ep9.5 ここにいる

 この世界にきてから、一番気持ちが穏やかな朝だった。

 ゆっくりと背を伸ばす。


 セリアスの姿はもうそこになかったが、ベッドのサイドテーブルにメッセージカードがあった。

 その隣には、手のひらサイズの手帳とペン。

 

 “おはよう。朝餉にはまた顔を出すよ。君を想って。――セリアス”


 ――なんてキザな。でも似合う。

 相手は、仮にも王子だ。しかも長髪の似合う美貌の王子。はまりすぎている。

 自分には一生真似できない、とヒナタは思った。まず字が汚いから、きっとそこで甘い空気が霧散する。

 

 昨日は、話しながら何度も啄むようなキスをして――そのまま眠ってしまった。

 

 不思議な気持ちだった。

 今まで恋愛とは無縁で、そういった気持ちにもなった事がない。訳もなく高揚するそれが、ひどく心地いいものだと初めて知った。


 コンコン、とノックが鳴ってミレナが入ってくる。

 

「おはようございます、ヒナタ様」

「おはよう、ミレナ。いい天気だね。」

 笑顔を向けると、ミレナはうっと涙を堪える顔をして、ヒナタをぎゅっと抱きしめてきた。

 

 ――みんな、優しいなぁ…。

 ミレナは昨日の事情をもう知っているのだろう。

 昨日の状況を知っているミレナとルーエンには、セリアスから事情を伝えてもらうようにお願いしていた。

 甘えていると思ったが、自分から事情を話すのは気が引けたからだ。

 

「ヒナタ様、いつでもミレナを頼ってくださいませね。」

「ありがとう、ミレナ。……いつも頼ってるよ。ミレナといると、ほっとする。本当にありがとう。」

 

 彼女は、いつも母のような暖かさをくれている。

 本心で笑って言えば、ミレナは感極まったようで、いっそうぎゅっと強く抱きしめてきた。

 

 「さあ、湯浴みの準備をいたしますよ!昨日はそのまま眠られてしまいましたからね。それまで朝餉はお預けです!」

 早口でそう言いながら背を向けた時に、目の端を指で拭っていたのには、見ないふりをした。


 あたたかい気持ちで見送ったあと、ふと、テーブルの上に立派な装丁の本を見つける。

 表紙に書かれたタイトルをそっと指でなぞる。


 “チキュウと、ここに記された人々に――祝福と、ふたりの祈りを。”


 ぺらぺらとめくると、すでに綺麗に清書された文字が並んでいた。

 

 ――いったい、いつ書いたんだろう。

 夢うつつに話したことまで書き添えてある。ほんとうに、マメな男だと思う。

 

 あとでミレナに、小さな缶か箱がないか聞いてみよう――たぶん、折に触れてメッセージカードを書いてくれそうな気がするから。


 ふと窓を見ると、綺麗な青空が広がっていた。


 紙ヒコーキを飛ばしてはしゃいだ記憶がよみがえる。不器用な自分のヒコーキはいつもビリだった。

 一緒に遊んだのは誰なんだろう。でもきっとお互い楽しかったに違いない。


 その人も、どこかの空の下で、幸せに生きていたらいい。


 この世界の青い空にも、今度紙ヒコーキを飛ばしてみようか、とヒナタは思った。

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