いつまでも忘れない
柚月
いつまでも忘れない
塾からの帰り、白石優士は夜道を歩いていた。
「寒くなるとは聞いていたが、これほどか。」
優士は独り言をつぶやきながらマフラーに顔をうずめる。本格的に冬が始まった街には、しんしんと雪が降っている。
早く家へ帰りたいと思い、優士は足を速めた。ちょうどその瞬間、ギィギィ、と古びたブランコの動く音がかすかに聞こえた。こんな遅い時間、しかも雪が降っているのに誰がいるのだろうと不思議に思い、優士はマフラーに顔をうずめながら音の方向へと目線を向ける。そこには自分と同い年くらいに見える女子がブランコを軽く漕いでいるのが見える。誰だろうと思い、目を凝らすと見覚えのある顔だ。優士の彼女である如月桜だった。彼女はぽつんと一人で雪の降る中ブランコを軽く漕いでいた。でもなぜこんな時間、しかも雪が降っている中、一人でいるんだろうと思い声をかける。
「おーい桜、こんな雪の中、何してるんだ?」
こちらに気づいた桜は
「なんでも。休憩しようかなって」
彼女のもとへ向かいながら優士は聞く、
「雪降ってるし、寒いし早く帰ろうぜ」
「そう?私はこの感じ好きだよ、この、現実と幻想が溶けあった世界みたいな」
「なに言ってるんだよ。明日も学校だし、風邪ひくといけないだろ、帰るぞ」
「優士は優しいね」
彼女は少し寂しそうにつぶやき、ブランコから降り、優士のもとへ来る。
二人は手をつなぎ、他愛もない話をしながら家へ向かう。雪降る中、お互いの手はいつもより温かく感じ、歩くたびに、積もった雪がシャクシャクと心地よい音を奏でる。
曲がり角まで来ると、
「じゃあ私こっちだから、ばいばい」
「いや、もう暗いし送るよ」
この暗い中、女の子一人は心配だ。
「私の家もうすぐそこだし大丈夫だよ、ありがと」
こう言われると無理についていくのも気が引ける。
「じゃあ、またな、気をつけろよ」
僕は桜と別れ、自分の家へ向かう。左手からは桜のぬくもりはとうの昔に消え去り、冷たさだけが残っている。冷たくなった左手をコートにしまい、寒さから逃れるように足早に家へ向かう。雪が止み、雲も消え去った、澄み切った空には三日月が美しく輝いていた。
次の日の朝、優士はいつものように桜を迎えに、彼女の家へと向かった。夜中にはまた雪が降ったらしい、地面には昨日より多くの雪が積もっていた。だが昨日の粉と氷の中間のような綺麗な雪ではなく、二日目の雪特有の氷に近い触感だった。滑ったら危ないななんてことを考えていると周りの建物よりは一回り小さい小麦色のアパートの前まで来ていた。
そのアパートの三階に上りいつものように一番奥の部屋の呼び鈴を鳴らす。はーい、と返ってきた声は、いつもの桜の声ではなく、桜より少し低い彼女の母親の声だった。少し待つと、
「ごめんね、いろいろ忙しくて」
「こちらこそすみません、桜さんを迎えに来ました。」
「あれ、優士くん?桜なら優士君が下で待ってるからと、もう出たわよ」
「え、そうなんですか、わかりました。ありがとうございます」
優士は困惑したまま階段を下りた。特段何かがあったわけではない。じゃあ、なぜ桜は、母親に嘘をついてまで先に学校に向かったのか。疑問が払拭されたわけじゃないが、学校にで彼女に直接聞けばいいと思い、特段深くは考えなかった。
その日、彼女は学校に来なかった。
学校が桜が行方不明になったと思っているというのを聞いたのは学校が終わり、塾へ向かうための電車を夕日が暮れる駅のホームで待っている時だった。突然来た母親からの
「桜ちゃん、朝家を出たっきり連絡取れないんだって。今学校の保護者グループ、その話題で持ちきりよ」
というメッセージ。
桜はまじめな生徒で、学校を無断で休んだことは今まで一度もなっかたのもあり、学校は桜の身に何かあったのではと考えているらしい。高校生なら別に一日学校無断で休むことなんて、そんな大問題じゃないだろと思いながら、「確かに桜っぽくないけど、別にそのくらいよくあることだろ」とメッセージを返す。
確かに、今までの桜からは考えられない行動ではあるが、高校生なら色々あるし、ちょっと一人になりたいときもあるだろうと胸騒ぎが全くないわけじゃなかったが、そこまで深くは考えないようにしていた。少し暑くなってきてマフラーを外していると、電車がホームに近づいたというアナウンスが流れた。優士がスマホをポッケにしまおうとしたと同時に一件のメッセージが届いた。
母親からのメッセージだと思い、何か進展があったのかなとスマホを開くと桜からのメッセージが届いていた。開くと、
「優士、今日は学校も無断で休んで、連絡もしなくてごめん。でももう気持ちの整理がついたから。大切な話があるの。昨日の公園で待ってる...
全てを読み終える前に優士は公園へ走り始めていた。
「桜...」
「優士...」
「「会いたい」」
気が付いたら、公園の目の前にいた。自分でもなんでか分からない。たった一日連絡が取れなかっただけなのに、なんでこんなに急いできたのか、塾もすっぽかして、詳しいことを聞く前に体が勝手に動き出していた。でもそれは、きっと自分自身も知らないうちに桜は自分が思っている以上に僕にとってかけがえのない存在になっていたからなんだと思う。
彼女は言った、大切な話があると。
息を整え、覚悟を決め僕は公園へ一歩を踏み出した。桜は公園の端で夕陽を見ていた。桜の背中に向かって、
「桜!」
彼女は、ゆっくりと振り返った。夕暮れに隠れ、彼女の表情は見えなかったが、彼女の声は、体は、震えていた。
「優士、突然呼び出したのに来てくれてありがとう。」
「何かあった...」
「優士はさ、夢とかある?」
「え?急にどうしたの?」
「私はさ、無いんだ。死にたいとか、生きたいとかそういうのわかんない。別に死にたい特別な理由があるわけじゃない。でも別に何か生きていたい特別な理由があるわけでもないんだ。昔からそう、毎日毎日何もない、ただ生きてるだけ。」
輝きが桜の頬を伝っていた。優士は、なんていえばいいのか分からなかった。
「でも優士と会って、恋人になってからはすごく幸せだった。私が高校に転校してきたとき田舎者だからっていじめられてた時、優士は言ってくれたよね、
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なんでお前、周りの人間が自分の事助けてくれると思ってるんだ?なんで耐えてればいつか、誰かが助けてくれると思ってるんだ。なんでそんな他力本願なんだ。誰もお前の事なんて助けてくれないぞ。みんな結局自分が一番大事だからな。大人は面倒事に巻き込まれたくない、クラスメイトは自分がいじめの対象になりたくない。だから今まで誰もお前を助けなかったし、これからも助けない。みんなそんなお人好しじゃないんだよ。俺も別にお前を自分から助けるほどお人好しじゃない。」
「でももしお前が「助けて」と俺に助けを求めてきても傍観し続けるほど腐ってもいない。お前はどうする?」
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「あの時はさ、こいつ絶対性格よくないだろって思ったよ。だけどさあの時はどんな綺麗事よりもあの言葉の方が私を救ってくれた。その後私が助けてって言ったらさ、実際優士は私をいじめから救ってくれたよね。そして私はあなたに恋をした。」
彼女の頬からは輝きが滴った。
「私はさ、きっとこの先生きてても今より幸せなことなんてないと思う。この先、幸せが無いなら私はこの幸せに浸ったまま、終わりたい。」
夕陽が沈み、彼女の表情が見えるようになってきた。
桜は無理やり笑顔を作って言った
「ねぇ優士、私と死のうよ」
優士は表情を変えなかった。彼女はきっと僕とは比べ物にならないほどの重りを背負っているのだと思う。彼女の気持ちも選択も、僕には否定できない。
十数秒の沈黙の後に桜は無理やり言った。
「なんてね、全部嘘だ...」
「いいよ」
え、。彼女の表情はひきつった笑顔から、純粋な驚きに変わった。信じられないという表情で僕を見た。
「僕にも、生きたい理由なんでたいそうなものはないし、今までだって親に言われたとおりに生きてきただけだったよ。そんな俺が世界で一番大切な人の命を懸けたお願いに応えられるのなら、本望だと思わない?」
優士は微笑みに少しの悲しみを含んだ表情で言った。
桜は、気持ちを抑えきれずに、大粒の涙をこぼしながら嘆いた、
「なんで、なんで優士はいつもそんなに優しいの。そんなこと言われたら絶対に忘れられないじゃん。」
優士は、桜のもとへ歩み寄り、抱きしめながら言った。
「僕には君の苦悩はわからない。どんな気持ちで、どんな苦悩があるのかもわからない。でも、たとえ君に何があっても、僕は君を愛しているよ。」
二人は公園の端にあるベンチに腰を下ろした。彼女は最初こそ、泣いていたが、少しずつ落ち着いていった。
「私の両親は私が小さいときに離婚したんだよね、パパの不倫が原因で」
「それからママはずっと女手一つで私を育ててくれた。ほかの家庭との差を感じたことがなかったと言ったら嘘になるけど、それでも私は生活に不満はなかったし、なによりママが一番大変だったのはよく知ってたから不満なんて言えなかった。夜中、私が寝た後一人で泣いていたのも知ってる。私はそんなママへのできる限りの恩返しとして、勉強も頑張ったつもりだし、ママが給料の良い
彼女の声はもう震えてはいなかった。
「ママ、数か月前くらいから、職場で新しい彼氏と付き合い始めてさ」
彼女は悲しそうな顔をして言った。
「ちょうどその彼氏が今週末県外へ転勤するんだって。ママはその人に付いて行きたいらしくてさ、でもそんなときではママは私が引っ越しに不安を感じるなら付いてはいかないって言ってくれてさ。でも今までママにたくさん迷惑かけてきてママがどれくらい苦しんだのかも知ってるから引っ越したくない、まだこの街に居たいって言えなくてさ」
彼女はすすり泣きながら言った。
「きっとママも私の事考えて、それで相手を見つけた方が良いと思ったんだと思う。相手はママに子供がいるのも知って付き合ってるらしいし、やっぱりお金がすべてじゃないけど、お金があることで得られる幸せがあるのも事実だから。明日からは引っ越しの手伝いとかがあるから、今日が最後の学校の予定だったんだ。」
「そっか」
僕にはそれしか言えなかった。
「なんかどうしたらいいんだろうって」
彼女はズボンのすそを強くつかんだ。
「私、今まで何か生きててよかったなって思うことなかったの。でも優士と出会えて、一緒に時間を過ごして、お互いの事よく知って、初めて生きててよかった、幸せだなって思ったの。」
「だから最後くらいは、少しでも冷たくあしらってもらって、忘れようとしたの?」
僕は聞いた。
彼女は否定しなかった。
「そっか、ごめんね、今まで気づいてあげれなくて。僕たちはまだ高校生だもんね。一人で生きていくには早すぎるかもね。」
空から夕暮れの三文字は消え去り、美しい月だけが僕たちを照らしていた。
僕たちはまだ子供だ。無力な子供だ。でもそんな僕でも愛した人の事は悲しませたくない。
「桜、少し歩かない?」
僕たちは、手をつなぎながら歩き始めた。
二人の間に言葉はない。今はただお互いの手のぬくもりを感じている。僕たちにとっては破天荒な一日でも、街はいつも通り動いているのを表すように、人の笑い声、電気のついた家々、車の走る音はそこに存在している。月明りだけが照らす夜道を歩いていると、小さな海岸線に出た。徒歩でしか来れないこの場所に来る人はほとんどいない。静寂の中に、二人の鼓動とさざ波の音だけが溶けていく。僕たちは防波堤に腰を下ろす。
二人の間にある静寂を破るように桜が言葉を発した。
「ありがとう優士。私やっぱりすごい幸せ。優士には感謝してもしきれないよ」
平然を装るのは優士にはもう限界だった。悲しみがこぼれた。
「俺も嫌だよ、桜と別れたくない、ずっとそばにいて欲しいし、この先もずっと一緒にいたかった。でも僕たちじゃどうしようもないんだ」
優士は大声で泣いた。
「ねぇ、優士」
桜は悲しみをこらえながらささやくように言った。
「愛してる」
彼女は自分の唇を僕の唇に重ねた。
最後のキスは、海水のようなしょっぱさがあった。
桜は立ち上がり、僕の方に手を伸ばす。
「帰ろっか、きっとママ達も心配してる」
今彼女の手をつかんだらそれはきっと二人の関係の終わりを意味するんだと思う。彼女は遠くへ引っ越し、僕はこの街で今まで通りに過ごす、そんなことを決定づける行為だ。僕はそんなの嫌だった、ずっと一緒に居たかったし、この先もきっと一緒に居られると思っていた。でも彼女は覚悟を決めた顔をしていた。
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