とらわれの卵
音多まご
とらわれの卵
見つけてしまった。なぜだかとてつもなく暇で、気まぐれに部屋のものを漁りまくっていたら、見つけてしまったのだ。静かな空間で、あたしは目を見開いて固まる。
嗚呼、過去のあたしよ。どうしてこんなにばかなことをしてしまったんだ。いくら幼かったからとはいえ、未来に後悔することくらいわからなかったのか。
十年以上も前のことを思い出す。そのとき親友だったきーちゃんと、学校帰りに浜辺で言い争いをしていた。『しってた? たまごって、放置するとひよこになっちゃうのよ!』なんて彼女が言うから、あたしは『ぜぇったいに、ちがうもん! ほっといてもなにも起きないもん! きーちゃん、あんまりあたしを舐めないでくれる!?』と、無駄に好戦的な態度で応えてしまったんだっけ。
まあ当然と言うべきか、そこからは『正しいのはわたしよ!』『あたしだもん!』『いいや、絶対にわたし!』と意味のない言い合いを延々と繰り返していた。いま思えばくだらない、クソくだらない。小学生なんて、このくらいでちょうどいいのかもしれないけれど。
だけど、もっとくだらないのはその後だ。最終的にあたしたちが下した決断は、いったいなんだったと思う?
『じゃあきーちゃん、こうしよ。箱の中にたまごを入れて、保存しておくの。それでいつか、いっしょにあけて答え合わせしよっ!』
『いいアイデアね。箱はかわいくでこれーしょんするのよ!』
『たのしそう! さっそく、これから作っちゃお!』
なーにがデコレーションだ。それを裏づけるように、あたしの目の前にはビーズやモールでうるさく飾り立てられて、あろうことか〝Best Friend!!〟と拙い字で記された小さな箱があったのだった。この中には卵が入っている。……女児、おそろしや。その奇抜な発想力を、もっと別のところで使ったほうがよかったんじゃないでしょうか。
なんだかもう、すべてがどうでもよくなってきて、乾いた笑い声を出すことしかできない。
「…………あっはははは、ふふふ。うふふふふふ……」
冷静に考えろ、自分。思考を放棄するな。
「──いや、こんなブツどうしろっちゅうねんッ!!」
あたしは叫んだ。叫ばずにはいられなかった。
特級呪物、という言葉が脳裏に浮かぶ。言い得て妙だ。この箱を開けてしまったら、待ち受けているのは災いか、それとも福か。禍々しい腐った卵が、キラキラスパンコールにまみれた綿で包まれている画を想像してみると、あまりにもカオスがすぎて吹き出してしまった。ぷっ、と汚い音が響く。
でも、笑っているだけではなにも進まない。なんとかして処理をしなければならないのだ。中から卵だけを出して捨てるのは論外なので、残された選択肢はひとつ。──箱ごと捨てる。
とはいったものの、あたしにそんなことができる自信はなかった。きーちゃんとの友情が、完全に壊れてしまうような気がした。友情の証をごみ箱に放り込んで、あたしはすっきりできるのだろうか。引っ越すことになったの、と彼女に言われたとき、あたしは言葉が出なくて、引き留めることができなくて。結局、そこから微妙な関係になったまま、彼女は遠くに引っ越していった。あのときの情けなくて弱い自分を、あたしはいまでもずるずる引きずっている。
胸がちくりと痛んで、悲鳴をあげる。ここしばらくは忘れられていたのに、また恋しくなっている。
会いたい。ちゃんと気持ちを伝えたい。と、思いはするけれど、あれからあたしは成長した。小学生だったのが大学生になって、実家暮らしとかいう概念が生えてきて、バイトをしてお金を貯めて……新しい友達だって、何人もできた。もしも会えたとして、元の関係に戻ることができる保証なんかどこにもない。
「どうすれば……あっ」
捨てられないのなら。──あそこに、行こう。
おそるおそる持ち上げてみると意外と重くて、中を見たい気持ちに駆られたけれど、そんなことをしても待っているのは後悔だけだ。そもそも、べたべたとマスキングテープが貼られているせいで、簡単には開けられないことは容易にわかる。深く呼吸をしながら、ブツをマチ付きトートバッグにそーっと入れる。
気乗りはしないが、適当に外出できそうな格好に着替えて、バッグを肩にかけて外に出た。両親が仕事でいないから気楽ではあった。
庭仕事をしていた近所のおじさんに挨拶して、見慣れた道を歩いていく。内陸の方に住んでいる人はたいてい、潮の匂いがするとかなんとか言うのだけれど、あたしにとっては当たり前すぎてなにも感じられない。陽射しがぽかぽか暖かくて、もう春なんだなあと思う。
気づけば、あたしは小学校の通学路を歩いていた。完全に無意識の行動で、自分でもすこし驚いてしまう。もちろん辿り着けなくはないが、想定よりも遠回りになってしまった。けど、まあ。きーちゃんとの思い出が詰まったこの道で、ぼうっと歩き続けるのもいいかもしれない。
やがて、開けた景色が見えてくる。ときどき、彼女とこっそり寄り道をして遊んでいたから、鮮明に心に刻まれている。
あの日、ふたりで愚かな言い争いをした浜辺。結果として、約束は果たせていないけれど。きーちゃんは、あなたは、残ったこのブツをどうしたんだろう。ごみ箱に捨てちゃったかな、それとも、そもそも存在すら忘れてるのかな。かくいうあたしも、思い出したのは今日なんだけどね。
久しぶりに足を踏み入れてみても、感慨はなかった。海というのは変化がない。少なくとも、たかだかあたしの人生、八十年くらいでは変化もなにもないだろう。あたしは変わってしまったのに、堂々とそこに居座っている。
ちょっとだけ、むかついてきた。粗暴な動きでバッグから箱を取り出す。息を深く吸い込んで、本当にやるのか? と一度ためらって、決意を固めた。
小さい頃からハンドボール投げは得意だった。しばらくやっていないけど、要領は覚えている。足を大きく踏み込んで、体重移動をかけて、斜め上をめがけて──海の中へ、箱を放り投げた。
「きーちゃぁぁぁあああん!! あたし、忘れないからっ! でも! さすがにこれは、保管しておけないなあって! あたしたち、ほんとにばかだよね! こんな強烈なもの、忘れたくてもできないっつーの!!」
限界まで声を絞り出して、叫んだ。どこまでも続いていそうな海に向かって。彼女に届いてほしいな、とか願ってしまうけれど、知らないうちに流れていた一筋の涙があたしの頭を冷やしてくれた。
……ていうか。今更だけど、人の目をまったく気にせずに叫んでしまった。あわてて後ろを振り返ってみると、離れたところでスーツを着た男性が体育座りをして瞑想しているだけだった。お疲れ様です、と心の中でエールを送りつつ、あたしはほっとした。大声を出していたところは誰にも見られていないようだ。
それと、海に不要物を投げ入れるという行為も、まあ褒められたものではないだろう。償いのためにも、環境問題にはよりいっそう気を遣っていこう。今回だけだし神様もきっと許してくれる。
──ねえ。あなたのことは、絶対に忘れないよ。でも、もうあの卵はいらないよね。小学生の頃からはたくさんのことが変わって、あたしたちは大人になった。幼いゆえの愚行が生み出したあの呪物は、持ってる必要ないと思うんだ。あなたも同じ結論に至って、同じように卵を手放してくれたのなら、また友達になれたりするのかな。なんてね。
とらわれの卵 音多まご @nacknn10
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます