ep5 ここはここ

 王宮で暮らし始めて、三ヶ月が経った。

 

 ふいに“ゲーム”という単語をすでに忘れ始めていた事に気がついた。

 夜更かしする理由もなくなって、規則正しい生活が続いている。

 

 この世界では馬鹿騒ぎすることもなくなったせいか、言葉遣いすら多少落ち着いた気がする。

 違和感を覚える回数が、いつの間にか減っていく。

 だんだんと、この世界の空気に染まっていっている気がした。

 

 毎朝、ふかふかのベッドを軽く触って確かめる癖はまだ抜けないが、朝起きればミレナが朝食を持ってきてくれる。

 洋食ばかりでも相変わらずご飯は美味しいし、ミレナはいつも優しい。“さん”付けを嫌がられてからは、自然とミレナと呼ぶようになった。

 

 いつ休んでいるんだろう、と心配にはなるが「なるべく休んでね」とだけ伝えたら尋常じゃなく感謝された。

 何だかいたたまれない気持ちになったので、あれからはあまり言わないようにしている。大人の仕事に口を出しちゃいけないのは世の常だ。

 

 最近、王様や王妃様、それに第一王子にも会った。

 威厳たっぷりの風貌は緊張しかしなかったが、いい人たちでこちらが戸惑うくらい優しく接してくれた。

 紺藍の長い髪と、同色の瞳をもった第一王子、アスティル=エアリアは言った。


 「こちらの事情に巻き込んでしまって、大変申し訳なく思う。ヒナタ殿が不便を感じないよう取り計らうので何かあれば言ってほしい。」

 

 兄弟だな、と思った。セリアスと同じようなことを言っている。

 隙がないとはきっとこういった雰囲気をさすのだろう。まさに冷静沈着そのもので、横暴を言ってくるような気配も感じない。

 とりあえずは、生活の基盤を築けていることにほっとする。

 

「ヒナタ!」

 

 セリアスは今日も相変わらず大型犬だ。また尻尾の幻覚が見えそうになる。

 先ほど朝食も一緒にとったのに、まるで数日ぶりに会ったかのような喜びようだった。

 

「セリアス。」

「待たせたな。学習室へ行こう。」

 

 自然な動作で抱きしめてくる美貌の王子に初めは戸惑ったが、日々のことなのでもはや慣れてしまった。

 そういう人種なのだろう、と思って受け入れている。たぶん、いわゆる人たらしってやつだ。

 何かにつけ世話を焼きたがって、ヒナタのやること、行くこと、興味のあること、何でも知りたがる。そしてどこにでも着いてくる。

 

 政務や神官の仕事は大丈夫なのかと心配したら、ミレナが笑いながら教えてくれた。

 

 『殿下はヒナタ様付きの神官様なので、大丈夫ですよ。

 それに、ご政務なども他のお時間にしっかりなさっておいでです。とても優秀なお方ですから。

 殿下は、穏やかな雰囲気をお持ちですが、本来は人々が容易に声をかけられぬほど静謐なお方です。

 近くにいると背筋が伸びると申す者も多いのですよ。』


 それを聞いた時、いまいち信じられないような感情が隠しきれずに伝わったのだろう。

 

 『あのようなご様子は――ふふ、すみません、ヒナタ様の前だけですので。』

 

 途中で堪えられないようにミレナが笑ったから、それでなんとなく満足した。

 子供のように笑われるのは自分だけじゃない。セリアスも同類だ。勝手に仲間意識をもったのは、本人にも言っていない。

 

「な、セリアス。今度神官の仕事こっそり見てもいい?」

「それはかまわないが……なにかあったか?」

 

「普段と雰囲気違うって聞いたから。気になって。ちょっと見てみたい。」

 近寄りがたいセリアス像など、いまいち想像できない。純粋な好奇心だ。

 セリアスが少し微妙な顔をした。

 

「……そのような目的で来ると言われると、気になってしまいそうだ。」

 発された言葉は相変わらず素直だ。

 確かにバイト中に友達が冷やかしに来ると調子が狂うし照れくさい。見る機会があればにしよう、と思った。

 

「今日は初めて魔法の実技だな。」

 少し誤魔化すようにセリアスが続けた。

 

「そう、結構楽しみでさ。魔法なんて、俺の世界にはなかったから。」

 

 もとから特にファンタジー世界に憧れをもったことなどない。

 創作物でそれに触れて楽しむことはあっても、その世界に行きたいと夢想した事はなかった。わりと現実主義だったからだ。

 

 けれど、目の前に魔法という存在があるなら別だ。

 どんなものなのか見てみたくてワクワクする。

 もしかして、額からビームとか出せてしまったりするんだろうか。試すのが許されるなら、ぜひ出してみたい。目とか無駄に光らせてみたい。

 

 ただ――こちらの世界に来てから、“魔法”をあまり感じたことはなかった。

 灯りなどに魔道具が使われていることは教えてもらったが、操作するのはミレナだし、実のところ元の世界の照明と変わらず受け止めていた。

 変わった魔道具を見るたび、説明を受けてこれみよがしに感心するくらいだ。

 緻密な細工などは見た目で理解できても難しいことは分からないし、鑑定番組的なノリもこっちの世界じゃ伝わらない。

 

 魔法を見せてほしいと思わないでもなかったが、世界の情勢を聞きかじってしまうとそれも躊躇われた。

 

 この世界で、魔力とは武力の象徴だ。

 今は世界的な危機で落ち着いているようでも、戦争だって珍しくない世界だ。

 魔法が娯楽や些事に使われることはないようだった。魔力を遊びで使って、本番でガス欠じゃ意味がない。きっとそういう理屈なんだろう。

 訓練などは行っているようだが、知識のない自分が見学して、万が一危険があったら問題になることは目に見えている。だから、なんとなく魔法に関しては口を噤んでいた。

 でも、自分がやるとなると一気に現実味を帯びてくる。――それに。

 

「本当に、そろそろ何か役に立たないと……ルーエン先生にも申し訳ないし……」

「ああ……」

 彼の姿を思い出したのだろう。

 いつもは甘いセリアスも『そんなことはない』とは言わず、どこか気まずげに目線を逸らした。

 なにか思うところがあるようだ。自分も思うところだらけなので文句はない。

 

「私も一緒に努力しよう。」

「いや、それはたぶん解決できないから。」

 真剣に言ったセリアスに思わずつっこんだ。

 そう、それでは解決できない。自分の努力しかないのは分かっている。ただ、分かっているのと実際の出来事は別物だ。


 それは、前の世界でも散々戦ってきた敵だ。

 そいつはすごく強敵で自分以外倒せない――“勉強”という名の敵だった。

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