この瑕疵ある天使に、鍵をください
野間羊
ふたつの世界
第1話 間違った穴、間違った鍵
彼女の名はミサン――全身に鍵穴を持つ金属の生命。
その世界では、「完全」が唯一の規範だった。「滑らかで無傷であることが正しい」と、彼女を追うブリキの男たちは繰り返す。彼女の穴は、「溶解されるべき欠陥」と宣告されていた。
けれど、ミサンは知っていた。あれは欠陥ではない。
あれは、扉なのだ。
「感覚って……どんなものですか?」かつて、新しく生まれたブリキの少年が尋ねたことがあった。
ミサンは、ただ指先を相手の金属外殻に押し当て、温もりの残るくぼみをつくった。「沈黙していた宇宙に、突然、鼓動が生まれるようなものよ」彼女はそう囁いた。
残念なことに、彼女の世界には、彼女を開ける鍵はなかった。
だから、彼女は別の方法を編み出した。
「開けて……くれ」ひそひそと頼みに来る同胞がいた。ミサンは指先の熱で、彼らの体に一時的なくぼみを溶かし込む。訪れる快感は短いが、紛れもない本物だった。
「ありがとう」感覚が消えた後、相手は言う。
「いいえ」ミサンはいつも首を振り、急速に冷め固まるくぼみを見つめた。「これはただの貸し。あなたたちに、返せるはずのないもの」
そんな行為が、彼女を指名手配者に変えた。
『コードネーム“穴売り女”。罪状“欠陥の蔓延”。捕捉対象:完全溶解により、完全への回帰を為すこと』
追跡は三日に及んだ。
「逃げられん!全ての鍵穴が信号源だ!」
エネルギー波が廃墟を走り、冷たい合成音が響く。ミサンの外殻は追撃で疲弊し、鍵穴の縁にひびが入った。彼女は廃棄された配管に身を潜め、外を規則的に走る探査音に耳を澄ませる。
「異常共振を検知……目標、当該区域に潜伏の可能性」
彼女は息を殺した――呼吸する必要はないのに。金属の心臓(器官ではなく、エネルギー炉だ)の鼓動を最低限に落とす。
その時、目の前の空間が裂けた。
縁が虹色に揺らめく裂け目。向こうからは、不気味なオレンジ色の光と、乱れた周波数が漏れている。
意識に直接、かすかで誘惑的な声が響いた。
「……こちらへ……鍵が、ある……」
ミサンは躊躇わなかった。
一歩、裂け目へ踏み出した――未知の鍵穴に飛び込むように。
落下感は、三度の鼓動ほど続いた。
やがて、彼女は廃墟の上に立っていた。
新世界は、混沌そのものの姿をしていた。
オレンジがかった空は爛れた傷口のよう。建物は傾き、蔦と鉄骨が絡み合う。六つの目を持つ巨獣が道を這い、半透明の亡霊が壁を通り抜け、機械と生身が融合した異形がまだ痙攣している。
ミサンが指を鳴らすと、子供に襲いかかろうとした怪物が吹き飛んだ。三匹の異形は有機質の粘液と化す。
子供は泣き叫びながら逃げ去り、彼女を一瞥すらしなかった。
「お礼の一言もないとは」彼女は虚空に呟く。「本当に……無礼な世界だ」
彼女はため息をついた。憐れみではなく、失望だった。
鍵。直感が告げる。この世界には、たくさんある。
「本当にあることを願おう」彼女は自分に言い聞かせた。「でなければ、この逃亡は丸損だ」
探索が始まった。
最初の鍵は、廃墟の引き出しの中にあった。真鍮製で、色褪せた青いリボンが結ばれている。
「試してみよう」彼女はそれを額の鍵穴に当てた――強い拒絶感が走る。鍵が彼女の中で震えているようだ。
「あなたまで、私を拒むの?」彼女は手放し、鍵を落とした。「……仕方ない」
五本目の鍵は、死体から見つかった。とっくに息絶えた女が、錆びた鉄の鍵を固く握りしめていた。
ミサンはしゃがみ込み、硬直した指をほどこうとした。「悪いわね、借りるよ」彼女は呟き、鍵を受け取った。
胸の鍵穴に合わせる――何も起きない。
「そんなに強く握っていたのだから、何か大切なものかと思ったのに」彼女は鍵を女の手に戻した。「結局……ただの合わない部品だったのね」
十二本目の鍵は、崩れた神像の下にあった。祭壇の下の鉄箱に、謎の符文が刻まれた七本の鍵が整然と収められている。
彼女は一本一本試したが、全て無駄だった。
「神様の下にしまってある鍵でさえ、偽物?」彼女は石膏の聖像の頭部を軽く蹴った。「この世界に、本物は一つもないの?」
十七本目の鍵が、最も精巧なものだった。象牙製で、その歯形は迷路のように複雑。ベルベット張りの小箱に収められ、その箱は壁の隠し場所に秘められていた。
彼女はそれを、胸の中央にある鍵穴に近づけた。
0.5センチまで近づいた時、鍵が熱を持ち始めた――存在そのものを焼くような灼熱感。金属の皮膚が静電気を噴き上げる。
「触れることすら、許されないの?」彼女は歯を食いしばり、さらに1ミリ押し込んだ。
鋭い痛み!無数の針が鍵穴の内側を突き刺すようだ。
思わず手を離すと、鍵は埃の中に落ちた。象牙の表面には、焦げた裂け目が走っている。
「はあ……」彼女は自嘲気味に笑った。「一番それらしい鍵でさえ、合わないなんて」
彼女は崩れかけたコンクリートの柱によりかかり、オレンジ色の空を見上げた。
「たった一度の超世界移動……間違った部品だらけの世界で無駄にするつもり?」
背中の鍵穴が、夕暮れの風に微かに鳴る。まるで、一列に並んだ、失望に沈んだ瞳のようだ。
その時、彼女は感じた――視覚や聴覚ではなく、欠けた部分が呼応するような、奇妙な予感。
まるで、彼女の体のどこかにある穴が、ぴたりと合う何かの存在を感知したかのように。
「これは……」彼女が振り返ると、
約20メートル離れた瓦礫の山の傍らで、盲目の女が何かを必死に手探りしていた。
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