第6話 過去との決別
夢の始まりは、音だった。
剣がぶつかる音。
魔法が空気を裂く音。
誰かの、叫び声。
久瀬アラタは、暗闇の中で目を開けた。
――違う。
ここは、現代の部屋ではない。
石の床。
煤に汚れた壁。
空気は熱く、血の匂いが濃い。
「……また、ここか」
彼は知っている。
これは夢ではない。
記憶だ。
◇
目の前に、巨大な扉がある。
黒鉄で作られた魔王城の最奥。
背後に、仲間たちがいる。
「行こう、勇者」
剣士。
回復役の僧侶。
魔導士。
何度も共に戦った者たち。
彼らは笑っている。
だが、その顔を見た瞬間、アラタの胸が締めつけられた。
――この先で、全員死ぬ。
結果を、知っているからだ。
「……ああ」
それでも、彼はうなずく。
止めることはできない。
これが、世界の流れだった。
◇
魔王は、玉座に座っていた。
圧倒的な魔力。
存在するだけで、周囲を歪める。
「勇者よ」
低く、響く声。
「よくぞ、ここまで来た」
戦いは、凄惨だった。
剣が折れ、魔法が尽き、仲間が倒れていく。
叫び声。
血。
絶望。
それでも、アラタは前に出た。
理由は、一つだけ。
――終わらせなければならない。
それが、役目だった。
◇
最後の一撃。
魔王の胸を、剣が貫く。
断末魔。
崩れ落ちる巨体。
世界は、救われた。
だが――。
「……終わったな」
振り返っても、誰もいない。
仲間たちは、全員倒れていた。
静まり返った玉座の間で、アラタは一人立ち尽くす。
勝利の喜びは、なかった。
ただ、空虚だけが残った。
――そして。
そのまま、彼は死んだ。
◇
「……やめろ」
アラタは、はっと目を覚ました。
自分の部屋。
カーテン越しの朝の光。
息が荒い。
心臓が、うるさく鳴っている。
「……全部、思い出した」
断片ではない。
最初から、最後まで。
勇者としての人生。
役目としての戦い。
報われなかった結末。
――だから、どうした。
彼は、ベッドに腰を下ろす。
あれは、過去だ。
終わった世界の話だ。
今の自分は、久瀬アラタ。
妹と暮らす、ただの探索者。
……そのはずだった。
◇
その日、アラタはダンジョンに向かわなかった。
代わりに、街を歩いた。
学生。
会社員。
子ども連れの家族。
当たり前の光景。
――これを、守った。
そう言われたこともある。
だが、守ったのは世界であって、
自分自身ではなかった。
「……俺は」
立ち止まり、空を見上げる。
勇者だった頃、選択肢はなかった。
戦うしかなかった。
だが、今は違う。
行くか、行かないか。
潜るか、引くか。
全部、自分で選べる。
◇
夕方、家に戻るとミオがいた。
「今日、休み?」
「……ああ」
少し、驚いた顔。
それから、安心したように笑う。
「じゃあ、一緒にごはん作ろ」
キッチンに並んで立つ。
包丁を握るミオの手元を見ながら、アラタは思う。
――この時間は、勇者の世界にはなかった。
「ねえ」
ミオが、不意に言った。
「最近、ちょっと顔つき変わった」
「そうか?」
「うん。前より……怖くなくなった」
その言葉に、アラタは一瞬、言葉を失った。
怖かったのは、誰だ。
自分か。
それとも――過去か。
◇
夜。
アラタは、静かに決めた。
もう、勇者として戦わない。
役目のために、命を投げ出さない。
それでも――。
「世界一には、なる」
小さく、だが確かな声で呟く。
理由は、変わった。
証明のためでも、義務でもない。
選んだ結果として、そこに立つ。
それが、今の自分だ。
◇
翌日、アラタは再びダンジョンへ向かった。
だが、歩き方が違う。
視線が、違う。
過去に引きずられていない。
受付を通り、ダンジョンの闇へ足を踏み入れる。
もう、勇者はいない。
いるのは――。
久瀬アラタ。
世界一を目指す、ただの探索者。
そして、誰かの兄だ。
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