ep17 浄化の旅
ぱっと目が覚めて、その勢いのままむくりと上体を起こした。
昨日は、ただ事実をセリアスに話して、それから先は夕餉を食べる気力も湧かずに眠った。
セリアスはただ隣で黙って抱きしめてくれた。
それがどれだけ心強かったのか、今朝の気分が教えてくれた。
――ぜったい、女神になんか負けてたまるか。
朝一から、決意を新たに頬をパチンと張った。
「ヒナタ…?」
少し驚いたようにこちらを見るセリアスに、にっと笑う。
「おはよ、セリアス。お腹すいたから、ご飯たべよ。」
一晩眠れば、沈んでいた思考も少しだけ整理された。
セリアスが安心したような表情を浮かべる。
少し昨日は混乱していたから、心配させてしまったらしい。
感謝と同時に愛しさを感じて、ぎゅうぎゅうと抱きついて、ぐりぐりと頭を押し付けた。
くすくすと笑いながら、甘さが滲む声でヒナ、と少し間延びしたように呼ばれて、胸の奥がほどけた。
「元気になってよかった。」
「うん、俺、負けないから。」
ここしばらく頭を占めていた陰鬱な考えはとりあえず放ることにした。
なぜこの世界の人は苦しみ、女神はそれをただ眺めていられるのか。
どうして、“水の穢れ”などと遠回しなことをして、他人の口を借りてまで怒るのか。
ずっとそういった思いが根底にあった。
きっと少し気合いを入れすぎて、“らしく”なかったのだ。
今考えても仕方ない。そう思うと、自然と肩の力が抜けた。
セリアスの温もりが、いつも背中を押してくれる。
「頑張ろうね、セリアス。」
「……ああ。私も頑張ろう。」
セリアスも笑って頷いた。
むくむくと負けず嫌いが顔を出す。――もう、やるしかない。
きっとこのもやもやは、行動でもってしか解消されない。
やけくそに近いかもしれないが、成せば成る。そう自分に言い聞かせ、気を引き締めた。
はじめに向かった泉は、いわゆる本殿のお膝元の泉だった。
ここで一番はじめに穢れが出た事に、神殿の人たちは何も思わなかったのだろうか。すこし呆れる。
「ヒナタ様。この地域ではこの泉と、すこし離れた西の泉がこの状態でございます。――どうか、お救いください。」
片膝をついて頭を下げるのは、神官服を着たエルミトだ。
初めて見るそのきりっとした佇まいに感心する。昨日の言葉そのままに、彼は朝から本殿の神官たちを取り仕切っていた。
神官長は昨日から体調不良で寝込んでいるそうだ。
それでもエルミトが代わって指揮を取ることに、不満は出ていないようだった。
神殿が、長いあいだ一人の支配下にあったのだと察する。
だが、エルミトの様子を見て、神殿も今後変わっていくのかもしれない――そんなことを思いながら、泉に触れた。
どろりとした緑の水は、それだけで怖気がはしるほど不気味だ。
こんな水で人が生きられるはずもない。これが井戸水などにも湧いているかと思うとぞっとする。
ただすべての人々の幸せを祈る。
瞼を閉じて祈った数拍後、瞼越しに光の眩しさを感じて、浄化が成功したことを知る。
わ、と周囲から遅れて歓声があがった。
そっと目をあけると、きらきらと陽の光に反射する綺麗な湖面が見えて、すこし感動した。
きっと、これで生き抜ける人がいる。
そう思えば偉業を成し遂げた気分になって、セリアスを見上げた。
「……ヒナタ。」
なにもかも、全て凝縮されているような声だった。
「頑張りましたね。」
ルーエンも誇らしそうに笑ってくれて、ほっと息をつけば、すぐに抱きしめてくるセリアスがかわいい。
「ありがとうございます、神子さま……」
セリアスの背中越しに目があったエルミトは、笑いながら涙を流していた。
顔を合わせるたびに泣いている気がするが、今日は仕方ないだろう。
セリアスとのこんな光景を見せて恋心は大丈夫だろうか、と少しばかり気になったが、エルミトの目にそういった感情は見えなかった。
元より自分が介入すべきところでもない。
二つの泉が浄化に成功した――その知らせは瞬く間に地域全体へ広がって、夜には宴が開かれた。
陽気な音楽が流れる。各々好きな被り物をかぶって楽しむのが、この地域の習性らしい。
「ばっか、おめー、下手だな!」
踊る村人に混じって見よう見まねで一緒に盛り上がれば、下手すぎて揶揄われた。
「いや、めっちゃ踊れてるっしょ!」
なんとなく、学生のような心地に戻って、適当に交流をしながら楽しんだ。
こんなふうに笑っていい世界なのだと感じて、初めてきちんとこの世界に触れられた気がした。
「ちょっと…!ヒナタ、あんまりあっちこっち行かないで。そろそろ怒られそうなんだけど。」
リスの被り物を被ったエルミトが小声で囁いてくる。
昼間の態度はどこへやら、すっかり気安いそれに嬉しさを覚えた。
「えー…。せっかく楽しいのに。」
「立場ってものを考えてよ…!何かあったら、僕がセリアス様に殺されそう。」
小さく叫ばれたそれに、セリアスに限ってそんなことはない、と思うが立場を考えたらもっともな言葉だった。
今日も本当は参加できないところを、エルミトが何とか取りなしてくれたのだ。
「分かったよ。わがまま言ってごめんな。もう帰る。」
「そうして。……ごめんね。」
小さく付け加えられた言葉に笑う。
「いいや。むしろ、連れ出してくれてありがとな。気晴らしになって楽しかった。」
昨日、この世の終わりのような顔で水を求めていた人たちが、こんなに晴れやかな顔をしている。
それを見れただけで十分にいい気分だった。
どんちゃん騒ぎをする人たちの手元にあるのは水だ。
今まで水が不足していれば、それだけで酒にも勝る飲み物なのかもしれなかった。
そもそも情勢を考えれば、酒など貴重品なのかもしれない。
どこかの記憶で、酒でへべれけになりながら騒ぐ大人の姿がよぎった。
そのうちに、そういった未来があればいいな、と思う。
「このまま、ずっと平和だったらいいのに。」
思わず呟くと、エルミトが服の袖を握ってきた。
「嫌なこと、言うかもだけど……水の問題があるまでは、他国との戦争があとを絶たなかったんだ。
だから……逆に言えば、苦しんでても、今が一番死亡者が少ない。」
ざくり、と二人の足音が沈黙に響いた。
徐々に遠ざかる祭りの喧騒を聞きながら、被り物を剥いだ。
何の被り物だったか――たしか、一番一般的な狼のものだ。押し込めていた髪に風が通って心地いい。
すっかり暗くなった森の道は、祭りの余韻がなければ少し不気味に思うかもしれないほど静かだった。
「変わらないかなあ……」
さっきまでの熱気が嘘みたいに、胸の奥の重みがまた顔を出す。
「……難しいかも。」
「そっか……」
この世界のことは、この世界の人たちにしか分からない。
「でも“穢れ”は浄化したほうが助かるよな?」
「もちろん!」
間髪入れず、エルミトが叫んだ。笑って頷く。
「それなら、俺にできることをする。」
「……うん、ありがとう。水がないと、戦争の時より、普段の生活に苦しむぶん暴動が起きやすいんだ。」
「頑張るよ。」
「ぼくも、頑張るね。」
「おう。お前、けっこう頼りになりそうだし。」
にっと笑えば、ぷい、と顔を逸らされた。
恥ずかしがり屋なんだろう。こういうタイプは追撃するとすごく怒られる。
黙って歩き続けて、神殿の客室前に着いたとき、小さい声で言われた。
「……ヒナタも、頼りになるよ。」
振り向いたら、すでにそれなりに離れた場所に背中があった。移動が早い。
何となく笑いながら、扉を開けると、目の前にセリアスが居て思わず身体が跳ねた。
「びっくりした。なにやってんの。」
「そろそろ、帰ってくる頃かと思っていた。」
タイミングがよすぎる。いったいいつから待っていたのだろう。
「心配かけてごめんね。村の皆、楽しそうだった。見れてよかった。」
「落ち着かなかったから、今度は私と二人で行ける時にしてほしい。」
「うん、ごめん、そうするね。」
セリアスの心配性は外に出てから顕著になっている気がする。きっと情勢が良くないからだろう。
「大丈夫だよ、どこにも行かない。」
背中を叩くと、いっそう強く抱きしめられて笑いが漏れる。
けらけら笑っていると、そのまま抱き上げられて、ソファに降ろされる。
「今日は、何があった?」
顔中に降りてくる口付けをくすぐったく思いながら、幸せが満ちる。
「うん、皆見たことない踊りを踊っていてね――、」
胸に顔を預けながら、今日の出来事を話す。
場所は違ってもいつもの日常だ。
いつも、セリアスとの時間が心を整えてくれる。
だから、いつも、明日もきっと頑張れる。
毎日そう自分に言い聞かせられるのは、セリアスのおかげだった。
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