第7話 儀式の後(アルノルド視点)


私は、教会で気を失ってしまった息子。リュカを腕に抱え、慌てて屋敷へと戻っていた。


胸の奥で焦燥が渦を巻き、馬車の車輪が石畳を叩くたび、落ち着かない鼓動が跳ねる。教会を出る際、取り乱し御者に声を荒げたが、あの時の私には、冷静でいろと言う方が無理だった。だが、帰路の時間は異様に長く感じられ、苛立ちと不安が胸を焼いた。


屋敷が見え、向こうからもこちらが見えたのだろう。何時ものように使用人達が私達を迎える準備をしているが、普段よりも速く走らせているため、出迎えの準備が終わっていない。しかし、その準備が終わるまで悠長に待ってやる余裕は、今の私にはない。


馬車が止まると同時に扉を開け放ち、御者が降りるより早く、私はリュカを抱えたまま地面に降り立った。すると、迎えに出ていた使用人たちの姿が視界に入る。


昔の私を知っている古参の者は平静を装っているが、新参の者たちは明らかにざわついていた。彼らの怯えた視線が、今の私の気迫を映しているのだと分かってはいるが、それでも、主人を前にして動こうとしない姿勢に、さらに苛立ちが込み上げてくる。


「アルノルド様!」


執事長のドミニクが慌てて駆け寄ってくる姿が見え、それによって他の使用人共もようやく動き出したようだ。来るのが遅いとも思ったが、屋敷全般の統括を任せている事もあり、叱責したい気持ちを抑え、冷静さを僅かに取り戻す


「医者とリタを呼べ! それと、話があるから書斎まで来て欲しいとエレナに伝えろ!」


その場で短く指示を出すと、私はリュカを抱えたまま部屋へと急いだ。


リュカの部屋に入ると、柔らかな寝台にそっと寝かせ、乱れた前髪を整えながら冷たい額に手を当てる。体温は、ほんのり高く、呼吸は穏やかだが、今朝見た笑顔が頭を掠め、胸が締め付けられた。


「リュカ様!!……っ! す、すみません! アルノルド様!」


扉をノックもせずに入ってきたのは、侍女のリタだった。彼女は息を切らし、私の存在に気づくと慌てて姿勢を正す。普段はその慌ただしさに、リュカを任せて大丈夫なのかと不安が過るが、今回は張り詰めていた心がほんの少し緩んだ。


「リタ。リュカの看病を頼む。事情は把握していると思うが、指示があるまで他言は無用だ。医者はすぐ来る。リュカが目を覚ましたら、書斎まで報告を」


「……はい。畏まりました」


彼女は一瞬、言葉を飲み込むように俯いた。その仕草が、どこか気にかかったが、今は問い詰める余裕がなかった。本当ならば、私がリュカの側にずっと付いていてやりたい。だが、私の姿を見れば教会での出来事を思い出し、負担になってしまうのではないか。そう思ってしまえば、リュカの側にいる事が出来ない。それならば、懐いているメイドが側にいた方が良いだろうと、その場を任せて部屋を後にした。


書斎に戻り椅子に腰を下ろすが、深く息を吐いても、胸のざわめきは鎮まらない。


(あの時、何を言えばよかったのだろう)


リュカが儀式に失敗したとき、私は何も言えなかった。直ぐに抱きしめてやることも、励ますこともできず、不用意な事を言えば、その言葉で傷つくのではないかと考え、恐ろしさに動けずにいたのだ。


政務ならが、感情を交えず、どんな案件でも対処する事が出来るのだが、自分の子供の事になると、こう役に立たないのかと、自分自身の不甲斐なさに、これまでにないほど腹が立つ。


貴族社会において、召喚儀に失敗することは存在を失うのと同義だ。正式な記録からも、家系図からも、名前すら消され、他国の孤児院に預けられたりもするが、親と過ごした記憶を持ったまま捨てられ、誰も彼らのことを語らなくなるのは、死と同じくらい残酷な処分と言えるだろう。


それだけでも理解しがたいというのに、地方貴族の貴族たちは隠蔽しやすいよう、妊娠した事実も知らせず妻を屋敷に軟禁し、子供も儀式が終わるまで隠す者もいる。しかし、王都に住んでいる者は、隠そうとしても何処からか情報は漏れてしまうため、確実に隠す事など出来ない。だからこそ、子供が消えても不自然ではない理由を作る時間がいる。だからこそ、貴族の子は春や夏に生まれるのだ。


教会側も、そういった貴族の面倒事に関わる事を嫌い、儀式場に入るのは、本人と家の家長だけと決まっており、結果の有無を知ることはない。召喚場に裏口があるのは、他者と絶対に出会わないようにするためだ。


私はそんな慣習をずっと嫌悪してきた。貴族の矜持だの、家の名誉だの、そんなもののために我が子を見捨てるなど、私からしてみればあり得ないことだ。だが現実として、この国ではそれが常識として根づいている。


「……全く、不愉快極まりない」


思わず低く呟く。平民の中では、一定数の者達が存在しているというのに、外聞が悪いという見栄だけで、それを実行できる者達をおぞましく感じる。


妻のエレナがオルフェを身籠った時、私は周囲から聞き飽きたと言われるほどに知らせて回った。リュカの時は、事前にエレナから釘を刺されていた事もあり、知り合いに手紙を一度送り、屋敷に来る商人達に自慢するだけに留めた。だというのに、エレナには叱られ、オルフェには白い目で見られてしまった。


(自重したのに、何故だ?)


未だに理由は分からないが、私にとって、家族は誇る者であり、隠す者でも、恥じる者でもない。だからこそ、儀式に失敗しようが、リュカが私の大事な息子である事に変わりが無く、何も問題はない。だが…リュカは違う…。


もし、召喚獣を持たないと他の貴族共に知られれば、王族に次ぐ権力を持っている我が家であろうとも、リュカに対して心無い言葉や冷たい視線を向けるだろう。


リュカは私が守る。


その意思に迷いはないが、その全てから守ることは出来ない。それこそ、屋敷の外に出さず、隔離する以外には…。だが、貴族のしがらみなど関係なく自由に生きて欲しいと思っている。


だからこそ、オルフェにも自由に生きて欲しいと思い、幼い頃から遠乗りや、家族での観劇などにも誘ってみた。だが、その殆どが断られ、終いには、自分に構う時間があるなら当主としての仕事しろとまで言われてしまった。


オルフェは冷静で、昔の私によく似ているとエレナには言われたが、それが良いことだと思えず、何とも複雑な気分で寂しさを覚えることもあった。


一方で、リュカは、我儘を言って甘えてくる子供らしさがあった。それが嬉しく、オルフェの分まで愛情を注いでしまったのが、真綿で包むように育てた者に、どう説明すればいいのだろうか……。


だが、あの笑顔を失うことだけは、絶対に阻止する。たとえ、貴族社会すべてを敵に回し、国が相手になったとしても。


そして、そのために必要なのは、冷静さと覚悟だ。感情に任せて動けば、かえってリュカを追い詰めることになる。

……それが分かっていても、父親としての心は、そう簡単に割り切れはしない。そんな思考の渦に沈んでいると、控えめなノック音がした。


「入ってくれ」


「アル……」


扉の向こうに立っていたのは、妻のエレナだった。その顔には、抑えきれない不安が滲んでおり、私の胸の奥に再び痛みが走った。


(あぁ…私はまた、この人を泣かせてしまうのか……)

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