異世界役所の魔民更生課ですが、申請に来た元魔王(美少女)が「働きたくない」とゴネています。 ~【健康で文化的な最低限度の生活】をご希望なら、まずはその魔王城をダンジョン経営して稼いでください~

冬海 凛

第1話 魔王様、ニートでも生活保護は無理でしょ

 バン。バン。バン。


 重厚な石造りの執務室に、決裁印を押す乾いた音が虚しく響く。


「……おい、ゴブ助。その書類は食べるなと言っただろ」


 私は印鑑を握ったまま、隣の席にジト目を向けた。


 そこには、緑色の肌をした小柄な同僚――ゴブリン族・ゴブ助が、住民票の申請書をヤギのようにムシャムシャと咀嚼そしゃくしている姿があった。


「グガ? この紙、うまい。インクがピリッとして、良いスパイスだ」


「インクはスパイスじゃない。それは『ドワーフ鍛冶区』からの騒音苦情の申立書だ。食べると事務処理が遅れて、ドワーフの親方がハンマーを持って殴り込んでくるぞ」


「グ……それは、痛い。いやだ」


 ゴブ助は慌てて口から紙屑を吐き出した。

 よだれまみれになった申立書を見て、私は深く、深くため息をつく。


 この世界には魔法がある。魔物もいる。だが、コピー機はない。この書き直しは、残業対応必須だ……。


 私の名前は、サイトウ・レン。


 この世界――魔族と亜人が暮らす『魔大陸』の『旧魔王領・暫定統治府』魔民更生課に勤める公務員だ。


 といっても、生まれも育ちもこの世界ではない。


 前世の私は、日本という国で、とある市役所の生活保護ケースワーカーをしていた。


 来る日も来る日も、貧困、病気、そして理不尽な要求ハードクレームと向き合った。


 ――忘れもしない、あの日。


『私がパチンコで負けたのは、役所が支給日をズラさないからじゃん! 慰謝料を払え!』


 怒鳴り散らす、通称・女魔王と呼ばれる伝説のクレーマー熟女を相手に、三時間ぶっ通しで頭を下げ続けた直後だった。


 ふと視界が暗転し、激しい胸の痛みと共に意識が途切れ――気づけば、私はこの席に座っていたのだ。


 過労死。そして――異世界転生。


 もし神様がいるなら、労働基準監督署に訴えてやりたい。


 第二の人生くらい、スローライフを送りたかった。だが現実は残酷だ。


 私が持つスキル『事務処理・レベルMAX』と『法規理解・レベルMAX』を見込まれ、転生初日に、この魔界の役所に選ばれてしまったのだから。


「レン、局長が呼んでるグガよ」


 ゴブ助が鼻をほじりながら言った。


 嫌な予感がする。


 私の背筋に、前世で何度も味わった『特大の困難案件』特有の悪寒が走った。


          ◇


 局長室に入ると、そこには巨漢オークが葉巻を吹かして座っていた。


 魔民更生課のボルドン局長だ。


 身長2メートル越え、筋肉の鎧を纏った強面だが、性格は温厚。ただし、面倒な案件を部下に丸投げする手腕だけは超一流だ。


「おう、レン。精が出るな」


「……お褒めにあずかり光栄です。で、今日はどんな無理難題でしょうか? スライム族の住居不定問題ですか? それともハーピー族の近隣騒音トラブル?」


「いや、もっとデカい案件だ。これを見ろ」


 ボルドン局長は、分厚い羊皮紙の束を机の上にドン、と置いた。


 表紙には『特例措置申請書』と書かれている。そして、申請者の名前を見た瞬間、私は自分の目を疑った。


【申請者氏名:ヴェルミナ・アシュタロス】

【職業:第十三代魔王(無職)】


「……局長。これは?」


「見ての通りだ。先の大戦で勇者に敗北し、居城である『魔王城』の最上階に引きこもっている先代女魔王、ヴェルミナ様からの申請だ」


「申請内容は?」


「『生活保護ナマポ』だ」


 私は目眩めまいを覚えた。


 魔王が? 生活保護? 


 異世界転生モノの小説をいくつか読んだことはあるが、こんな世知辛い設定は聞いたことがない。


「勇者に城の宝物庫を略奪され、部下は散り散り。残ったのは修繕費のかさむボロ城と、無駄に高いプライドだけ。現在の所持金はゼロ。魔力も枯渇して魔法も使えんらしい。正真正銘の困窮者だ」


「なら、施設への入所を勧めては? あの城は広すぎて維持費がかかります」


「それがなぁ……『我は魔王ぞ! ウサギ小屋のような施設になど住めるか!』の一点張りでな。訪問した職員を全員、物理的に追い返したそうだ。腐っても、実力は魔王なんだよ。これ以上の申請却下は、死者が出る」


 ボルドン局長はニヤリと笑い、丸太のような腕で私の肩をバシバシと叩いた。


「そこでだ、レン。お前の出番だ。前世で『女魔王』と呼ばれた人間を相手にしていたんだろ? なら適任だ。行ってこい、魔王城へ。そして、調査ケースワークを行い、更生プログラムに乗せるんだ」


 拒否権はなかった。


 局長の背後に控える護衛のトロールが、無言で棍棒を構える姿が視界の片隅に入った――。


          ◇


 魔王城は、旧魔王領・暫定統治府の乗り合い馬車で、二時間の場所にあった。


 かつては世界を恐怖に陥れた闇の根城も、今では外壁が崩れ、堀の水は淀み、窓ガラスの代わりに板が打ち付けられている。


 まるで、地方の寂れた廃墟ホテルのようだ。


 私はスーツのえりを正し、錆びついた巨大な門扉の前に立った。


 インターホンはない。代わりに、門柱にぶら下がっていた『御用の方は銅鑼どらを叩いてください』という張り紙に従い、備え付けのバチで叩く。


 ゴォォォォォン……。

 重苦しい音が響いて数分後。


 ギギギ、と不快な音を立てて扉が少しだけ開いた。隙間から顔を覗かせたのは、ジャージ姿の女だった。


 ボサボサの銀髪に、目元には濃いクマ。着古した『I LOVE MAKAI』というダサいロゴ入りのTシャツに、高校時代の指定ジャージのような小豆色のズボン。


 だが、その顔立ちは整っていた。整いすぎていて、逆に凄みがある。


 そして何より、その深紅の瞳には、私が見覚えのある『あの光』が宿っていた。


 ――他人の事情など一切考慮せず、己の権利のみを主張する、絶対強者の光が。


「……誰だ、貴様」


「初めまして。旧魔王領・暫定統治府から来ました、魔民更生課のサイトウ・レンと申します。生活保護申請の件で、家庭訪問ケースワークに参りました」


 私が名刺を差し出すと、彼女――魔王ヴェルミナは、それを汚いものでも見るようにつまみ上げた。


「ふん、また役人の手先か。何度来ても同じだぞ。我が要求は一つ。『健康で文化的な最低限度の生活』の保障だ! 具体的には、この城の維持管理費全額、最高級魔獣肉の配給、そして最新式の魔導ゲーム機の支給だ!」


 出た。


『魔界戦後基本法』第二十五条(生存権)の誤用だ。


 私は担当者としての極上のスマイルを崩さずに、手元のバインダーを開いた。


「ヴェルミナ様。まず確認させていただきますが、生活保護制度は『自立を助長するための制度』であり、贅沢をするためのものではありません。まず、資産要件の確認です。このお城、資産価値がありますので売却していただく必要があります」


「なっ……!? 売却だと!? ここは我が先祖代々の……!」


「不動産屋の査定によれば、建物は老朽化で価値ゼロですが、土地はそこそこ広いですからね。売却して、家賃四万ゴルド以下の単身用アパートに転居していただきます。それが受給の条件です」


「ふ、ふざけるな! 我を誰だと思っている! 魔王ヴェルミナだぞ!? 貴様のような下級公務員に、指図されるいわれはないわ!」


 ヴェルミナは激昂し、私に掴みかかろうとした。


 その瞬間、彼女の背後に禍々しい黒いオーラが立ち上る――かと思いきや。


 グゥゥゥゥ~~~……キュルル……


 城のホールに、あまりに情けない音が反響した。


 彼女の細い腰のあたりからだ。


「…………ッ!」


 彼女は動きを止め、顔を耳まで真っ赤にしてその場にうずくまった。威厳もへったくれもない。


「……腹が……減った」


「でしょうね。事前情報によれば、三日間、何も食べていないとか」


 私は鞄から、途中のコンビニよろず屋で買ってきた『勇者チップス(コンソメ味)』と『回復ポーション(500mlペットボトル)』を取り出した。


「まずは落ち着いてお話ししましょう。これもケースワーカーの仕事ですから」


 ヴェルミナの目が、ポテトチップスの袋に釘付けになる。


 プライドと食欲の葛藤。


 その姿は、かつて役所の窓口で「金がないからタクシー代を出せ!」と暴れつつも、出されたお茶を誰よりも早く飲み干した、あの熟女と完全に重なった。


 ああ、間違いない。

 ここは異世界だ。魔法もあればモンスターもいる。


 だが、私の仕事は変わらない。


 この、厄介で、面倒で、どうしようもなく人間臭い(魔族だけど)元・女魔王様を、社会復帰させること。


 私の、二度目の『お役所仕事』が、今幕を開けようとしていた――。

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