SCENE#179 英雄はカッコよくなきゃ、いけないんですか? Must Heroes Be Cool?

魚住 陸

英雄はカッコよくなきゃ、いけないんですか? Must Heroes Be Cool?

第一章:聖剣の「誤診」―― 黄金の広場に降りた災難







聖都ブランドールの広場は、建国以来最大の熱狂に包まれていた。空は一点の曇りもなく晴れ渡り、大聖堂の天辺に据えられた黄金の鐘が、祝祭の音色を街中に響かせている。今日は、千年に一度、世界を救う勇者を選ぶ「聖剣選定の儀」の日だった。壇上には、王国の希望そのものである第一王子エドワードが、眩いばかりの銀の甲冑に身を包んで立っていた。その隣には、北方戦線で無敗を誇る若き騎士団長アルフレッド。二人はまさに、民衆が思い描く「英雄」の象徴だった。整った顔立ち、鋼のような肉体、そして揺るぎない正義感。誰もが、聖剣は彼らのどちらかを選ぶものと確信していた。しかし、運命はときに残酷な悪戯を仕掛けるもの。








「聖剣よ! 我らが暗雲を払う主を選びたまえ!」







大司教の声とともに、祭壇に突き立てられていた伝説の聖剣『エクス・ルミナス』が、大地を揺るがすほどのまばゆい光を放った。光は意志を持つ巨大な彗星となって空へと舞い上がり、美しい王子や勇猛な騎士団長を素通りした。そして、広場の最後列、屋台の影で「腹が減ったな、帰りにコロッケでも買おうか…」と場違いな独り言をこぼしていた男の胸元へと突き刺さるように飛び込んだのだ。








男の名はゴンゾウ、45歳…








村の片隅で、壊れた鍋や調子の悪い農具を直して日銭を稼ぐ、しがない修理屋だ。突き出た太鼓腹、日焼けで赤くなった鼻、そして少しばかり寂しくなった頭頂部。彼は英雄とは程遠い、どこにでもいる「ただのおじさん」だった。








「……え? あの、これ、なんですか。わし、何か悪いことしましたかね?」








手の中に収まった聖剣の柄は、彼の使い古した金槌よりも温かく、まるで「見つけたぞ!」と言わんばかりにドクドクと脈動していた。広場は水を打ったような静寂に包まれ、次の瞬間、嘲笑と困惑の渦が巻き起こった。王子は呆然とし、騎士団長は屈辱に顔を歪める。ゴンゾウは、自分という存在そのものが「聖剣の誤診」であるかのように感じ、その場から一刻もはやく逃げ出したくてたまらなかった。










第二章:石を投げられる「救世主」―― 甲冑の中の涙







旅立ちの朝、ゴンゾウを待っていたのは祝福の花吹雪ではなく、失望と怒りに満ちた罵声だった。王国の威信を守るため、国王は無理やりゴンゾウを勇者に仕立て上げた。無理やり着せられた黄金の甲冑は、彼の中年太りの体にはあまりに窮屈で、一歩歩くたびに金属同士が悲鳴のような音を立てる。








「おい、偽物の英雄! 早く魔王を倒してこいよ!」







「俺たちの税金があんなおっさんの鎧代に消えたと思うと、吐き気がするぜ!」







民衆の言葉は、魔王の呪いよりも鋭くゴンゾウの胸を刺した。彼は下を向き、鼻水をすすりながら、馬ではなく歩き慣れた自分の足で城門をくぐった。聖剣は磁石のように彼の手を引っ張り、魔王城がある北の空へと彼を誘う。








「英雄は、カッコよくて、強くて、みんなに勇気を与えるもの……わしだって知っとる。でも、わしは暗い道が怖いし、重いものは嫌いだし、できれば、ずっと布団の中にいたい人間なんですな…」








ゴンゾウは夜の森で一人、焚き火を見つめながら呟いた。彼に同行を命じられたのは、聖剣を監視するための冷徹な女騎士クララだ。彼女はゴンゾウを蔑みの目で見つめ、一言も口を利こうとしない。








ゴンゾウの目からは、情けない涙がポロポロとこぼれ落ちた。聖剣の輝きが、彼の汚れた顔を皮肉なほど美しく照らし出す。彼は「選ばれた」のではなく、世界中から「押し付けられた」のだという実感が、聖剣の重みとなって彼の肩にのしかかっていた。










第三章:戦わない英雄の「修理」―― オークの防具と震える手








旅を始めて三日目、ゴンゾウたちは魔王軍の先遣隊であるオークの小隊に遭遇した。








「ひ、ひいいっ! 出た! 本物だ!」







ゴンゾウは悲鳴を上げ、腰を抜かしてその場にへたり込んだ。本来なら、ここで聖剣を一閃させ、魔物を塵に帰すのが英雄の役目というもの。しかし、ゴンゾウは恐怖のあまり剣を抜くことすらできない。








「下がりなさい、役立たず!」








クララが剣を抜き、オークたちに斬りかかろうとしたその時。ゴンゾウは恐怖に震えながらも、ある一点に目を奪われていた。先頭に立つ巨大なオークの左足。その鉄製の防具が歪み、鋭い破片が肉に食い込んでいる。








「待って、待ってくれ! お前さん、その足……痛くはないのか?」








ゴンゾウは、自分が死ぬかもしれないという恐怖よりも、職業的な「放っておけない!」という欲求が上回ってしまった。彼は震える手で懐から使い古したヤスリとハンマーを取り出した。呆気にとられるオークとクララを余所に、ゴンゾウは這いずるようにしてオークの足元へ近づいた。








「わし、戦うのは本当にダメなんだが、直すのだけは得意なんだ。ちょっと我慢してな……」








パチ、パチ、とハンマーが小気味よい音を立てる。ゴンゾウの顔は汗と涙でぐちゃぐちゃだったが、その手つきだけは驚くほど正確で、優しかった。数分後、食い込んでいた鉄板は見事に修正され、オークの足の痛みは消えていた。オークは呆然と自分の足を見つめ、それからゴンゾウの情けない顔を見た。そこには殺意も敵意もなく、ただ「直ってよかった…」という安堵の微笑みだけがあった。








「……ウ、ウガ(恩にきる)」








オークたちは武器を収め、困惑した様子で森の奥へと去っていった。クララは剣を握ったまま硬直していた。聖剣は、かつてないほど穏やかで深い黄金色の光を放っていた。











第四章:臆病者の「共感力」―― 弱虫が見抜く痛みの在り処








その夜、焚き火の傍らでクララが初めてゴンゾウに問いかけた。








「なぜ、あのような真似を。魔物は殺すべき対象だ。慈悲など無用のはず…」








ゴンゾウは、窮屈な鎧の喉元を緩め、ふうと溜息をついた。








「クララさん、わしは臆病者なんです。臆病だから、相手が怒鳴っていても、怖い顔をしていても、『本当は向こうも震えているんじゃないか』って、つい想像しちゃうんですよ。お腹が空いているのか、どこか痛いのか。弱虫はね、他人の痛みにだけは、鼻が利くようになるんですな…」








彼は自分の節くれ立った指を見つめた。







「英雄様たちは強い。とても強い…とても強いから、敵を倒すことだけを考えればいい。でも、わしみたいな弱い人間は、敵と仲良くなるか、逃げるかしないと生きていけない。わしがしてきた『修理』ってのは、バラバラになったものを、もう一度繋ぎ直す仕事です。それは、心も同じなんじゃないかと思うんですな…」








クララは言葉を失った。彼女がこれまで仕えてきた王子も騎士も、常に「正義」の名のもとに敵を殲滅することしか考えていなかった。彼らの背中は確かにカッコよかったが、どこか冷たく、寄り添う余地などなかった。








対して、目の前の情けない男はどうだろう。鼻水を垂らし、お腹をさすりながら笑う彼の姿は、決して美しくはない。しかし、彼の周りには不思議な安らぎが満ちていた。クララは初めて、聖剣がなぜ彼を選んだのか、その一端を理解し始めていた。











第五章:魔王城、震える階段―― 完璧な悪との対峙








旅の終わり、ゴンゾウはついに魔王城の最上階、玉座の間に辿り着いた。高くそびえる漆黒の柱、天を衝くようなステンドグラス。その奥に鎮座するのは、世界を闇で染めようとする魔王サウル。サウルは圧倒的な美貌と、神のごとき魔力を備えた、いわば「悪の英雄」だった。ゴンゾウの足は、これまでで一番激しくガタガタと音を立てていた。石造りの床に、甲冑がぶつかる音が情けなく響く。魔王の放つ圧倒的なプレッシャーだけで、心臓が口から飛び出しそうだった。








「来たか、聖剣の勇者。……ほう、見間違いか。これほどまでに矮小で、醜悪で、弱々しい男が、私を倒しに来たと?」








魔王の冷徹な声が、空間を支配する。魔王は立ち上がり、その美しい指先で空間を裂いた。そこから溢れ出した闇の波動が、ゴンゾウを押し潰そうとした。








「わし……わしは、英雄じゃありません!」








ゴンゾウは、震える声を必死に抑えて言った。








「こんなに足が震えているし、おしっこも漏れそうだし、今すぐ家に帰って猫を撫でたい。でも、わしは修理屋なんだ。あんたが壊そうとしているこの世界は、たくさんの人が繋いできた、不恰好で、でも温かい場所なんだ。それをバラバラにさせるわけにはいかんのですな…」








彼は鼻水を袖で拭い、歪んだ兜を力いっぱい被り直した。それは、どの騎士の抜刀よりも決然とした、勇気ある行動だった。











第六章:聖剣が斬った「孤独」―― 丸腰の抱擁








「笑わせるな! その弱さ、その醜さこそが、この世界を滅ぼすべき理由だ!」








魔王が放った巨大な闇の球が、ゴンゾウに襲いかかった。その時、ゴンゾウは聖剣を抜いた。しかし、彼はその剣を振るうことはなかった。彼は剣をそのまま地面に突き立て、自らの盾としてではなく、ただ「支え」として使い、ゆっくりと魔王へ向かって歩き出した。









「魔王さん。あんた、ずっと一人だったんですな。誰にも触れられず、誰からも理解されず、あまりに強すぎて、自分という存在が壊れかけていたんじゃないですか?」








魔王の動きが止まった…








ゴンゾウの眼には、魔王の強大な力ではなく、その奥に潜む「壊れた魂」が見えていた。美しすぎるがゆえに孤立し、完璧すぎるがゆえに愛を知らない。それは、ゴンゾウがこれまで直してきた、どの農具よりも深く、酷く損壊していた。








「わしは、カッコ悪い英雄ですよ。あんたをカッコよく倒して、歴史に名を残すなんてことはできん。でも、あんたのその『寂しさ』を修理することくらいは、できるかもしれん…」








ゴンゾウは聖剣を捨てた。丸腰で、無防備に、魔王の懐へと飛び込んだ。魔王の放つ闇が、ゴンゾウの肌を焼き、甲冑を砕いた。それでもゴンゾウは止まらなかった。彼は、自分の短い毛むくじゃらの腕をいっぱいに広げ、震えながら魔王を抱きしめた。








「もう……いいんですよ。あんたも、十分頑張ったんだ。もう、完璧でいようとしなくていいんですな…」








その瞬間、聖剣が爆発的な輝きを放った。それは破壊の光ではなく、すべてを包み込み、再構築する「再生の光」だった。魔王の冷たい肌に、ゴンゾウの情けないほど温かい体温が伝わった。








魔王の瞳から、一筋の涙がこぼれた。その涙が床に落ちたとき、城を包んでいた闇の霧は晴れ、朝の光がステンドグラスから差し込んできた。










第七章:カッコ悪さが救った世界―― 修理屋の縁側にて








それから数年の月日が流れた…








王国には平和が戻り、かつての戦乱は物語の中の出来事となりつつあった。しかし、教科書に載っている「伝説の英雄」の肖像画は、どれも実物とは似ても似つかない、筋骨隆々の美男子として描かれていた。







「英雄は、カッコよくなきゃいけないんですか?」








村の片隅。小さな修理屋の縁側で、かつての女騎士クララがそう尋ねた。彼女は今や騎士団を引退し、この村で子供たちに剣を教えている。横では、少しお腹の出た中年男が、壊れた時計のネジを真剣な目つきで回していた。








「さあな。でも、カッコつけるのをやめたら、見えるものが増えた気がするよ。わしは、この頼りない自分を、結構気に入っとるんです。カッコいい英雄様だったら、今ごろは王城で窮屈な生活をさせられとるでしょうしな…」








ゴンゾウは、くしゃくしゃの笑顔で笑った。そのとき、店の裏から「おじちゃん、お茶が入ったわよ!」という声がした。現れたのは、かつて魔王と呼ばれた美しい女性だ。彼女は魔力を捨て、今はゴンゾウの弟子として、壊れたものを直す喜びを学んでいた。彼女の表情には、かつての冷酷さはなく、春の陽だまりのような穏やかさが宿っている。









店の片隅には、あの聖剣が置かれていた。今はもう光を放つこともなく、重石の代わりに漬物樽の上に乗せられている。あの時世界を救ったのは、伝説の剣技でも、神の加護でもなかった。ただ一人の、臆病で、不器用で、けれど誰よりも人の痛みを放っておけなかった男の、「カッコ悪い」優しさだったのだ。








夕暮れ時、ゴンゾウは修理を終えた時計を、満足げに眺めた。カチ、カチ、カチ。刻まれる音は、平和な日常の鼓動そのものだった…

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