生まれてきた一番の課題なのよ」

 母の手が私の頬を包む。小さい頃にしていてくれていたようにそっと、優しく。

「ちなみに私はあなたには、本当に楽しませてもらったわ。私から生まれた、私に似ていて私とは全く異なるもの。私に愛を教えてくれた唯一無二な存在で、いつまでも心配なお子ちゃま」

 母の言葉に胸がくすぐられる。この言葉を聞くことができたのも今、私たちが同じ空間に存在することができているからだ。風が私のからだをゆらりと撫でる。髪の毛が私の顔にまとわりつく。涙をためた私たちの顔を隠すために、母がプログラムを書き換えたのだろう。

 私の感情に連動して、お腹のなかにいる生命が揺れ動いた気がする。私の思考を共有し始めているのかもしれない、この子も生きる意味というものを見つけ始めているのかもしれないと、お腹をさする。

 とんとんと胎動を感じて咄嗟に湧きあがった私の感情は、喜び。

◻︎


「藤堂さん」

 小鳥の囀りのような声かけに、私は振り返る。視線の先に佇んでいるのは、昨年に再入社した七十六歳になるサクラダさん。とはいえ見た目は二十代の華奢な女性だ。

「だいぶお腹が大きくなりましたね。産休は来週からですね」

 サクラダさんは先月、最新式の機械体へとデータ移行した。耳目を驚かされたのは、サクラダさんが選んだのは白玉のような肌の、か細い女性タイプの機械体だったことだ。さらに改名はサクラダマリア。声や話し方も今や、すっかりと女性そのものだ。

「ええ。私が不在のあいだ、よろしくお願いします」

「お任せください。藤堂さん、私たち従業員にもっと甘えてくださいね。ひとりで頑張り過ぎなくてもいいのですよ。機械体だからこそできることも、わかることもありますから」

 私は素直に頷く。「それにおなじ女性同士、助け合いましょうね」と言うサクラダさんに、もと上司の面影はなかった。

「これからも頼りにしています。そういえば、明日はサクラダさんの命日と二つ目のお誕生日でしたね。おめでとうございます」

「ありがとうございます。こうやって今、お礼を述べられることに感謝ですね。歳をとることもこわくはない。いい時代になりました」

 サクラダさんは白玉の肌を手で滑らせながら笑う。

「実は私ね、機械体での第二の人生はしないつもりだったんです。ほら、私はずっと独り身だったでしょう。死ぬまでずっと自分を偽って生きていましたし、どうせ、この先も偽って生きていくのなら、限りある時間のなかで終わりになればいいと思っていたんです。それに、自分が機械になるなんてのもすこし、こわかったんですよ」

「そうでしたか……」

「でも。人間、欲が出るもので。いざ死ぬとなったとき私、アップロードしてくれと子供のように泣き叫んでいました」

「そうなのですね」

「お恥ずかしい。変化することがこわかったのですが、やはりまだ生きていたかった。見たことのない世界も見たくなった。結果、本当によかったです。どうして悩んでいたのかってくらい、私、今の私が大好きなんです」

「私もよかったです。今こうして、変化された本当のサクラダさんと話すことができて」

 サクラダさんは目を細めて柔い笑みを浮かべた。

「そうだ。前に一度お伝えしようと思って、言いそびれていたことがありました。やはりドリームコア事業は、今後も継続していった方がいいと思います。機械体になると自分で仮想世界をつくることはできますが、いかんせん、自分がつくりだしただけの世界なんてものは、つまらない。やはり誰かが手を加えた世界の方が楽しめるものです。そこでどうでしょう。いっそのこと火星に仮想現実ではない実体のドリームコアをつくるというのは。いわゆる、テーマパークというやつですね。事業内容はだいぶ変わりますが、機械体の者は昔よき懐かしい時代に飢えている。とくに火星に移住するのならなおさらです」

 

 見上げた空は青い。その青さは先にある宇宙を知るかように澄みわたり地平線が次の空色を抱えて待っている。私は果てのない草原のなかに佇んでいる。きっとこれから飛ぶのだ。からだに力を入れて飛ぶ。力を緩めれば墜落してしまうから、精一杯拳を握り締め続ける。高くは飛べない。きっと地面すれすれを危うく漂う程度。どうして天高く飛びあがらないのかって、そんな野暮な質問はいらない。だってこれが私のリアル。それ以上になれば、それは私ではない。私には守りたいものがたくさんあるのだから、墜落はできない、許されない。重い荷物を背負って額に汗をかき、不器用にふんばりながら進むしかない。

 不自然なほど真っ白な雲が、遠くでわきたっている。違う。遠くに見えてあれは近い。もうすぐ雷雨になるのかもしれない。そろそろ帰ろうか、と声をあげる。そんなことは関係ないといった様子で私の小さな分身は身をはねさせながら、もうすこしだけ遊ばせてと、こちらに笑顔を向けて走り来る。

 この光景を、遠いむかし、母と一緒に見た。ここは私たちのお気に入りの場所だった。母がプログラムに組み込まれるとき、最後に、もしくは最初に身を置いたドリームコアはなんだったのだろう。なにを思っていたのだろう。聞いたら教えてくれるのだろうか。いや、聞く必要はないのかもしれない。

 それよりも私は、この世界を楽しまなくては意味がない。

 生きてゆく意味が、ここにあるのだから。

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フヘンテキヘンカ 星宮ななえ @hoshimiya_nanae

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