Fラン勇者高校の無能力者

柴咲ポメラニアン

ボーイ・ミーツ・スライム


 駅前の大型ビジョンから、ニュースキャスターの無機質な声が降ってくる。


『――次のニュースです。本日正午ごろ、都内に魔物が出現しましたが、S級勇者西園寺によって即座に鎮圧されました』


 アナウンスと共に、当時の映像が映し出される。


 画面の中、派手なジャケットを着た金髪の男が、カメラに向かって不敵な笑みを向けていた。


 高く掲げた指を、鳴らす。


 ――パチン。


 乾いた音が響いた、その瞬間。


 魔物の足元から、巨大な火柱が噴き上がった。


 断末魔を上げる暇もない。天を衝くほどの紅蓮の炎が、一瞬にしてその巨体を飲み込む。


 画面が白飛びするほどの熱波と轟音。


 炎が晴れたあとに残ったのは、髪をかき上げる英雄の姿だけだった。


『現場到着から討伐まで、わずか数秒。本日も市民への被害はゼロでした』


 淡々とした報道とは裏腹に、その神業を見せつけられた駅前の群衆からは「キャーッ!」「西園寺様ー!」と黄色い歓声が上がった。


 空の亀裂ができ、魔界から魔物が溢れ出したあの日からおよそ百年。人類は『異能』という武器を手にし、こうして抗い続けている。


 画面の向こうにあるのは、その頂点だ。


 人々は彼の強さに、そのスター性に熱狂している。


 だが、俺が釘付けになっていたのはそこではない。


 あの光。あの熱。物理法則を無視して事象を書き換えるエネルギー。


 その根源はいったいどこから来るのか。魔物がやってきた向こうの世界、魔界には何があるのか。


 湧き上がるのは、純粋な渇望だ。


 周囲の熱狂とは裏腹に、俺の胸の奥にある衝動だけが、冷たく、静かに燃え上がっていた。



「……だからこそ勇者になって異能について調べたい。そう思うのは、人間の知的欲求として当然ではないでしょうか」


 放課後の進路指導室。


 そう話すと、先生は額に手を当て、深い溜息を吐いた。


「有村。お前、勇者という職業の定義を忘れているわけじゃないだろうな」


「もちろん。異能を行使して魔物を駆逐する、国家公認の免許所持者のことです」


「そうだ。『異能』を行使して魔物を駆逐するんだ。その姿に憧れる奴が少なくないことも知っている。先生だって昔はそうだった」


 そう言って、先生は手に持っていたペンを指先から離した。ペンは重力を無視して、ふわふわと宙に浮く。


「私の異能は、『ものを浮かせる』というものだ。便利な異能ではあるが、そこまで重たいものを操れるわけではない。だから勇者を諦めたんだ。だが君はどうだ。前提である異能すら持っていないじゃないか」


 先生の言う通りだ。


「異能を持たない人間が勇者になるなんて聞いたことがない。無謀を通り越して自殺志願だぞ。……お前の座学の成績なら、国立の研究機関に推薦だって出せる。そこで安全に異能を解明する道だってあるだろう」


 教師としての真っ当な提案。だが、俺は即座に首を横に振った。


「研究職は第二志望です。ただ第一志望とは、限りなく大きな差がありますが」


「あくまで勇者になりたいか。なぜだ? 名声か?」


「いいえ。俺が興味あるのは、五年後を目途に計画が動いている『魔界の調査プロジェクト』です」


 俺は先生の目を真っ直ぐに見据えて続けた。


「国内外の論文は読み漁りましたが、今の学界での有力説は『異能のルーツは魔界にある』というものです。なら、こちらの世界で研究を続けても答えは出ない。ルーツを知るには、現地である魔界に行くしかないんです」


「……そのためになら、命を懸けられると?」


「はい。現時点での魔界調査プロジェクトは、危険性を考慮して魔界に派遣されるのは勇者だけ。……ならば高校生活三年の間に勇者免許を取得し、卒業後プロジェクトに参画する。これ以上の選択肢はありません」


 俺の言葉に、先生は呆れたように首を振った。


「……有村。理屈は分かったが、現実は甘くないぞ」


「承知の上です」


「近年の強力な魔物相手では、個人の戦闘能力だけでなく、集団戦闘が前提となる。だが、異能なしのお前に何ができる?」


 俺は先生の目を真っ直ぐに見据えて答えた。

 

「索敵、戦場指揮、戦術立案……。攻撃性能以外の需要は年々高まっています。俺はそこで活路を見出すつもりです」

 

「その枠を、高校三年間で勝ち取るつもりか? 異能なしで?」


「現時点での勝算はありません。……ですが、やる前から諦めるような真似はしたくないんです」


 俺の頑固な返答に、先生はこの日一番深い溜息を吐いた。


「……だが、まずは勇者科の高校に進学して、受験資格を得る必要があるだろう」


 先生は机の引き出しから一枚の古びたパンフレットを取り出し、俺の目の前に滑らせた。


「私立・千条高校。昨年の志願者の合格率は100パーセントだった」


「ええ、現状だと入学できるのはここしかないと思ってました。定員割れで志願者全員を合格にするフリーボーダーだと」


「そうだ。世間では勇者の育成機関であるのにフリーボーダーであることを蔑みを込めて『Fラン勇者高校』と呼ばれている場所だ。卒業生の勇者免許取得率は数パーセント。設備も環境も最底辺……ワケありや、夢を捨てきれない人間が最後に流れ着く場所だ」


 先生は試すような目で俺を見た。


「それでも、勇者への切符が欲しいか?」


 最底辺、結構なことだ。門前払いされるエリート校よりよほど価値がある。


 それに数パーセントとはいえ勇者を輩出しているというのは事実。中には入学後に台頭し、有名になった人だっているんだ。要はやりよう。


 だから俺の答えは変わらない。

 

「もちろんです」


 迷いなく答えた俺を見て、先生は「物好きな奴だ」と苦笑した。

 


 面談はそれで終わりだった。進路相談室を出て、教室に戻り鞄を手に取る。放課後の教室内にはまだ多くの生徒が残っていたが、俺が姿を見せた途端、ひそひそとしたさざ波が広がった。


「おい見ろよ、あいつ進路希望を書き直さず面談にいったらしいぜ」


「マジかよ。無能力者なのに勇者科?」


「ガリ勉すぎて頭おかしくなったんじゃねえの」


 遠慮のない嘲笑と、突き刺さるような冷ややかな視線。ここ数ヶ月、俺が進路を公言してからずっと続いている光景だ。彼らにとって、無能力者が勇者を目指すことは、空を飛ぼうとして崖から飛び降りる愚か者と同義なのだろう。中には本気で俺の身を案じて、呆れてくれている奴もいるのだろう。


 だが、今更だ。誰かに言われて変わる程度の決意ならば、とっくの昔に折れている。


 帰ったらどの論文を読もうか。俺は意識を切り替えると、背中に感じる視線を受け流し、迷うことなく帰路についた。



 大通りを歩くこと十数分。


 鮮やかなネオンサインは徐々に減り、周囲は住宅街特有の静けさに包まれていく。


 家まではまだ少し距離がある。少し近道をしようと、街灯の少ない路地裏へ足を踏み入れたその時だった。


「――ん?」


 足を止めたのは、本当に些細な違和感だった。


 夜風に乗って、微かに鼻を掠めた匂い。


 独特な金属臭。普通ならば「何か臭うな」程度で通り過ぎてしまう違和感だろう。


 だが、俺の脳裏にはある疑念が浮かんでいた。


 それは、魔物が魔界から現れるためのゲートから発生する匂い。八年前に魔物が現れたときも……同じような匂いがしていた気がする。


 勘違いならば構わない。


 いつでも通報できるよう携帯だけ手に持ち、俺は匂いの元へと駆けた。


 そして、不法投棄された家電やゴミが積みあがった路地裏の突き当たり。


 そこに、それはいた。


 潰れたボールのような形状。大きさはソフトボールくらいか。この世界のものとは思えない鮮やかな青色の体表に、閉じかけの二つの目が沈んでいる。


 間違いない。これは魔物だ。おそらくスライムの類だろう。


「……だ……れ?」


 子供のようなか弱い声が聞こえた。


 言葉が話せる類の魔物か。


 うっすら開いた目がこちらに合った。だが、青い体は小刻みに震えている。


 よく見ると、ゼリー状の体表の四分の一ほどが、ごっそりと抉り取られていた。


 切り傷ではない。何か強大な力で無理やり引きちぎられたような跡だ。そこから体液が漏れ出ている。


 その傷跡は、勇者がやった者とは思えない野蛮なものだった。そもそも魔界からのゲートが開いた匂いがしてから数分。その短時間に致命傷だけ負わせて、とどめを刺さず帰る勇者なんてありえない。


 となれば――、


「別の魔物にやられたのか。それで、こちらの世界に逃げてきたと」


 スライムは、おずおずと小さくうなずいた。


 どうやら魔界の魔物は仲良しこよしというわけでもないらしい。そりゃそうだ。向こうの世界でも魔物同士、食物連鎖のようなものがあるのだろう。


 ならば、中には人間に対して敵対意思のない魔物もいるかもしれない。生き延びるために魔界からやってきた、目の前の存在のように。


「このままだと、魔物として勇者に討伐されてお前は死ぬよ」


 そもそも今の瀕死の状態では、小さい子供が踏みつぶすだけで死んでしまいそうだ。


「……やめて……ボク……悪い……スライムじゃ……ないよ」


 そう細い声で訴えてくる。確かに、魔物特有の殺気は感じられない。ただ怯えているだけだ。


 本来、魔物を前にすれば生物としての警報が鳴り響き、足がすくむはずだ。だが、俺は吸い寄せられるように一歩踏み出していた。


 ドクン、ドクンと脈打つ鼓動。それは恐怖ではない。未知への探求心。異能の根源である魔界からきた未知の存在を知りたい。その身勝手で強烈な欲求が、俺の体を突き動かしていた。


 俺はしゃがみ込み、スライムと目の高さを合わせた。


「助けてやろうか」


「……ほんと?」


「うん。ただし二つ約束してほしい。一つは人間に危害を加えないこと。そしてもう一つは……」


 俺は震える青い体に手を伸ばした。


「お前の持つ異能や魔界の知識を、俺に教えてほしいんだ」


 目の前にいる彼から情報を得られれば、何か異能の代わりになる力を得られるかもしれない。


 俺は期待に胸を躍らせながら、その冷たい身体を抱き上げた。

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