何かのラブコメ

東中島北男

第1話

 この世界は多分、何かの創作物の世界だ。

 漫画なのかライトノベルなのか、はたまたゲームなのか。

 媒体は不明だが、ジャンルだけはわかる。ラブコメだ。

 高校に入学したばかりの主人公と、何人かの女の子が織りなすドタバタの恋愛模様をコミカルに描く。そんな作品だろう。


 天原神次。天ときて神。なかなかに目出度く、珍しい名前だ。

 そこへきて、高校入学と同時に一つ年下の義妹と一つ屋根の下で暮らすことになるのは、もう珍しいを通り越して異常だ。普通なら大学進学等で、息子が家を出るのを待ってから再婚するものだろう。


 まるで何かの主人公みたいな――そんな考えが頭の片隅をよぎった瞬間、思考を縛っていた鎖のようなものが砕け散ったのがわかった。

 これまでずっと物語の登場人物として思考の一部が操られていたことと、それから解き放たれた感覚。これを味わってしまっては、与太話だと笑い飛ばすこともできなかった。


 認めざるを得ない。この世界は多分、何かのラブコメの世界だと。

 そして、それを自覚して取るべき行動は――




「うーむ。どうしたらいいのかさっぱりわからん」


 高校に入学して一ヶ月と少し。

 そろそろ高校生活にも慣れてきて、何なら既に若干の飽きというか、倦怠感すら生じ始めた頃。

 順調な学校生活とは裏腹に、俺は家庭に深刻な問題を抱えていた。


「義理の妹って、どうやって呼べばいいんだ……?」


 苗字は同じ天原になったのだから、名前の梓で呼ぶのが普通、というかそれ以外に呼びようがない。

 が、ほとんど話したことも無い間柄なのに名前で呼ぶのは憚られる。かといって、名前を呼ばないと話しようがない。詰みだ。


 なお、この問題には義妹の方も直面しているのか、用事があって俺を呼ぶときには困った顔で「えっと」「あの」などと言ってくる。

 この気まずい関係は義理の兄として俺から率先して切り込んで解決したいところなのだが、どうにも義妹は俺のことを避けているようなので、あまり距離を詰めても嫌がられるだけなのではと尻込みしてしまっているのが現状だった。


 そうして考え事をしながら学校の廊下を歩いていると、角のところで女子とぶつかってしまった。


「おっと」

「あたっ」


 家に帰るのが億劫でつい放課後になってからしばらく学校をウロウロしていたが、用事が無いならさっさと帰るべきだったか。


「あー、悪い。えーと……奥宮、さん? だっけか」


 あたかもうろ覚えのような言い方で謝ってみたが、この学校に「奥宮ついな」のことを知らない男子は存在しないだろう。

 何せ圧倒的に顔が良い。もはやビジュアルの暴力だ。


 時折奥宮さんがぽけーっと空を見上げている様子を見かけるのだが、それもここまで顔が良いと何か意味があるように見える。

 特に目にはどこか超常的というか神秘性な魅力があり、じっと見つめられると全てを見透かされているような、あるいは全て受け入れてくれるかのような気がしてしてならない。


「うん、こっちこそごめん。天原くん」

「あ、ああ」


 こうして間近で少し見上げるようにして見つめられると、たとえそれがぽけーっとした表情でも、どうしてもドギマギしてしまう。こんなに近くで顔を見たのは初めてだが、やっぱり顔が良い。

 奥宮さんの顔を一目見ようと、同学年どころか二年や三年の男子まで奥宮さんのいる一年四組の教室の前にうじゃうじゃと集まったというのも頷ける話だ。確かあれは一週間ほど続いたんだったか。

 ……しかしそれより、別のクラスだし名乗った覚えも無いのに名前を覚えられているじゃないか。


 少し早足で階段を降りて行った奥宮さんをぼけーっと見送るが、後ろ姿だけでも雰囲気があるから凄いものだ。

 多分身長は百五十五センチ前後。ブレザーを着ていてスカートもきっちり膝丈なので体型ははっきりとはわからないが、膝から下を見る限りでは細めの体格。

 髪は地毛が明るいのか、少し茶色のセミロング。若干無造作気味なのは……朝が弱そうだから、その辺りはあんまり頑張ってないのかもしれない。

 何の変哲もない女子の後ろ姿といった感じなのだが……何だろう。ヒロイン力のような不思議な魅力を感じてしまう。


 そんな奥宮さんが見えなくなり、入学してからこれまでを思い出す。こうして奥宮さんとぶつかったのは何度目だろうか。

 この学校で、いや、今までの人生で見てきた中で最も可愛い女の子と、何をしたわけでもないのに偶然お近づきになってしまう。俺は何かの主人公なんじゃね、などと軽く考えていたところへこの偶然が続いたことで、ひょっとして何かのラブコメなんじゃないかと疑いを強めることになっていた。


「……なんてな」


 家でのストレスが強く、現実から逃避して妙な妄想を捗らせてしまった。

 偶然知り合ったといっても、ただ何度かぶつかっただけでほとんど話をしたこともない。なのに勝手に物語のヒロイン扱いするのは、いくらなんでも痛すぎる考えだ。

 奥宮さんが遅くまで学校に残っているのは、おそらくどこかに告白されに行っているからだろう。最近は一日に二回か三回はどこかに呼び出されていると専らの噂だ。

 今のところは全て断り続けているらしいが、いずれその内の誰かと付き合うことになる。あまり変な妄想をして、勝手にショックを受けないようにしなければ。

 ……それにしても一週間で十人以上のペースとは凄いものだ。現実でこんなにモテることがあるとは。


「まるで漫画みたいな…………じゃない」


 また妄想の世界に入り込むところだった。ちゃんとこの現実を生きなければ。

 学校にいても余計なことを考えてしまうだけだし、さっさと帰るべく駐輪場の方へ向かう。今朝はギリギリで登校したので、自転車は駐輪場の奥の方に停めざるを得なかった。これが地味に面倒臭い。


「とはいえ朝早く来るのもそれはそれで……ん?」


 校舎の裏にある駐輪場の奥の方。そのさらに奥から、何やら話し声が聞こえてくる。どうも男が声を荒げているようで、あまり穏やかではない雰囲気だ。

 喧嘩でもしてるなら関わりたくないのでさっさと帰ろうと思ったが、そういえば奥宮さんもこっちの方に向かっていたことに気付いた。


「うーむ」


 このまま帰ると後で気になって仕方ないだろうから、一応様子を見ておくことにする。そう考えて建物の陰からこそっと声のする方を覗いてみると、まさに予想していた通りの状況だったようだ。


 男子生徒が声を荒げて奥宮さんに詰め寄っている。その男子の背中側から覗いているので表情は見えないが、恐らく告白を断られて感情的になってしまっているのだろう。

 さすがに見て見ぬ振りはできないので助けに入りたいところだが……確証が無いのが辛いところだ。奥宮さんが泣きそうな顔になっていたら躊躇しなくても済むのだが、いつも通りの無表情なのでどういう気持ちなのかさっぱりわからない。


 ここで鼻息荒く「何やってるんだ! 奥宮さんが嫌がってるじゃないか!」などと言って突撃してみたらただの勘違いでした、ということになると恥ずかしくて表を歩けなくなってしまう。間違いなく登校拒否コースだ。

 よって、本当に助けが必要なのかと様子を窺っていると、奥宮さんと目が合ってしまった。そりゃずっと顔を出して見ていたらそうなるか。


「あっ、天原くん」

「はあ? あー……くそっ」


 奥宮さんに詰め寄っていた男子は、俺に見られていたと気付いて冷静さを取り戻したのか、少しの間空を見上げてからとぼとぼと立ち去っていった。あっちはさらに校舎裏の奥の方だが……まあこっち側に来て俺とすれ違って立ち去るよりは、遠回りしてでも反対側に行く方がマシだと判断したのだろう。

 ともかく荒事にならずに済んだのは良かったが、このままでは俺が告白の場面を覗き見していたことになってしまう可能性がある。


「いや、違うんだよ。俺は覗きは……まあしてたと言えばしてたんだけど、決して興味本位だったり悪気があったりしたわけじゃなくて、えーと、そう。いざというときは颯爽と飛び出して助けるためにタイミングを見計らって……じゃなくて、えーと」


 こちらに向かって歩いてくる奥宮さんに必死の弁解をする。俺は……やったのはやったけど、動機がちょっと違うだけなんです。


「ありがとー天原くん。たすかった」

「お? おお、邪魔じゃなかったんだな。なら良かった」


 表情からはさっぱりわからなかったが、あれでもかなり困っていたようだ。

 そして今も俺の目の前まで来て感謝の言葉を口にしているが、やはり表情は変わらないまま。顔を間近でじっと見ても、可愛いということしかわからなかった。


「何というか、モテすぎるのも大変だな。こんなこともしょっちゅうあるんだろ?」

「んー? うーん、言われてみれば大変かも」

「なら別に全部律儀に相手しなくてもいいんじゃないか? 特にこんな人気の無い所だと危ないし」


 奥宮さんは見た感じ何も考えてなさそうだからか、どうにも危なっかしい気がする。なのでちょっと釘を刺すというか、注意を促しておくことにした。

 仮にこんな所にのこのこ出向くと男が数人待ち構えていて――などということになったら大変だ。

 学校でそんな暴挙に及ぶ奴がいるとは思いたくないが、何といってもこの可愛さなら無いとは言い切れない。今も至近距離で俺をじっと見つめてきているが、これをやられた奴がおかしくなっても仕方ない気もする。


「そうなの? でも告白するのはすごく勇気がいるから、断るにしてもちゃんと向き合ってあげないと駄目って言われた」

「それは告白する側の理屈だな。される側のことを全く考えてない」


 現に奥宮さんは最近ずっと大変らしいし、今日は少し危なかった気がする。


「おおー、確かに」


 告白される側に寄った考えが目から鱗だったのか、奥宮さんは俺を見上げたまま目をキラキラと輝かせている。すごい目力だ。

 あんまり鵜呑みにしても危ない気がするので、ちゃんとバランスも取っておくか。何故俺がこんな事を……?


「かといってラブレターを全部読まずに破いて捨てるとかはマズいけどな。恨まれても危ないし」

「それはさすがにしないけどー……うーん。むずかしい」

「まあその辺の塩梅は誰かに相談すればいいんじゃないか」

「相談……相談……」


 奥宮さんはちょっとだけ眉根を寄せて考え込んでいる。どうしたんだ。


「ほら、友達とかに。また呼び出されて大変だーって言うとか」

「うーん。友達……」

「え? 友達がいな……あ、いや。何でもない」


 しまった、友達がいないのか。

 入学早々に信じられないぐらいモテているので、やっかまれたりしてるのかもしれない。


「友達はいるよー。でもなんであんたばっかりーって言われたりするから、ちょっと相談しにくい」


 奥宮さんは少しむっとして反論してきた。全く表情が無いというわけではないのか。

 しかし恐らく冗談めかしてではあるものの、やはりやっかまれてはいたらしい。


「あー……それなら、うーん、親は違うし、兄弟も違うな。うーん……ん?」


 どうしたものかと考えていると、奥宮さんがどこか期待するような眼差しで俺を見上げていることに気付いた。

 ……これはそういうことなのか? しかし男関係の相談を男の俺に……? まあ言い出した俺が引き受けるのが自然な流れなのか……?

 よくわからんが、とにかくこの目でじっと見つめられると駄目だ。


「誰もいないなら……えー、俺、とか……?」

「ほんと? いいの?」

「あ、ああ。いいけど……」

「やった。ありがとー」


 そして相談するなら当然連絡先を交換することになった。

 なんだこれは。何故こんなにもトントン拍子に距離が縮まるんだ。


「天原……しんじ?」

「え? ああ、神次な。天原神次」

「しんじ。うん、しんじ」


 奥宮さんは心に刻み込むように俺の名前を連呼している。……もしかして、今後は苗字じゃなくて名前で呼ぶつもりなのか?

 だとするなら、俺も奥宮さんのことをついなと呼んだ方が良いのか? いや、さすがにそれは無いか……?

 そうして呼び方について考え込んでいると、いつの間にか校門のところまで来ていた。自転車通学なのは同じだが、俺の家はここから右で、奥宮さんは左らしい。


「じゃーねー」


 奥宮さんは相変わらずのぽーっとした表情で、それでも少し大きく手を振ってから自転車に乗って去って行った。少し嬉しそうに見えたのは気のせいだろうか。


「どうなってんだこれ……?」


 数多の男共が攻め落とさんと突撃しては、悉くが城門にすら辿り着けずに散っていった奥宮城。

 そこになぜか俺だけが素通しされて、一日で本丸まで入り込んでしまったような感覚だ。

 ひょっとしてこのまま落城するのか? 俺は何もしてないのに?

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