第9話 屋敷で待つ(エレナ視点)


アルとリュカが教会へ出掛けていく背中を、私は玄関先でそっと見送った。二人の姿が角を曲がって見えなくなると、胸の奥に取り残された空白が広がる。私はそのまま部屋へ戻ると、無事に帰って来ることを静かに祈りながら、帰りを待っていた。


私は、王都から少し離れた地方に住む貴族の娘として生まれた。幼い頃は外へ出ることもなく、屋敷の中だけが世界のすべてだった。当時は、それが当たり前だと思っていたが、後ににして思えば、あの頃の両親は、私とどこか線を引いていた気がする。必要以上に近づかず、触れようとせず、まるで壊れ物に触れるような距離感。


そんな私が初めて町の外へ出たのは、召喚の儀のために父と王都へ向かった時。屋敷の中では感じられない外の空気に胸を高鳴らせ、見るものすべてが眩しく、息をするのも忘れそうだった。馬車の窓から街を見ようとして父に叱られたけれど、道中で森や草原の広がる静かな景色を眺められただけで心が満たされた。


教会は各地にも存在しているけれど、召喚の儀が行われる儀式場は王都にしかないため、儀式を受けるためには、そこに向かわなければならない。でも、儀式が終わると、今までの事が嘘だったかのように、すべてが急に変わった。


馬車の窓から街を見ても叱られなくなり、宿に泊まるときもローブを着ずに過ごしてよくなった。そのうえ、屋敷に戻ってからは、自由に外に出てもいいと言われた。


(どうして急に?)


不思議に思って両親に尋ねても、「学院に入る前に世界を知っておく必要がある」とだけ告げられた。そのときの私は、それ以上を考えようとしなかった。


家名や街の名前など、覚える事が増えた事もあるが、学院に入ってみれば同じような境遇の子たちが多かったこともあり、気にすることでもないと、しだいに忘れていった。


すべての真実を知ったのは、アル。レグリウス家に嫁ぐ前夜のことだった。


両親に呼ばれたとき、私は結婚に何か問題が起こったのかと胸が冷えた。しかし告げられたのは、想像すらしていなかった秘密だった。


それは、家格を継ぐ者達に代々受け継がれてきたもの。知らなかったとはいえ、その話に私は震えた。内容そのものよりも、両親が私を“消す”立場になり得たこと、私自身が“消す側”になる可能性があったことに、背筋が凍った。


だからこそ、オルフェを身籠ったとき、喜びよりも先に怖さが胸を支配し、不安でたまらなかった。でも、そんな私とは対照的に、アルは心の底から喜んでくれた。


私の行動を制限することもなく、むしろ外へ連れ出してくれ、周囲へ自慢して回っていた。そんな彼の姿に恥ずかしさはあったけれど、同時に、私という存在をまっすぐ肯定してくれる温かさに救われた。


オルフェが生まれてからも、アルは変わらず私たちを大切にしてくれた。家族が共に過ごす時間は、オルフェが成長する事に少なくはなってしまったけれど、それでも時間を作っては私達と共にいようとしてくれた。その優しい背中を見ているうちに、私の不安は少しずつ、けれど確実に薄れていった。


そして、オルフェが二つの卵を連れて帰って来たあの日。私が感じたのは、驚きよりも“安堵”だった。あの瞬間、どんなに否定しても胸の奥に巣食っていたものが消えていくのを確かに感じた。


その後、アルの帰りが遅くなる日が続いても、態度が変わることはなく、“家族を守るという意思”は、どこまでも揺らがなかった。だからこそ、リュカを身籠ったときは、何の不安もなく、ただ周囲へ迷惑をかけないよう、私はアルへと何度も注意していた。


けれど、彼は商人を屋敷に呼んでは自慢話を繰り返し、帰る頃には商人たちの肩がぐったりと落ちるほどだった。そのことを注意しても、アルはなぜ駄目なのか本当に分かっていない。でも、それの姿が何とも愛しく、可笑しくもあったため、結局強くは言えなかった。


だからこそ、リュカが生まれてからのアルは、まさに溺愛と呼べるものだった。オルフェにしてあげられなかったことを取り戻すように、暇さえあればリュカと過ごし、抱き上げ、笑顔を向けた。私もまた、その甘い空気に逆らえず、共に甘やかしてしまった。


だからこそ、そんなリュカがもし、失敗してしまったら?そんな考えが胸をかすめるたび、我がことのように心臓が凍りついた。


大丈夫だと信じたい。


でも、もし現実になってしまったら、リュカの幼い心は、その重さに耐えられるのだろうか。


そんな不安の渦に沈みかけたその時、その意識を引き戻すように、扉を叩く音がした。


「エレナ様、ドミニクです。入ってもよろしいでしょうか?」


「ええ、どうぞ」


来訪の音で、私はようやく思考を浮上させた私は、扉の向こうへと声を掛けるけれど、胸のざわめきは治まらない。


アルに長く仕えてきたドミニクが、私に用があるなんて、何事だろう?


「アルノルド様とリュカ様がお戻りになりました」


「えっ……」


一瞬で思考が白く染まった。


もし、2人が帰ってきたのならば、真っ先にここへ来て、私に駆け寄りながら儀式の話し、弾む声で自身の卵を見せてくれる。そうして、後から来た彼も、その様子を優しい目で見守りながら、共に並んで聞いているはずなのに、その気配が、どこにもない。


「エレナ様……大丈夫ですか?」


ドミニクの声に現実へ引き戻されるが、声の震えを抑えられないまま、私は問い返した。


「ふたり……は……?」


「アルノルド様は、気を失っているリュカ様をお一人、部屋へ連れて行かれました。そして、エレナ様へお話があるので、執務室へ来てほしいとのことです……」


お一人。


その言葉だけで、教会で何が起こったのかを私は悟ってしまった。そして、それがどれほど“重い意味”を持つのかを。

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