伝説の剣は鰤出刃でした ~元料理人がダンジョンで覚醒し魔王を餌付けしてしまった話~

よつ葉あき

1.転移トラップ


「――フェルッ!!」


 おじさんの叫びが響いた瞬間、視界が真っ青な光に弾けた。

 光の向こう側で、おじさんが必死にこちらへ手を伸ばしているのが見える。


 僕も全力で腕を伸ばす──。


 しかし、指先が触れたかどうかという刹那、世界はぷつりと途切れた。


 次に気づいたときには、すでにおじさんの姿はどこにもなかった。


 ◇


「──はぁ、はぁ……っ!」


 自分の荒い呼吸音だけが、広い空間にやけに大きく反響する。

 壁にもたれかかったまま、僕はその場にずるりと座り込んだ。


 手が震えている。生きてはいる。

 だが──状況は最悪だ。


 ついさっきまで僕は、叔父が所属するDランクパーティー「フェニックス」と一緒にいた。

 正式メンバーではないが、レアスキル《アイテムボックス》と料理の腕を買われ、サポーターとしてよく同行していた。


 フェニックスは無茶な戦闘をしない、安全第一のゆるいパーティーだ。

 生活費を稼ぎつつ、必ず生きて帰る。それが最優先方針。

 だから戦闘力ほぼゼロの僕でも一緒にいられた。


 ……本当に、いつも通りのはずだった。


 おじさんたちがスライムの群れを片付け、僕はその横でドロップアイテムを回収していた。

 床に散らばったスライム液やゼリーを拾う、ただの単純作業だ。


 スライムが稀に落とす“スライム玉”は稀少で高値が付く。弱小パーティーには見逃せない収入源。

 その玉が通路の端に転がっているのを見つけた。


「おっ、やっと出たか!」


 声が自然と漏れ、手を伸ばした──その瞬間だった。


 おじさんの叫び。

 視界を塗りつぶす青い光。

 伸ばされた彼の手。


 あれは間違いなく、僕を助けようとした手だ。

 だが、触れられなかった。


「……ここ、どこなんだ……?」


 見渡す。

 そこは、さっきまでいた通路とはまるで違っていた。

 湿った空気が肌に張りつき、天井から落ちる水滴の音だけが絶えず響いている。

 光は薄青く、どこか冷たく淀んでいた。


 背筋にゾクリと寒気が走る。


 ──ここは危険だ。


「グルルルル……」


 背後から、低く唸る声。


 振り返ると、暗がりの中に鋭い牙を光らせたグレートウルフがいた。

 筋肉の盛り上がった肩が波のように揺れ、こちらに狙いを定めている。


「なんで……こんな上位階層の魔物が……!」


「ガアアアアッ!!」


「うわぁあああっ!!」


 飛びかかってきた気配が背中を押し、反射的に走り出す。

 爪が床を削る耳障りな音が、すぐ後ろまで迫ってきた。


 ◇◆◇


 どうにか撒いた俺は、水瓶を逆さにして最後の一滴まで飲み干した。


「……水も……もうすぐ尽きる……」


 喉が焼けるように乾く。

 焦燥感だけが、じわじわと胸の奥を占めていく。


 ──僕は転移トラップにかかった。


 そう考えるのが自然だった。

 そしておそらく、ここはダンジョンの下層階……いや、もっと深い場所かもしれない。


 遭遇した魔物が、その証拠だ。


 グレートウルフ、メタルスライム、ハイオーク、スケルトンにアルミラージ……。

 どれも、フェニックスが潜る上層階ではまず見ない強敵ばかり。


「……くそっ! ──あ゛っ!」


 苛立ちをぶつけるように壁を殴ったが、痛めたのは自分の拳だけだった。

 視界がじんわり歪む。腕で顔を拭っても、また滲む。


 フェニックスが活動するのは地下五階まで。

 そんな彼らが、こんな深い階層まで来るわけがない。


 つまり──助けは来ない。


「……ははっ。今回はこんなところで死ぬのかよ……」


 ポツリと漏れたその言葉に、自分で違和感を覚える。


 (……“今回は”ってなんだ?)


 胸の奥がざわつく。

 だが、その得体の知れない感覚と同時に──


「こんなところで……死ねるかよ……っ!」


 ここに座り込んでいても、水も食料も尽きて死ぬだけ。

 ならば──魔物に食われるリスクがあっても、生き延びるためにもがいた方がいい。


 僕はゆっくりと、しかし確かに立ち上がった。



 

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