春雪にて
司村啓大
春雪にて
春なのに雪が舞い散っていた。
それはきまぐれな天気のもたらした雪だと最初はみんな、誰しもが思っていた。四月も末、ゴールデンウイークも目の前という時に突然、気温が急激に下がって、私たちは一桁前半の気温に震え、雲の上では氷点下となっていて、降るはずだった雨はみんな雪に変わってしまい、そんなこともあるものだなとみんな思って、春服どころか夏服まで用意して着込んでいた人たちは、軒並み風邪を引いた。
私はまだ、入学式のときのまま、衣替えをしそこねたというかズボラなところがあって冬服のままだった。三月はまだ寒かったし、それでも四月はぐんぐん気温は上がったけれど、冬服を着ていたから、だからか風邪を引いていない。
まだ高校も新学期が始まったばかり、これから色々やっていこう、なんて計画を季節ごと、一年ごとに立てていたというのに、最初っから、始まりは学級閉鎖に近いような有様で、でもそれはともかくというか学校側の対応が後手に回ったのか、僅か数人を相手にした、どうでもいい授業が最初は行われた。
別に悪質なウイルスが蔓延したとかそんなんじゃなくて、突然寒くなって突然、風邪を引いたとかそんなのに過ぎず、先生方も授業を最初っから数人相手に勧めるわけにもいかない様子だった。
実際、ぼちぼち登校してきてみんな揃うのに三日もかかっていない。
なので普通に授業は続けられた。
普通じゃないのは、まだ雪が降っていて、それでそのまま雪は舞い散るなんてものじゃなく濃くて重いものに変わっていって、真冬でもこんなに寒くはない、という有様のままゴールデンウイークに入ってしまった。
街中は大混乱で、こんな季節に雪が積もるものだから、スタッドレスタイヤをみんな外してしまっていて事故が絶えない。私みたいにズボラなドライバーはまだタイヤを履かせっぱなしにしていて、私が風邪を引かなかったのと同じ理由で、事故は避けられていた様子だったけれど、貰い事故は仕方ない。
そんな訳でみんな「そろそろまたどうせ、暑くなるんだろう」という季節の気まぐれに対して、たかを括って誤魔化すのを諦めて、冬支度でいっぱいになり、こんなことはあり得ないとそんな話題でいっぱいになってしまった。
困った。
もっと青春に満ちた高校生活を送る予定でいたのに、異常気象の話しか、みんなしない。同じ中学から同じ高校に入学した相手に目を付けて、告白したり、されたりするよう仕向けたりして彼氏が欲しかったのだ。
上手くいけば、という前提で計画を立てていて、それは一年間のみならず三年間、卒業式まで組み立てた私の計画、いや最早ストーリーで、まあ、それは雪のせいで全部台無しになってしまった。
その同級生でしくじれば、それはそれで。
そんなストーリーも全部破綻でご破算で、どうしてくれると天を睨んだりもした。私の睨みなんて何一つ気にせず、空は雪を降らせ続ける。曇りばかりで、たまに照れ着ける太陽も五月を過ぎてもまだ弱々しい。
夜はやっぱり寒かった。
だから、昼に、半端に溶けた雪が凍り付いて、雪国でもこんなことにはならないという有様になった。日本から四季が消え失せて、夏と冬しかなくなった、なんてよく耳にする。もう亜熱帯だとかなんとか。
だったら雨期と乾期とかそういう二種類になればいいのに、やっぱり夏は暑くて冬は一丁前に寒くなって、春と秋は息も絶え絶えに一ヶ月くらいあって、もうそんなのは「四季」という言葉をどうにか延命させる体裁を整えた季節だった。
困ったなあ、と私は思う。
彼氏を作るところから始めたかったし、そういう存在がいて成り立っていた筈のストーリーがみるみる壊されていく。
この人が好き、という強い思いはなくて、あの人がいいかなこの人がいいかなと、私のストーリーの登場人物としてどんな人がいいかな、と考えていて、それは素敵なラブストーリーになっていた筈なのにこんなに雪が降られては堪らない。季節の情緒というものも、私のストーリーには組み込まれていたのだ。
強くこの人が好き、なんて後回しでいいと思った。そんなのは付き合ってみなければ分からない。
ストーリーを大幅に書き直すことになるかもしれないから困っていた。
でも雪にも飽きた、馴れた、なんてみんな言っていて、私もそうだった。ここからまた計画を練り直そう、と考えていたのだけれど、今度は世の中が騒然となってきた。そっちの方は想像してなかった。ラブストーリーに社会情勢なんて考えたって邪魔なだけなので。
ところがこれが深刻だった。
作物が全滅、なんて言い過ぎだと思ったけれど、作物はそれこそ四季に応じて収穫するのだし、海にも山にも川にもやっぱり影響する。輸入作物も、他の国でも同様になっていたからいずれ途切れるみたいだった。
ご飯がないのは深刻だ。
彼氏となにか食べるなんてイベントもご破算だ。
困ったな。
冬に収穫する予定だったものはなんとかなったらしいのだけれど、夏や秋に備えて植えられるものだって勿論多い。室内でどうにかこうにかするみたいだったけれど、そんなもので足りるわけがない。
大騒ぎだ。
雪は容赦なく降り続け積もり続けて、いつまで経っても夏など来ない。
ずっと、春に起きた椿事のままで月日は過ぎていく。
夏になった。
プールはどうしてくれる。室内プールなんて風情がない。海にだって行きたかった。というか彼氏が全然出来てない。雪が降る前に付き合い始めた人たちが羨ましい。身を寄せ合って不安げにしてそれでも身を寄せ合って温め合って、それはそれで一つのストーリーで、でもそんなストーリーを事前に考えている人がいたらかなりおかしい人だと思う。
まだ備蓄があるから、ということで食糧危機みたいなものは発生していない。
よく知らないけど株価とかもめちゃくちゃで、何せこのままずっと雪、というならともかく、このばかげた天気がいつまで続くか見通しがつかなくて、売りだか買いだかの踏ん切りもつかない様子なのだという。そんなこと知ったことじゃない。
私のストーリーに株価の出る幕はない。
授業は淡々と進んで、私は淡々とそれに着いていく。学校ってそもそも学ぶための場所だよなあ、なんてこんな風になって思い知らされて、苦手な教科とか放り出したくなるどうでもいい教科とか、そんなものも、それしかやることがないという風に接していると、苦手意識もなくなるものだ。成績は上がったけれど、なんかみんな、似たような点数を取るようになっていて、みんなそうなのだなあ、なんて思い始めている。気晴らしに外で遊ぶ気になれるほど、世の中は平穏じゃなくなってきていて、インターネットで冗談めかして今週の気温はこんなに異常、なんてのを巧みな比喩を使って笑いを取ろうとしていた人たちも、淡々と深刻に事実だけを述べていて、そして原因は分からない。
氷河期だ、なんて騒ぐ人もいる。そんなに急に来るものなのだろうか。
温暖化はどうしたのだろうか。
ただの深雪ならそれなりに遊んだりするだろうけど、こんな雪は不気味なだけで、いいから早くやんでくれ、とみんな思っている。
困ったな。どうやって書き直せばいいんだろう、こんなもの。
暦の上では立春から春で、五月ぐらいまでそうだという。
だから本当は、二月に、立春以降、雪が降るのは禁止にして欲しい。でも春に雪が降っても仕方がないから、それはいい。暦の上でも仕方ない。それにしたって滑り込みみたいにこんな有様になって、その上、暦の上でも夏真っ盛りというのにしんしんと時にはごうごうと雪は降り続ける。台風が来たときなどとんでもないことになった。こんなになっても台風が来るんだ、あいつは暖かくないと出てこないんじゃなかったっけ? などと思っても来るものは仕方ないし、大体、雪がまだ降っているのがおかしいのだ。
そう私がぶつくさ言っても始まらない。何にもならないし何も変わらない。
ずっと春の雪。ずっと寒い。春に冷え込んだ、みたいな気温。空の上ではずっと氷点下。飛行機事故も増えたらしい。交通事故も相変わらずだ。もうみんな開き直ったみたいに、ずっと冬用装備にしているけれど、人間の感覚というのはやっぱりカレンダー通りというものを捨てきれない。
私の計画だってカレンダーに沿っていた。どうしてくれる。
そのうち休校も目立つようになってきた。先生方も生徒たちも体調を崩し始めている。やっぱりこの国の人たちはカレンダー通りの感覚で生きているわけで、そりゃ体調も崩す。とても寒い中で暮らしている人たちとか、とても暑い中で暮らしている人たちとか、一年中似たような気候には馴れているだろうけど、残念ながら、この国には、息も絶え絶えながらも四季があって、あった。それをいきなり、白一色で塗りつぶされて、それでも極寒まではいかない日差しもあって、だからずっと春のままだった。常春なんて過ごしやすそうだけれど、雪が降ったら堪らない。
また授業が閑散としてきた。さすがに少しずつ授業は進める方針のようで、それでも同じようなレベルの試験ばかりで、満点を取れないのは事故、ぐらいになっている。塾に通っていた生徒も、塾が閉鎖することが多くなっていて、もう仕方がないとばかりに学校では、基礎をすっとばして大学受験一本に絞ったテクニカルな授業を繰り返して、拘束時間も長くなったけれど、もうとにかく学校に来た以上はやる、みたいな勢いでみんな集中した。
スポーツも勢いがない。室内競技にだけみんな集中する。
バスケと卓球、あとは柔道と剣道。向いている生徒はコーチ役の先生にすら肩を並べるほどの、過集中と現実逃避を燃料にした成長をみせている。ただ、比較する相手がいない。別に冬だと思えばどうとでも出来る気がしたけれど、この雪は冬ではなくて、そしてそれが不気味で、みんな生活サイクルがおかしくなってしまっている。
私だってこんなことを踏まえた計画なんて頭になかった。あった方がおかしい。
今年中はなんとかなる、というのは食べ物辺りの備蓄とかで、他は惨憺たるものだ。来年も再来年もこうなったら、地球は滅ぶのでは?
いやいや。いやいや。人は馴れる。
そっちがそういう心算ならこっちもこうだ、とばかりに対策を講じ始めるに違いなく、単に一過性のものなのかどうかで判断を決めかねている風だった。
とんでもない時に高校に入ってしまった。
恋愛しよう、なんて決めてしまった。なんだこれ。
この春に始まった椿事はいつ収まるのだろう。来年は勘弁して欲しい。来年になって元に戻ってくれれば、計画は一年飛ばすだけでいい。おかしい。高校一年でおずおずと愛を育む予定だったのに。それに失敗したときのリカバリーも、余白が一年、消えてしまうのが惜しい。悔しい。
たまに一人で、冬装備のごてごてした服を纏って手袋で握った傘の下、八月の空を睨み付ける。薄暗い雲は時々晴れて、そして照りつける太陽は弱々しくてそれでも少しは気温も上がる。直射日光の下なら、冬用装備が少し暑苦しく感じるほどだけれど、胸元を開けるぐらいで、とてもとても脱ぐことなど出来ない。
もっと気合を入れろ、と睨み付けるが、気合でどうにかなるものでもないらしい。
ごめんな、と言うように、太陽はまた雲に隠れてしまう。
もう無計画に、気に入ったような何だか分からないような相手に告白でもしてどうにかしてしまおうか、と思ったことも再三だけれど、それでその先どうすればいいのか分からない。計画と、ストーリーを事前に決めて、私はそれをやりたいのだ。
あんまりみんな外に出ない。みんな不気味さにまだ馴れていない。
私は馴れたのでもなんでもない。単に怒っていて不機嫌だった。
私の素敵なラブストーリーをどうしてくれる。そりゃあ凡庸で大してヒネりもないだろうけれど、別に過激な展開なんて必要ない。ひょっとしたら濡れ場があるかも? そんな程度のナニでアレ。
みんな怒ったり不機嫌になったりしないのだろうか。
してるのかも知れない。隠してるだけで。私だって隠している。ばかみたいだし。
学校に来ているくらいだから、それなりにみんな外出はするし会社にも通うし映画館やボウリング場とかも盛況だ。レストランなんかも困っていない。ただ外が駄目で、行列なんかは出来なくなった。全部予約制。ラーメン屋さんから牛丼屋さんからそんなものまで、全部。
今そうでないところもこれから。
でも来年元に戻ったらどうすんの? って話。みんな身動きが取れない。
単に雪が降っているだけで、特にそんなに生活に影響はなくて、それなりに回っているのだけれど、これが冬だと言って貰わなければ困る、って話。そして降り始めたのは、冬ですらない。
春まっただ中。春雪は夏を過ぎてもまだ続く。
私の計画は完全に破綻して、一人で読書したり(まんが)配信で昔の映画とかドラマとか見たり(去年までで完成していたものは影響ない)それからインターネットで似たような情報やアクロバティックな理屈を読んだりして、そんなことしか面白くない。宇宙人の侵略だ、とか言っているのにそれなりにいい反応があったのとか、かなり面白かった。あほか。
秋にでもなればもうみんな馴れる。いい加減、馴れる。夏服とかそういうのが全てぶっ飛んでいたけれど、まあ、映画なんかと同じく保管しておけばいいだろう。服は傷むという気もするけれど。
全世界的にそんな有様。北の方の国ならもっと酷い。
赤道直下でも雪が降る。暑い国の人は無事だろうか。
そんな風になると地球はどうなってしまうのだろう。
なるほど、宇宙人の仕業か。少し納得してしまってきている。他に理由が思いつかない。それともとち狂ったどこかの国が気象兵器でも作動させたのだろうか。でもこれ、兵器として役に立ってるのかな?
どこもかしこも青色吐息。得している人なんて誰もいない気がする。
春雪が地球を、人類を。そんなことどうだっていい。そんな話に興味なんかない。私のストーリーを返してくれと言っているのだ、私は。
こんな不気味な雪に負けて堪るものかと、ある時、思い立って計画を練り直した。雪がやむのを期待していても仕方がない。修学旅行は中止。当然、体育祭も中止。文化祭は中止する必要ない気がしたけれど、ついでのように中止。ここは学びの舎。勉強だけしろ。それでいい。それならそれで、どうにかしてやる。
女子連中で(余りもの)集まって、同級生を勝手にシェアする計画を立てる。
学校内恋愛に限る。外は不気味だ、余り出たくない。映画館はどうか。配信で見ろ。ボウリングは? なんでこんな中、玉っころ転がさなきゃならん。テーマパークは? 寒い。とにかく外での遊びはまず捨てる。
男子連中も(前述と同じ)集まって計画を立てている。
これはちょっとなんか、不健全だと喚き立ててしまいそうになって、そういう相談には参加しないことにした。私の予定では最初は隠すことになっているのに、こんな開けっぴろげな始まり方は気に入らない。
三人ぐらいに告白された。断った。
全員断った。なんで告白した? なんで? 雪降ってるから? なんだその理由。いやまてロマンチックな気もする。月がきれいだからとかそういう理由ならどうか? 解釈次第な気もするけれど、月が年中きれいなのでは口説き文句にもなりゃしない。
もうずーっと雪。
ずーっと降っていればいい。私の人生、全部雪。
それでも私は諦めたわけではない。私は負けないので太陽もそろそろ気合出せ。
計画変更。ストーリー改稿。ふわーっとした偶然の出会いから始まる恋は、もう学校内ではどうしようもない。インターネットで知り合う? マッチングアプリ? そんな手段を使っていたら怒られる。あと別に興味ない、その手段には。私のストーリーには採用したくない。なんかこう、爛れている気がする。
その日から、特に意味なく、不気味な外を二時間くらい散歩したり、知らん路線を辿ったりして、恋と冒険の旅に出た。閉じこもっていたのでは恋は始まらない。身近な連中は揃いも揃って私のラブストーリーを不本意にする。
とは言っても散歩は散歩だ。その辺に彼氏が転がっているわけもない。
とぼとぼと帰る間にも、転がってないかなあと探してしまう。落ちてはいない。
あと警官に注意された。ちょっと遅くなったからだ。ご苦労様です。こんな不気味な雪の中、まだ巡回。犯罪者が多いから帰りなさい。犯罪者は最も早く環境に適応して犯罪を行うのかもしれない。順応力が桁違い。
そしてはい、十二月。はいクリスマス。
めっちゃくちゃになってしまいました。
適当に、雪が降っているから付き合っている人たちはつつがなく恋人同士でその日を過ごす。クリスマスともなれば、雪はロマンチックに彩りを添える。なんもしてなかった私に(散歩はしていた)今さら、そんなことが起きるわけもなく。大体、クリスマスだからで付き合うとか、私のこだわりが許さない。
今年の一文字。当然、言うまでもない。
除夜の鐘。撞いている方はご苦労様です。冬休みにやりたいことたくさんあったのに、何が散歩だ。散歩にラブストーリーが関係あるかとまた組み替え直したのはついさっき。除夜の鐘で我に返った。かといってもう一年も終わり。
四月がまた近づいてくる。暦の上ではまだ冬だけれど立春は近い。
雪が諦めるか、太陽が気合入れるか。
私は諦めないし気合を入れる。
もうこうなったら四月を待つ。そして立てていた計画を再利用する。狙うは新入生。年下との恋。結構修正するはめになるがそれも良かろう。ただ失敗したときの衝撃が高そうだ。年下にしてやられるというのは一年なんてアドバンテージであっても有利な条件で負けました、みたいな感じになる気がする。
かといってお姉さんキャラみたいなので攻めても一年差というのはどうにも。
ほんとのお姉さんになるには、ギリで三年生くらいではないか? また一年待つのか、私は? まあとにかく考えてみよう。どうせ私の人生、ずっと雪。
景気が悪くなっただの物価が上昇しているだの電気料金が爆上がりだの、事態に対する政治家の責任だの、なんかの奪い合いで治安が悪化しているだの、なんかの何かを巡って戦争起きてるだの、植物が枯れ始めているだの野生動物も絶滅し始めてるだの、そんなもの知ったことではない。
私はずっと降り続ける雪の中での、自分のラブストーリーを組み続けている。
そして時々、外で空を睨み続ける。
その雲の向こうには、宇宙には宇宙人がいてほくそ笑んでいるのかもしれない。
それはまあ、どうでもいい。私のラブストーリーに宇宙人は出てこない。
ただずっと雪。春になっても、ずっと雪。
春雪だけなら、それでいい。そうやって計画を立て直す。
だからもう出てこなくていいぞ、太陽。でもたまにはいいけど、ずっと雪。
これ以上計画を邪魔されて堪るものか。
私はいつまでも続く春雪まっただ中で、拘りの恋に生きてやるのだ。
でも来年やんだら、どうしよう?
春雪にて 司村啓大 @Backstep_Gorilla
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