【1/12完結】隻腕の代理王と、狂った忠臣たちの逆転戦記 ~詰みかけの弱小国を救うため、俺は喜んで『呪い』を喰らう~

@ryoma_

【第1章:覚醒と逆転編】

第1話 詰みかけの状況と、隻腕の決断

窓の外。

鉛色の空から、重く湿った雨が叩きつけている。

石畳を打つ音は、絶え間ない葬送の太鼓だ。


老宰相ヴァインは、公王の寝室の前で立ち尽くす。

心臓が、古い革袋のように軋んだ。

震える指先で、重厚な扉を押し開ける。


むっとする熱気。

煮え立つ薬草の青臭い苦味。

そして、鼻の奥にこびりつく、甘く腐った「死」の匂い。


その向こうで、かつて「鉄獅子」と呼ばれた巨躯が、浅い呼吸を繰り返している。

レムリア公王、エドワード三世。

だが今、その肌は不吉な黒い染みに食い荒らされていた。

もはや、ただの肉塊だ。


「殿下、あまりお傍に……毒気が障ります」


ヴァインは、寝台の脇に立つ背中に声をかけた。

若者は振り返らない。

肘から先がない、右の袖口。

それを左手で強く握りしめている。

隻腕の背中が、雨の音に溶けてしまいそうに小さく見えた。


ヴァインは足音を殺し、若者の耳元へ滑り込む。

骨身に染みるような低い声で告げた。


「西の国境より急報。帝国軍が集結しています。『病気見舞い』という名目で」


若者の肩が、ぴくりと跳ねた。


「見舞いとは名ばかり。軍事的な恫喝です」

「……」

「さらに、教皇国の使節団も到着しました。陛下の病を『不信心の呪い』と断じ、『聖域』の開放を求めています」


水源と魔力源の譲渡。

それは、国を売れと同義だ。


ヴァインは枯れ枝のような指で、主無き「空の玉座」を指した。


「父上は、まだ生きておられます。しかし、国は今この瞬間に死にかけている。殿下……『次期公王』として、決断を」


沈黙。

暖炉の薪が爆ぜる音。

父王の喉が鳴らす、ヒューヒューという笛のような音だけが響く。


「ヴァイン」

「はい」

「父上の容態、どう発表した」


声は低い。だが、震えはない。


「まだ何も。ご判断を仰ごうと」


若者は視線を父の黒ずんだ顔に縫い付けたまま、動かない。

愛慕と責務。

その二つが、胸の中で血を流しながら食い合っている。


ズキン。

幻肢痛だ。

無いはずの右腕が、万力で締め上げられるように痛む。

焼けるような熱。

骨の髄が軋むノイズを、奥歯を噛み締めてねじ伏せる。


ふっ、と若者が息を吐いた。

温度のない声が落ちる。


「公には、『予断を許さないが、山場は越えた』と発表せよ」


ヴァインの眉が跳ねる。

明らかな嘘。

今夜が峠かもしれないのだ。


「殿下、それは……あまりに危険な賭けです。露見すれば――」


「帝国軍にはこう伝えろ」


若者が、不意に振り返った。

底冷えするような理知の光。獲物を狙う猛禽の瞳。


「『気持ちだけ受け取る。次期王候補の私が対応するゆえ、現王との面会は不可』と。穏便に、かつ毅然と撥ねつけろ」

「……ッ」

「教皇国にはこう問え。『呪いとは穏やかではない。まるで事情を知っている口ぶりだが、貴国が何か一枚噛んでいるのか』と」


ヴァインは息を呑んだ。

弱小国が強大国へ吐くには、あまりに不敬な挑発。


「『山場を越えた』と嘘をつけば、裏切り者は焦って尻尾を出す」


若者の目が細められる。


「信頼できる者を使え。情報を集めろ。周辺国、北の古き種族……使える手駒は何でも使う。私の腕一本で済むなら安いものだ」


その覚悟の重さ。

ヴァインは深く頭を垂れた。

この方は、父の死すら政治の道具にする道を選んだのだ。

自らの心を殺して。


「……承知いたしました。あえて虚報を流し、内外の毒を炙り出す。細い糸の上を歩くような真似ですが、座して死ぬよりはマシでしょう」


ヴァインは闇に溶けるように控えていた侍女長リオラ、騎士団長アラリックへ視線を投げる。

彼らは無言で動き出した。

城内に潜む「鼠」を狩るために。


◇ ◇ ◇


数時間後。

謁見の間。

肌に張り付くような湿気。

ステンドグラスを叩く雨音が、耳障りに響く。


教皇国使節、ビショップ・マルクス。

純白の法衣。

その周囲には、鼻の奥を刺す甘ったるい香の煙が立ち込めている。

神聖さを装った、麻薬的な腐臭だ。


重い足音。

若き公王が現れる。

戴冠前。右袖は空虚に揺れている。

だが、玉座に腰を下ろす所作に、一切の躊躇いはない。

背筋は槍のように鋭く、瞳は泥沼のように深い。


「父王は山場を越えた」


若者が言った。

淡々と。広間の隅の埃まで震わせる声で。


「呪いとは穏やかではないな、マルクス殿。まるで事情を知っているようだが、貴国が関わっておられるのか?」


マルクスの聖職者の仮面が、一瞬だけ歪んだ。

蛇だ。

ヴァインは見逃さない。


「……ほう、山場を越えられましたか。それは重畳」


マルクスが口の端を吊り上げる。

目は笑っていない。

爬虫類のような冷たい瞳が、若き王をねっとりと舐め回す。


「教皇国が関与など、滅相もない。ただの専門家としての助言です」


仰々しく頭を下げる。

だが、その背中からどす黒い嘲りが滲み出ている。


「……しかし、殿下。もしそれが『偽りの平穏』であるならば、光神はより過酷な試練を与えられるでしょう」


ピシリ。

空間が凍る錯覚。

脅しだ。

『嘘はバレている』という警告。『次はもっと酷い目に遭わせる』という宣戦布告。


ヴァインは拳を握りしめた。爪が食い込む。

この男は知っている。

いや、この男たちが父王を殺したのか。


マルクスが去る。

謁見の間に残されたのは、甘ったるい香と、吐き気を催すほどの殺意。


若き隻腕の王は、玉座の上で一人。

ズキリと疼く右肩を押さえながら、その残り香を睨みつけていた。

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