服の下を透視する能力を得たら、あなたは何をしますか?

メモ帳パンダ

第1話 プロローグ

 透視能力。

 男なら誰しも、一度くらいは欲しいと思ったことがあるのではないだろうか。


 気になるあの子の服の下を見たい。

 そんな邪な欲望を、否定できるほど俺は清らかではなかった。


 中学生の頃の俺は、他の男子と同じように、どうしようもなく愚かだった。

 きっかけは、友人の何気ない一言だ。


「◯◯ちゃん、リボン付きのパンツ履いてるらしいぜ」


 掃除中、しゃがんだ拍子に見えたらしい。

 その初恋の女の子の名前はもう思い出せない。悪友たちの名前も同様だ。

 それなのに、このどうしようもない会話だけが、妙に鮮明なまま記憶に刻まれている。


 忘れもしない、学校からの帰り道。

 俺は、つい願ってしまったのだ。


『服の下を透けて見られる超能力が欲しいなぁ』


 そして次の日から、俺の地獄が始まった。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇


「イタタタ、痛いっ! そこに指を入れるのはやめて!」


 狭い施術室に、妙齢の女性の悲鳴が響き渡る。

 俺は思わず口角を上げたまま、ベッドに伏せて身をよじる女性を見下ろした。


 指先で皮膚を押し分けるように圧をかけ、ゆっくりと深さを変える。

 表層を撫でるだけでは意味がない。僧帽筋の隙間を抜け、その奥にあるインナーマッスルへと指を進める。

 抵抗の強い層を見つけたら、逃がさないように角度をつけ、息を吐くタイミングに合わせて沈める。

 彼女の肩が小さく跳ね、喉の奥から短い声が漏れた。

 ただのマッサージだ。だが、知らない人が見れば誤解してもおかしくない光景だろう。


 そう、俺がしているのは――


「だいぶ体を酷使しましたね……肩がカチカチに固まってますよ」

「ヒノくんの鬼、鬼畜。痛い痛い痛い」


 俺はマッサージをしている。一応、プロだ。

 鍼灸師の資格を持っていて、完全に自費診療でスポーツ傷害を専門に扱っている。

 マッサージは裏メニューみたいなものだな。これを治療として謳うと、少し法律的に面倒だ。


 とはいえ、開業したてで客はほとんどいない。来るのは、莉子さんのような肩凝りの客くらいだ。

 彼女はもともとテニス肘の治療目的で通い始め、そのまま常連になった人で、鍼治療には興味がない。正直、あまりやりがいはない。


 施術が終わると、莉子さんはベッドから身を起こし、肩をぐるぐる回した。


「やっぱヒノくんは腕がいいわね。この治療院で閑古鳥が鳴いているのが勿体ない」

「まだ正式には今月開業したばかりですから。場所も間借りですし」


 学生である事情もあって、営業時間はかなり短い。


「莉子さん、針での治療はいかがですか? 腰痛にも効きますよ」

「そんなに腰は痛くないのよねー。追加料金かかるし、今日はやめておくわ」


 まあ、これだけ肩が凝っていれば、相対的に気にならないだろう。

 俺から見れば腰も十分に重症なんだけど。

 せっかく専門学校に三年間通い、今年の春に鍼灸師の資格を取ったのに、鍼を打つ機会がほとんどない。


「それにしても、ヒノくんのマッサージは凄いわね。他の整体も試してみたけど、全然良くならないのよねー」


 まるでコリが見えているみたい……。

 莉子さんがぽつりと呟く。


 その言葉は、当たっている。

 俺には、彼女を構成する一本一本の筋肉繊維、血管、内臓――すべてが見えているのだから。


 肩を覆う僧帽筋。そのさらに深層に、いわゆるインナーマッスルである棘上筋がある。

 腕の回転軸に作用する筋肉で、彼女の場合、根本原因はそこだ。

 筋肉は短縮し、筋節が形成され、その影響で筋膜が硬く、膜状に厚くなっている。


 整体師は、肩凝りを主訴とする患者に対して僧帽筋へアプローチすることが多い。

 それは当然だ。インナーマッスルの異常は、触っただけでは分からない。


 ただ、俺は違う。

 俺は見ただけで原因が分かる。才能――いや、もしかしたら呪いかもしれない。


 ここをマッサージするには、僧帽筋を潜り抜けるように触れる必要がある。

 どうしても痛くならざるを得ない。

 鍼ならインナーマッスルに直接アクセスできると言っているのだが……。

 彼女は痛みを承知でマッサージを選んでいる。

 俺は、この人は個人的にドMなのかもしれないと思っている。口では嫌々言いながら、帰る時はすごく楽しそうだし。


「やっぱ、生き返った気分だわー」


 莉子さんは腕をぐるぐる回しながら、満足そうに笑った。

 俺は表まで彼女を見送る。外を歩く人間も、俺の目には全員、筋肉の塊として映る。


 最後に、去り際に振り返った彼女の表情を見る。

 普段の俺の世界には、筋肉しかない。

 能力を調整して、ようやく普通の人と同じ世界が見えるのだ。


 この調整ができるようになったのは、つい最近のこと。

 疲れるので、長時間は無理だが。

 それでも、人の顔が見えるというのは素晴らしい。

 十年弱、筋肉しかいない世界で生きてきたからな。

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