ピピーッ!ピピーッ! ~光る心、集う陰(かげ)~

純友良幸

お題「光を放つ」「心」「運試し」

 地元公立高校の二年生、北野アカリはちょっとギャルだが、生まれついてのおっちょこちょいだ。


 段差でつまずく。

 柱の角に足の小指をぶつける。

 出先で傘を忘れる。

 宿題なんか息をするように忘れる。

 歩きスマホでDQNな輩にぶつかって因縁をつけられる。


 そんな危なっかしい彼女を陰から守っていた笹川ニシキが、アカリと、ついでに親友の夢原ぴりかを交通事故からかばって右大腿骨を骨折し、入院してしまった。


 それ以来、アカリの生傷は増える一方だった。


 ニシキの代わりにアカリの見守り役を引き受けたぴりかだったが、帰宅後まで彼女をカバーすることはできない。

 それに、生真面目な彼女には「人を笛で操る」ことへの抵抗もあった。


 アカリにしか聞こえない犬笛は、ニシキが自分の存在を悟らせないまま注意を促すためのものだ。

 だが、ぴりかはそれを極力使わず、

「アカリ、危ないよ」

「ちょっと待って、そこ滑る」

「止まって! 先輩が通る」

 と、言葉で声をかけていた。


 アカリはそのたび、「ありがと」と笑って、小さな災難を避けるのだった。


 しかし、そうやって口頭での注意をはじめてから数日たったころ。異変が起こり始めた。


      ※


 そのとき、ぴりかが転んだのはアカリのせいだった――わけではない。

 ただ、アカリのすぐ隣を歩いていただけだ。

「あっ!」


 ふいに足元に転がってきたコーヒーの空き缶を避けきれず、派手にバランスを崩して声を上げたのは、ぴりかの方だった。


「だ、大丈夫!?」


 振り返ったアカリは、いつもの調子で目を丸くしている。本人は無傷だった。


「……大丈夫」


 立ち上がりながら、ぴりかは違和感を覚えた。

 今のは、アカリの不注意ではない。


 少し前から似たようなことが続いていた。

 カラスが咥えていたバナナの皮を、アカリの上ではなく、ぴりかの頭に落とす。

 ぴりかが買ったばかりのクレープを、振り返りざま他の客にぶつかって落としてしまう。

 人混みで誰かに弾き飛ばされるのは、いつもぴりかの方だ。

 なにも小さな不運はいつもアカリに降りかかって当然、とは思わない。

 けれど明らかに、アカリと一緒にいるとぴりか自身が小さな不運に見舞われることが増えていた。


     ※


『それで、夢原は笛を全く使ってないんだ?』

 その夜。いつの間に番号を調べたのか、ぴりかにかかってきた電話でニシキはそう文句を言った。

「……だって、やっぱり人を笛で操るなんてこと、友達としてしたくないよ」

 ぴりかとしてはどこから自分の連絡先が漏れたのかちょっと気にはなったが、ストーカー気質のニシキのことだ、これくらいはどうとでもなるのだろうと追及をあきらめた。


『夢原はそれでいいかもしれないけど、笛を使ってちゃんとアカリに注意を促してくれないと、俺が退院したときに困るんだ。

 いくら鈍いアカリだって、俺の復活と危険を知らせる笛の音が連動していることに気づいてしまうかもしれない』

「それはそうなんだけど……」


 ニシキにいわれても、ぴりかは心理的抵抗からアカリのおっちょこちょいのタイミングに合わせて笛を吹くことができずにいた。

 そのため、たびたびアカリに巻き込まれて一緒に転んだり、怖い先輩にぶつかったりを繰り返していたので、仕方なく「アカリ、危ないよ」「アカリ、気をつけて」と口頭で注意を促していた。

 そして今日、ついにアカリから「ぴりか、最近ちょっとうるさい……」と文句を言われてしまったのだった。


 どうしたらいいんだろう。悩むぴりかは不本意ながらニシキに相談することにした。


「最近さ、アカリに注意してると……時々私の方が怪我することがあるんだけど」


『……ああ』

 少しの沈黙ののち、ニシキの声がほんのわずかに低くなる。


 ぴりかはさらに説明する。


「それとね、ニシキの代わりにアカリが怪我したりしないように注意するようになって気が付いたんだけれど……ちょっとおかしいんだよね。アカリって、意外と……っていうか、よく見ているとそれほど注意力散漫ってわけでもないの。

 だのに、なんだか災難の方があの子めがけて寄ってきているんじゃないかって思えるときがちょくちょくあって……。たとえば、歩いているあの子の足元に空き缶が転がってきたり、カラスが咥えていたゴミを落としていったりとか……単純に注意だけじゃ避けきれない、おっちょこちょいじゃ片付かない小さな“災難”みたいなことも少なくないのに気が付いたのよね。

 で、最近その矛先が私にも向かってきているような感じがするの」


 思いつく限りを話すと、ニシキは低く息を吐いた。


『夢原も、そこまで行っちゃったか』


「何、それ」

 てっきり一笑に付されると思っていた思い付きをまじめに受け止められたような返事に、ぴりかはちょっと驚いた。


『……とにかくな、今のやり方はやめろ』


 ぴりかは眉をひそめた。


「私が注意しないと危ないでしょ」


『だからだよ』


 ニシキは淡々と言った。


『今の状態でアカリにべったりくっいてると、巻き添えになる。

 お前が潰れたら、代わりがいなくなる』


 冷たい言い方だったが、否定できなかった。


『笛を使え。距離を取って守れ。

 あの笛は、余計な存在に気づかれないためのやり方なんだ』


「“余計な存在”って何? なんか話が見えないんだけど?」


『――信じなくていい。聞くだけ聞いてくれ。

 今から話すのは、昔アカリの爺さんから聞いた話だ』


 ニシキは少し間を置いてから言った。


『爺さんの言い方だと、アカリの心は“誘蛾灯”みたいなもんらしい』


「……誘蛾灯?」


『理由は知らない。仕組みもわからない。

 ただ、あいつのまわりには、放っておくと変なもんが寄ってくる』


「変なもん?」


『事故とか、不運とか。狙われてるわけじゃない……まあ、今はそれだけ覚えとけ。

 台風は町を狙うわけじゃないだろ。条件が揃ったところに、来るだけだ』


「……納得はできない」


 ぴりかは正直に言った。


「でも、今のやり方がダメなのはわかった。 隣でうるさく注意してると私までその……変なもん? に目をつけられるってことね」


『信じなくていい。ただ、今のやり方より確実に事故率は下がるはずだ』


「……それ、実証データあるの?」

 ぴりかは突っ込んだ。


『実際、俺は今までなんともなかった』

「骨折ったじゃん」


 ぴりかの指摘に電話の向こうでニシキがぐっと息を詰まらせたのが聞こえた。

 いつもクールに人を見透かすようなポーズをとっているニシキの、そんな様子がおかしくて、ぴりかもちょっと譲歩してやろうという気になる。

「……一回だけだからね」

 と条件をつけた。


『ああ。一回だけでいい、試せ』

 ニシキが答えた。


     ※

 ぴりかとニシキが電話で話した数日後。

 二学期の終業式のあと、アカリがぴりかを誘ってきた。

「ねぇねぇ! 今年は大晦日の夜から神社行こーよ。そんでそのまま年越しで初詣しよ?」


「え……でも、深夜に女の子二人だけって怖くない?」


「だーいじょぶ。越中先輩も一緒に行ってくれるって♪」


「ええ~っ? それじゃ私、余計にお邪魔虫じゃない」


「いいっていいって。つや姫も連れてくから。ね?」


 はしゃいでいるアカリの勢いに押されたのと、自分たちだけで深夜の年越しに参加することへの誘惑に負けて、ぴりかはアカリたちとの二年参りを承諾した。


     ※

 大晦日当日。

 ぴりかはアカリの家に招かれて一緒に年越しそばを食べた後で、迎えに来たアカリの彼氏の越中(こしなか)先輩とアカリの愛犬、キャバリア・スパニエルのつや姫とともに、この辺りでは一番大きな神社へ二年参りに出かけた。


 はじめて訪れた大晦日の夜の神社。人の波は多く、空気は妙に浮き立っていた。

 まだ早い時間とあって、参道にはお祭りの時のように屋台が立ち並んでいる。

 アカリは人ごみにつぶされないようにつや姫を抱えながら、ぴりかや越中先輩とともにそれらの屋台を見て回った。ぴりかはニシキと約束した手前、犬笛を握りしめながらそれをはらはらと見守るが、これだけ人が大勢だと笛を吹くタイミングも難しい。

 案の定、アカリはこぼれていたドリンクの氷に足をとられて転びそうになった。

「あっ! 」

 ぴりかは注意も間に合わず、声をあげてしまったが、次の瞬間、越中先輩がすかさずアカリをつや姫ごと抱えるようにして転倒を防いだ。

「ありがと、せんぱ~い♪ かっこいい~」

 助けられたアカリはきゃっきゃと喜んで越中先輩に抱きついた。越中先輩は耳を真っ赤にしながら「ほら、そんなにはしゃぐとまた転ぶぞ」と言ってアカリを自分からはがすと手を繋いだ。


 ぴりかはそんな二人を見て「やっぱり私、お邪魔だったかな?」と思い、そして今夜のところは越中先輩に任せておけばアカリは大丈夫なんじゃないかと考えていた。


「あ! あっちでおみくじやってる!」

 アカリが目ざとく見つけ、みんなでそれぞれおみくじを引いてみた。アカリは案の定、凶のおみくじを引いた。

「やだ~、もう一回引く!」

 また凶。さらにもう一回。

「えー、また凶! 逆にすごくない?」

 笑いながらおみくじを木の枝に結び付けるアカリを越中先輩はまぶしそうに見つめていた。

「あいつ、なんかネガティブな出来事があっても、いつもああやってケラケラ笑って全然気にしないところがいいんだよな」

 誰に言うともなく、つぶやいた越中先輩の言葉を耳にしたぴりかもつられて赤くなってしまった。実はぴりかも同じことを思っていたのだ。

 アカリはよく周りから「おバカさん」だと言われているが、それは彼女が底抜けに明るくてポジティブなところがそう見せているだけで、決してバカではない。だいたい、ぴりかたちの高校は県内でも結構な進学校なのだ。そこに入学してきているのだから頭だって悪いはずはないのだ。


 参拝客が順番に突ける除夜の鐘も、アカリたちの目の前で受付が締め切られた。


「まあいっか!」

 さっきの越中先輩の言葉もあって、そう言って笑うアカリが、やけに眩しく見えた。

 本当にアカリの存在って光を放ってるよね……。

 ぴりかはふとそう思い、次の瞬間自分イメージにぞくりとした。


 誘蛾灯に群がる羽虫のように……。

 もしかしたら自分や、ニシキや越中先輩でさえも……。


『アカリの心は“誘蛾灯”なんだ』


 数日前のニシキとの会話がよみがえった。

 冗談じゃない、そんなことあるはずない。ぴりかは頭をぶんぶん振って、浮かびかけた不穏な想像を振り払った。


「――そろそろお参りの列に並ぼうか」

 ひとしきり年越しでにぎわう境内を見て回ったあと、越中先輩が腕時計を見て言った。


「あれ? 私たちずいぶんはずれの方まで来ちゃってたのかな」

 ぴりかがふと周りを見渡す。

 いつのまにか、人の気配が薄れていた。

 気づくのとほぼ同時にすぅっと参拝客のざわめきが遠のき、音が消える。

 ぴりかは、ポケットの中の犬笛を握りしめた。

 でも、今頃吹いても意味がないことが、はっきり分かっていた。


「……あーし、ここ来たことない。てか神社にこんな場所あったっけ?」

 アカリもつや姫を抱きながら不安そうにあたりを見回した。


 アカリたちの周りはいつのまにか真っ暗になっていた。

 お互いの顔はおろか、立っている場所もよく見えない。

 この神社は町中にあるから、深夜と言えどもどこかからは明かりが届くはずなのに、まるですっぽりと暗幕に包まれてしまったようだった。



     ※


「あ、みんな、動かないで。今スマホで照らすから!」

 越中先輩がそういってスマホの懐中電灯をつけた。

 暗闇にお互いの顔が浮かんで、みんなすこしホッとする。

 自分も……と、ぴりかが思いついて上着のポケットに手を突っ込んだと同時に着信が来た。

 ニシキだった。


「もしもし? どうしたの?」

『それはこっちのセリフだ。お前ら今どこにいるんだ』


「どこって……」

 ぴりかは心もとなげにあたりを見回す。「どこなんだろ……?」


『アカリにつけといたGPSが唐突に消えたんだ』


 ニシキの声が、少しだけ低くなる。

「GPSってあんたまた……」

 久々にニシキのストーカーっぽい一面をまのあたりにしたぴりかは少しあきれた。

『GPSが切れたってことは……おまえら今、この世のどこにもいないかもしれない』

「ちょっと、それ、どういうこと?」

『“台風が来ちゃったかもしれない”ってことだ』


 ――台風は町を狙うわけじゃないだろ。条件が揃ったところに、来るだけだ。


 ぴりかは以前ニシキが言った事を思い出した。

「それじゃ、私たちどうしたらいいの? 」

 ニシキはしばし沈黙する。

 アカリと越中先輩もぴりかたちのやり取りをじっと見守っている。


『夢原、ちょっとみんなに説明するからスピーカーモードにしてくれ』

 言うとおりにぴりかはスマホをスピーカーモードにした。


『そこがこの世のどこでもないと仮定して……そうだな、午前0時の瞬間に全員でジャンプしろ』

「え? どーゆうこと!?」

 アカリが聞き返す。

『よくあるだろ、年越しのネタでさ。年が変わる瞬間にジャンプして“この瞬間、地球上にいませんでした~”ってやるやつ。

“どこにもない場所”で“どこにもいない”状態になれば、その状態から抜けられるかもしれない』


「……そんなことで本当に戻れるの?」

 ぴりかが確かめるように問いかえす。

「おもしろそうじゃん! やろやろ♪ 運試しだよ!」

 アカリは状況がわかっているのかいないのかノリノリだ。

「他に手もないし……やってみよう」

 越中先輩も半信半疑の様子で賛成した。


『午前0時まであと3分だ。 カウントは俺がとる』

 ニシキがいつの間にか場を仕切っていたが、誰もそれを気にしている余裕はなかった。


『そろそろ来るぞ。15秒前。

 ……10,9,8,7、6,5,4,3,2,1,飛べっ!』


 全員が一斉にジャンプした。期待を込めて。


「……え?」

 時間にして1秒ちょっとというところだったろう。再び足の裏が地面を捉えたのを感じたぴりかがあたりを見回した。


 ――何も起こってはいなかった。

 あたりは先ほどと変わらない、泥のように濃くて深い闇の中だ。

 期待していた分だけ、闇が深くなった気がした。


「……何も……変わってないよな?」

 越中先輩が不安そうにつぶやいた。

「あ~、面白かった♪」

 アカリひとりがきゃっきゃと喜んでいる。


「どういうこと? 全然かわんないよ!?」

『あー……わめくな夢原。俺は“かもしれない”って言っただけで確証があったわけじゃない……しかし困ったな……どうしたら……』

 さすがのニシキも黙り込んでしまった。


「あ~? どしたのつや姫。おしっこ?」

 重い空気になった一同をよそに、アカリは急に腕の中で暴れ出したつや姫に話しかけていた。

「わかったわかった、今おろしたげるから」

 地面におろされたつや姫は突然、駆け出した。


「あ、つや姫!」


 アカリが反射的に追い、越中先輩が一瞬ためらう。

 ぴりかは、その瞬間を見逃さなかった。


「一緒に!」


 確信があったわけではなかった。けれど今はつや姫についていくのが正解だとぴりかは判断した。

 そうして三人がつや姫を追って暗闇の中を走ってゆくと……唐突に喧騒が戻った。

 鐘の音、人の声、冷たい空気。

「……戻れた…のかな」

 越中先輩がつぶやいた。

「……そう……みたい…ですね」

 運動が得意ではないぴりかがぜえぜえと息をしながらそれに答えた。

「ねー! はやく! あーしらも並ぼうよ~。お参り、もうすごい列になってるよ~!」

 少し先の方でつや姫をつかまえたアカリがのんきに手を振っていた。


     ※


 翌朝。初詣からそのままアカリの家に泊まっていたぴりかの元へ、ニシキから電話が来た。


『今回の判断、悪くなかった』

「それ、褒めてる?」

 まずは「あけましておめでとう」じゃないのか? とぴりかは内心つっこみつつ、こいつにそういう常識は通じないのだと思い返した。

『……嫌いじゃない』

「は? それからさ、笹川くんはさんざん犬笛を使えって言ってたけど、あの笛。ああいう状況じゃ、使いどころがなかった」

『俺も、あんな状況まで想定してたわけじゃない』

「じゃあ、やっぱり私は使わない」

『ああ。三が日過ぎたら退院だから。あと少しだけよろしく頼む』

 それだけ言って電話が切れる。


 ぴりかは一緒のこたつで幸せそうに寝落ちしているアカリを見た。


 不運は、たぶん、これからもアカリに集まる。

 でも今は、ここにいる。


「まあ……とりあえず、よかったね」


 ぴりかはアカリのおでこをちょんと指先でつつくと、自分もごろりと横になった。


(了)

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ピピーッ!ピピーッ! ~光る心、集う陰(かげ)~ 純友良幸 @su_min55

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