クリスマスを終わらせたい!

宮楠

第1話

「クリスマスを終わらせたい……!」

そう言いながら机に突っ伏した私の声を隣の席の有馬ありまくんはしっかり聞いていたらしい。


「……いきなりどうしたの」

頭のすぐ横から少し困ったような声が降ってくる。顔を上げなくてもわかる。有馬くんは今、たぶん眉を下げている。


「どうもしてない。ただの本音」

「本音にしては重くない?」

私は顔を伏せたまま、机に頬を押しつける。


「だってさ……街中全部クリスマスなんだよ?カップルも多いし……ほんと意味わかんない」

「意味はわかるでしょ」

「わかりたくないの!」

顔を上げると案の定、有馬くんは苦笑していた。いつも通りの制服、いつも通りの落ち着いた表情。クラスがそわそわしている中で彼だけが妙に平常運転だ。


視線を巡らせると、前の席では誰かがスマホを見せ合っているし、後ろでは放課後の約束の話で盛り上がっている。教室の空気そのものが浮かれている。


「まあ今日は25日だから仕方ないよね。メリークリスマスだよ」

有馬くんはそう言って肩をすくめた。


「メリークリスマスとか言わないで……その言葉嫌い」

「そうなの?」

「そうなの!」

黒板の上のカレンダーには赤ペンで丸がついた《25》。それだけで負けた気分になるのどうかしてる。


「別に彼氏欲しいとかじゃないんだよ?」

「うん」

「ただ一人だと何もない人みたいに見られるのが嫌」

そこまで言ってはっとする。こんなこと口に出すつもりじゃなかったのに。


でも有馬くんは笑わなかった。からかうでもなく慰めるでもなく、ただ「そっか」と短く言う。


「じゃあさ」

少し間を置いてから彼が続けた。


「二人でいればいいんじゃない?」

「……え?」

間抜けな声が出た。


「今日、僕も特に予定ないし」

「それって……」

「一緒に帰るくらいならできるけど」

心臓がどくんと鳴る。慌てて机の上のノートに視線を落とした。


「それ……慰め?」

「半分はね」

有馬くんはそう言ってほんの少しだけ笑う。


「もう半分は?」

「永瀬さんのクリスマス嫌いを近くで見たい」

私は言葉に詰まってそれから小さく息を吐いた。


「……変な人」

「お互い様でしょ?」

チャイムが鳴り、教室が一気にざわつく。


私は立ち上がりながら有馬くんをちらっと見る。


「……後悔しても知らないから」

「それはそれでいいんじゃない?」

有馬くんはそう言って、いつも通りの調子で鞄を持ち上げた。特別なことなんて何もないただの放課後みたいな顔で。


それが少しだけずるい。


教室を出ると廊下は一気に騒がしくなる。

「じゃあ後で!」とか「駅前集合で!」とか浮ついた声があちこちから聞こえてきた。


「あ〜!もう!ムカつく!」

「何に怒ってるの」

隣を歩きながら有馬くんが相変わらず落ち着いた声で聞いてくる。


「全部!」

「雑だね」

「いいでしょ……!」

靴箱に向かう途中、目に入るのは手を振り合うカップルや楽しそうに笑う友達同士。ひとつひとつはどうでもいいはずなのに今日は全部がちくちく刺さる。


「……さっきのさ」

靴を履き替えながら私はぽつりと言った。


「一緒に帰るって話」

「うん」

有馬くんは靴紐を結びながら顔も上げずに返事をする。


「やっぱり変な誤解とかされたら面倒じゃない?」

「ビビってるの?」

「違うよ……!」

私が言い返すと有馬くんは余裕たっぷりに言った。


「僕はいいよ。永瀬さんが嫌ならやめてもいいけど」

「……やめない」

余裕な有馬くんに少しムカついて、ムッとして答えた。そこから少し間を置いて付け足す。


「私もぼっちは寂しいし」

有馬くんは一瞬だけ目を丸くしてそれから「そっか」と頷いた。


校門を出た瞬間、空気が変わる。街中にある学校のため校門を出たその瞬間から世界のクリスマスに巻き込まれる。


私は思わず眉をひそめた。


「……やっぱり無理かも」

「まだ5秒しか経ってないよ」

有馬くんは隣でクスッと笑う。


「だって見てよ……!完全にあまあまの世界じゃん」

有馬くんは前を見たまま言う。


「周りから見たら僕たちもその一員だと思うよ?」

その言葉に胸の奥がきゅっとなる。反論しようとしてできなくて代わりに足元を見る。


「そういうこと言うかなぁ……」

私が恥ずかしがってるのがなんか悔しい。マフラーに顔を埋めて有馬くんの隣を歩く。


「変なこと言ったかなぁ?」

いつのまにか有馬くんのペースに巻き込まれていて焦る私。でも心地が悪いわけではなかった。


⭐︎


駅へ向かう大通り。街路樹には白い光が巻きついていて昼間とは別の顔をしている。イルミネーションというやつだ。

できれば見たくもないが、都会の帰り道では避けられない。


「……やっぱり人多いね」

私がそう言うと有馬くんは「そうだね」とあっさり返した。

特別な感想もはしゃいだ様子もない。それが逆に助かる。


歩く速度を合わせてくれているのかたまたまなのか。有馬くんとの距離はさっきから変わらない。


「写真とか撮らなくていいの?」

揶揄い混じりで有馬くんが尋ねてくる。


「撮らない」

「即答だね」

「後で恥ずかしくなる」

そう言うと有馬くんは少しだけ笑った。


「永瀬さんは現実的なのかな〜。もっとロマンチックを求めてもいいんじゃない?」

「余計なお世話」

イルミネーションの光が足元の影を長く伸ばす。すれ違う人たちは楽しそうだけどさっきほど気にならない。


「……ねえ」

「なに?」

「有馬くんはこういうの平気なの?」

「こういうの?」

「人多いところとかイベントとか……クリスマスとか」

少し考えてから有馬くんは答えた。


「得意じゃないけど嫌いでもないかな」

「曖昧……」

「本当にそのくらいだからな〜」

私はその言葉を頭の中で転がす。嫌いか好きかどっちかにしないと落ち着かない私とは違う。


「……ずるいなぁ」

「そう?」

「うん。ずるい」

有馬くんは肩をすくめただけで何も言わなかった。


しばらく無言で歩く。でも気まずくはない。むしろ静かでちょうどいい。


⭐︎


イルミネーションの並ぶ通りをようやく抜けた私には更なる試練が待っていた。


「……嘘でしょ」

駅前の広場は予想以上ににぎやかだった。木製の屋台が並びオレンジ色の明かりがぽつぽつと灯っている。小さな看板には《クリスマスマーケット》の文字。


「軽めのやつだね」

有馬くんが周囲を見回しながら言う。


「軽くない……」

「そんな顔するほど?」

「するよ!見るからにイベントじゃん!」

私は反射的に進行方向を変えようとする。できればこのまま遠回りしてでも避けたい。


「あ、ちょっと」

有馬くんが私の動きに気づいて声を上げた。


「避けるでしょ普通!」

「そこまで嫌なんだ」

「嫌に決まってる!」

屋台の方からは甘い匂いが漂ってくる。ホットドリンク、焼き菓子、どこかで鳴っている鈴の音。


全部、今の私には刺激が強すぎる。


「……せっかくだからさ」

有馬くんがいつもより少しだけ柔らかい声で言った。


「見ていかない?」

「え」

「すぐ通り抜けるだけでも」

「やだ」

即答だった。有馬くんは「やっぱり?」みたいに目を瞬かせそれから苦笑する。


「そんなに嫌?」

「そんなに嫌」

私は腕を組んで、屋台の方を見ないように視線を逸らす。


「有馬くんは行きたいの?」

「僕か……うーん」

少し考えてから有馬くんは言った。


「僕は永瀬さんにクリスマスを味合わせたい」

「何それ。嫌がらせ?」

「純粋な興味」

「余計ダメなんだけど……!」

思わず声を荒げた私に有馬くんは声を立てずに笑った。


「じゃあ妥協案を一つ」

「なに」

「端っこだけ通る。立ち止まらない」

「……三十秒」

「短いな」

「延長は罰金だからね!」

しばらく有馬くんを睨んでいると、彼は小さく頷いた。


「分かったよ」

そうして私たちはマーケットの端へと足を踏み入れた。


近くで見ると、思ったより規模は小さい。笑い声も音楽も少しだけ遠い。


「……」

私は無言で歩く。でも有馬くんが隣にいるせいか完全に逃げ出したい気持ちにはならなかった。


「寒くない?」

不意に聞かれる。


「……ちょっと」

「マフラーちゃんと巻いてる?」

「巻いてるよ……」

どうでもいい会話。でもそれが続くのが不思議だった。


屋台の一つに手書きの値札がぶら下がっているのが目に入る。《ホットチョコレート》。


一瞬だけ、目が止まってしまった。


「……飲みたい?」

有馬くんの声が低く落ちる。


「そんなことない……」

即座に否定する。


「そっか。でも僕が飲みたいから飲もうよ。付き合って」

有馬くんはそう言ってホットチョコレートの列に歩き出す。


「えっ……」

私は慌てて有馬くんを追いかける。再び隣に並んで私は呟いた。


「……ねえ」

「なに?」

「約束」

「奢るから。延長料金」

「えっ……」

有馬くんはそれ以上何も言わなかった。ただ少しだけ歩く速度を落とした。


クリスマスを終わらせたい気持ちはまだ胸の中にある。

でもこういう時間まで否定しなくてもいいのかもしれない。そんな考えがほんの一瞬だけ頭をよぎった。


⭐︎


紙カップを受け取った瞬間、手のひらにじんわりとした熱が伝わってきた。


「……熱い」

思わずそう呟くと有馬くんが横で頷く。


「ホットチョコレートだからね」

「そういう意味じゃなくて……」

息を吹きかけながら慎重に一口飲む。甘さが舌に広がって少しだけ気が抜けた。


「……おいしい」

言ってからはっとする。


「今の聞いた?」

「うん」

「聞かなかったことにして」

「ふふっ、無理」

有馬くんは楽しそうでも勝ち誇った様子でもなく、ただ淡々とカップを傾けている。その温度差が少し悔しい。


ホットチョコレートを飲み終える頃にはカップの底に残った甘さよりも胸の奥のざわつきの方が気になっていた。


「……そろそろ行こ」

私がそう言って空のカップをゴミ箱に入れて、駅に向かおうとしたその時。


「待って」

有馬くんが私の袖をつまんだ。


「なに」

振り返ると今度ははっきりと腕を掴まれる。


「延長料金まだ残ってるよね?」

「……え?」

間の抜けた声が出た。


「それはホットチョコレートの時間分……」

「いいじゃん。何円で何分延長かは決めてなかったよね」

有馬くんはさらっと言って私の腕を軽く引いた。


「ちょ、ちょっと……!」

「大丈夫。次で最後」

「信用できないんだけど……!」

有馬くんは私を強く引っ張っていたわけじゃなかった。逃げようと思えば逃げられる程度の力。それなのに私は抵抗しなかった。


奢ってもらった手前これ以上拒否するのもなんか違う気がして。


それに……正直に言えば少しだけ気になっていた。


「……どこ行くの」

「すぐそこ」

連れてこられたのはマーケットの奥の方。さっきまでの飲食屋台とは雰囲気が違う、木造の小さな雑貨店だった。


暖色のライトに照らされた棚には手のひらサイズのオーナメントや、木製の置き物、ガラス細工がぎっしり並んでいる。外の喧騒が嘘みたいに店の前だけ音が柔らかかった。


「……雑貨?」

「うん」

有馬くんは私の反応をちらっと見て少しだけ口角を上げる。


キラキラしすぎてない。騒がしすぎない。それなのにどこかあたたかい。


「入る?帰る?」

「……見るだけだからね」

「了解」

そう言って有馬くんは先に一歩踏み出した。私も少し間を置いてから後に続く。


店の中は思ったより狭くて天井が低い。木の匂いとほんのり甘い香りが混じっている。


棚を見て回るだけなのに不思議と落ち着く。


「……これ」

ふと足が止まった。


小さなガラス製のオーナメント。雪の結晶みたいな形で光を受けると控えめにきらっとする。


「気になる?」

いつのまにか隣にいた有馬くんが覗き込む。


「別に?」

反射的に否定したけど視線は戻らない。


「その割には離さないね」

「……うるさい」

ひんやりしていて軽いそれは触り心地がよかった。


「永瀬さんこういうの好きそう」

「……そうかな」

「うん。派手すぎなくてちょっとかわいいやつ」

「どんなイメージ……?」

そう言いながらオーナメントを元の場所に戻そうとしてやめた。


「……どうしたの?」

有馬くんが不思議そうに聞く。


「見てるだけ」

自分でも驚くくらい素直な声が出た。




次の棚には手作りっぽいブローチや小さな置物。猫の形をした木彫りが並んでいる。


「……かわいい」

口に出した瞬間、はっとした。


「聞いてないよ」

「……聞いてるじゃん」

そう返すと有馬くんは楽しそうに笑った。


「……なんでだろ」

その笑顔を見て思わずぽつりと呟く。


「ん?」

「クリスマス関連なのに……」

嫌いなはずなのに、イベントのはずなのに、なんで楽しめてるんだろう。


「クリスマスってそんな悪いものじゃないよ?」

有馬くんは並べてあったものを手に取りながら言った。取ったのは小さなスノードーム。

中にはツリーもサンタもいなくてただベンチと街灯だけがある。


振ると静かに雪が舞う。有馬くんは私にそれを手渡した。


「…………」

見入ってしまう。


「……悪くないかもね」

また口に出た。今度は誤魔化せなかった。


「でしょ」

有馬くんはどこか満足そうだった。


「クリスマス終わらせたいんじゃなかったっけ」

「……まだ終わらせたいもん」

スノードームを見つめながら私は小さく息を吐いた。


「……でも」

胸の奥がじんわりあたたかい。


「こういうのまで嫌いになる必要なかったのかも」

有馬くんは何も言わずただ私を見る。


「……ねえ」

「なに?」

「延長料金まだ続いてる?」

「……続いてる」

有馬くんは少し笑ってから言った。


「じゃあ……もうちょっとだけ回ろうよ」

「……うん」

クリスマスを終わらせたい気持ちはまだ完全には消えてない。


でもなんで私はこんなに楽しいって思ってるんだろう。


⭐︎


それから私たちは言葉通りにクリスマスマーケットを回った。


屋台を端から端まで制覇するなんて派手なことはしない。

気になるものがあったら少し足を止めて、なかったらそのまま流す。ただそれだけだった。


木彫りのオーナメント。手作りのキャンドル。名前も知らない焼き菓子。


「これ何?」

「さあ?」

「もうちょっと興味持ってよ」

「持ってるよ」

そんなどうでもいい会話ばかりだった。


人混みの中でも有馬くんは自然に私の歩幅に合わせてくれる。近すぎず、離れすぎず。ぶつからない距離。


誰かに見せつけるわけでも特別なことをするわけでもないのに、周りのきらきらした世界から少しだけ切り離された感じがした。


ふと思う。


私、今。「一人じゃない」ってことをちゃんと実感してる。


⭐︎


時計を見ると思っていたより時間が経っていた。


マーケットの端の方に行くと人の声が一段落ち着く。駅はもうすぐそこ。


「……そろそろ行こっか」

私がそう言うと、有馬くんは頷いた。


「うん」

有馬くんは名残惜しいとも寂しいとも言わない。でも歩き出す足取りがさっきより少しだけゆっくりだった気がした。


駅の明かりが近づいてくる。今日が終わる。


クリスマスを終わらせたいと思ってたはずなのに今はなぜか「終わる」って言葉が少しだけ惜しい。


「ここで解散?」

「うん。私はこっち」

指差したホームは有馬くんとは逆方向だ。


「じゃあここまでだね」

「……うん」

一緒に歩いていた時間が急に終わりになる。それが思ったより、落ち着かない。


改札の前。人の流れに押されて立ち止まる場所を探す。


「今日はありがと……奢ってくれたのも」

私が先に口を開いた。


「こちらこそ。僕に付き合ってくれてありがとう」

有馬くんは相変わらず穏やかな声で答える。


「……クリスマスどうだった?」

不意に聞かれて言葉に詰まる。


「どうって……」

「まだ終わらせたい?」

一瞬、答えそうになってやめた。正直な答えは今は出したくなかった。


「……半分くらい」

「そっか」

「そっちは?」

有馬くんは少しだけ目を伏せてから言った。


「楽しかったよ」

それだけなのに胸が跳ねる。


「……高評価だね」

「嘘じゃないよ?」

小さく笑うその笑顔がなんだかいつもより近い気がして。


その時だった。


「夕菜?」

聞き慣れた声に振り返るとクラスの女子が二人、こちらを見て立ち止まっていた。


「……あ」

「え、なに?有馬くんじゃん」

「一緒だったんだ」

一瞬で空気が変わる。視線が言葉以上に雄弁だった。


「偶然だよ」

私が言うより早く有馬くんがそう言った。


「へぇ〜」

含みのある声。まるで私と有馬くんをカップルとして見ているようで。


否定しなきゃって思うのに、否定したらこの時間まで否定するみたいで私は言葉が出なかった。


「じゃあ……お邪魔したら悪いし行くね。じゃあね夕菜」

クラスの女子たちはそう言って去っていった。


残された沈黙が少し重い。


「……ごめん」

私が言う。


「何が?」

「変な誤解されそうで」

「気にしないよ」

「でも……」

有馬くんは改札の向こうを一度見てそれから私を見る。


「今日一緒に帰ったのは事実だし。カップルっぽく見えるのも承知の上でしょ?」

「……そうだけど」

「それに」

少し間を置いて続ける。


「僕は誤解されてもいいって言ったはずだけど」

言葉が胸に落ちるまで時間がかかった。でも落ちた瞬間、胸の奥から温かい感情が流れ込んでくる。


「……ずるい」

「また?」

「今度は本気」

有馬くんは困ったようにでもどこか真剣な目で私を見た。


「永瀬さんは否定してきたほうがいいんじゃないの?誤解されたままだよ?」

「それは……」

答えは出ない。でも逃げるのも違う気がした。


「クリスマスは嫌い。キラキラした街並みも好きにはなってない」

有馬くんはいつもの表情で聞いていた。それがさらに言葉を紡がせる。


「でも……今日の時間までなかったことにするのは嫌」

言葉にした瞬間、胸がどくんと跳ねた。こんなこと言うつもりじゃなかったのに。


「……嫌なんだ」

有馬くんが小さく繰り返す。


「うん」

私は誤魔化さなかった。


「クリスマスは嫌いだし終わらせたいって思ってたし、今でも正直ちょっと苦手だけど」

マフラーの端をぎゅっと掴む。


「でも今日、有馬くんと一緒だった時間は嫌いじゃない」

しんとした空気の中で有馬くんは少しだけ目を伏せていた。


「……ならよかった」

彼は視線を戻していつもより少し低い声で言った。


「……なにそれ。結構勇気出して言ったんだけど」

気恥ずかしくなって少しムッとしながら言う。有馬くんは一瞬きょとんとした顔をしてそれから小さく息を吐いた。


「嬉しいと思ってるよ」

「ほんとに?」

「ほんと」

そう言って少しだけ困ったように笑う。


「伝わってない!私が言ったんだから有馬くんもなんか言って!」

私が意地を張ってそう言うと、有馬くんはさらっと呟いた。あたかも普通のことを言うみたいに。



「僕は永瀬さんといる時間が好きだよ。もちろん今日も」



「え……?」

言葉が追いつかなくてただ間の抜けた声だけが出た。


私が固まっている間も有馬くんはさっきまでと同じ顔をしていた。特別なことを言った自覚がないみたいな顔。


「じゃあ……またね」

その一言で背を向けられてようやく現実に引き戻された。


「……ちょっと!!」

反射的に声を張り上げていた。有馬くんは足を止めてゆっくり振り返る。


「なに?」

本当に不思議そうな顔。


「なにじゃないでしょ……!」

私は改札の前で顔を少し赤らめながら有馬くんに詰め寄った。


「今の何!?」

声が少し裏返った。有馬くんは首を傾げる。


「言葉のままだよ」

「軽すぎない!?」

「そう?」

「そうだよ!」

胸がうるさくて言葉が追いつかない。


「永瀬さんが今日の時間が嫌じゃなかったって言ってくれたから」

淡々とした声なのにちゃんと有馬くんの気持ちが伝わってくる。


「だから僕も言っただけ」

「だけって……」

言葉を探している私をよそに有馬くんは続ける。


「冗談とか揶揄ってるわけじゃないよ」

胸の奥がまたきゅっと締まる。


「今日はクリスマスで」

「……うん」

「永瀬さんはそれが苦手で」

「……うん」

「それでも一緒に過ごして嫌じゃなかった」

「……何が言いたいの」

ひとつひとつ確認するみたいな言い方。


「永瀬さんがそう思ってくれたことが僕は嬉しい。そして僕はそんな時間が好き。それだけだよ」

「……なんでそんな簡単に言えるかなぁ」

小さく呟くと有馬くんは「簡単じゃないよ」と笑った。


改札の向こうで電車の到着を知らせるアナウンスが流れる。現実が戻ってくる。


「じゃあほんとに行くね」

有馬くんはそう言って今度こそ背を向ける。


「……待って」

今度はさっきより小さな声。振り返る有馬くんに私は一歩だけ近づいた。


「……次のクリスマスも有馬くんと一緒なら楽しめるかも」

それだけで精一杯だった。


有馬くんは少し驚いた顔をしてそれからいつもの穏やかな笑顔になる。


「空けとくよ」

改札を通る直前、軽く手を振られた。


「メリークリスマス」

そう言い残して有馬くんは人の流れに紛れていった。


「言わないでって言ったじゃん……」

小さく呟いた声は改札の喧騒にすぐに溶けた。有馬くんの姿はもう人の波に紛れて見えない。


手袋越しにさっきまで掴んでいたマフラーの感触だけが残っている。

ホットチョコレートの甘さも、雑貨屋の静かな光も、全部もう遠い。


なのに胸の奥だけが妙にあたたかい。


終わらせたいと思ってた一日がこんなふうになるなんて思ってなかった。


改札の向こうを見つめながら私は小さく息を吐く。


「……ほんとずるい人」

そう呟いた声はさっきよりずっと柔らかかった。

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