たまごを落としてしまった私は。
西奈 りゆ
1.ストロー
ラスト・ストローという、有名な言葉がある。日本語訳は、「最後の
ラクダの背中に限界まで荷物を積み上げた結果、たった一本の藁を乗せた瞬間、ラクダの背骨は折れてしまったという小話が元になっている慣用句で、英語のことわざに由来するらしい。転じて、限界を迎えた人には、ほんの些細なきっかけが、決壊のきっかけになる。そんな意味を持っていたと、どこかで習った気がする。
夫の不調になぜ気づかなかったのかとは私自身何度も思ったし、誰に責められなくても、私自身、何度も何度も自分を責めた。もっとも、それで許してくれる人など、一部の理解ある医療従事者以外、ほとんどいなかったのだけれど。
不器用だけれど、真面目で誠実なところが好きだった。いや、その思いは、今も変わっていない。変わっていない、はずだ。
心療内科では、「メランコリー親和型」という、聞きなれない言葉を聞いた。
聞けば、うつ病になる人に多い性格傾向を指す言葉、ということだった。
要約すれば、まじめで責任感が強く、周囲に気を遣うことを重視するような性格傾向。まさに夫のようなタイプを指す言葉だった。ただし医師曰く、現在はこうした典型的なタイプは緩和、ないしは減少傾向にあるという主張もあるらしい。
その線で、なかには「メランコリー親和型」という分類自体、そもそもかなり古い時代に提唱されたものであるため、すでに古典的なものになりつつあると指摘する向きもあるという。
目の前の医師に、他意がないのは分かっていた。けれど、夫が病気になったのは、時代遅れのそんな性格のせいだと言われたような気がした。そんな私は、ひねくれているのか、それとももう、夫とは違う方向で、心を病み始めてしまっているのか。
いずれにせよ、医師のそんな話を、私は傷んだレバーが詰まったかのように鈍重になってしまった頭で、それでも何か手掛かりはないかと、必死になって聞いていた。
手掛かり。また二人で、笑いあえるための、どこにも見えないピース《欠片》。
どんなに追い詰められていても、現実は待ってくれないし、責任は変わらない。
私にも仕事があるし、休職中の夫は、けれども家事をする余裕も、金銭的な余裕もない。貯金は少しはあるし、もちろん夫には傷病手当こそ出ているものの、それも無期限に支給されるわけではない。休職も、同様だ。
医療費の一部を公費負担にしてもらう。その申請に必要な診断書の料金は、けれどけして安くないし、手間もかかる。仕事と家事の合間を縫って、ようやく役所に全ての書類を提出できたその日の帰り道。何度目かに信号に引っかかったそのとき、自立と自己責任という言葉の違いは何なのだろうと、ふと思った。
出るかなと思った涙は、けっきょく出なかった。
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