第6話 過去との決別

 夢の始まりは、音だった。


 剣がぶつかる音。

 魔法が空気を裂く音。

 誰かの、叫び声。


 久瀬アラタは、暗闇の中で目を開けた。


 ――違う。


 ここは、現代の部屋ではない。


 石の床。

 煤に汚れた壁。

 空気は熱く、血の匂いが濃い。


「……また、ここか」


 彼は知っている。

 これは夢ではない。


 記憶だ。



 目の前に、巨大な扉がある。

 黒鉄で作られた魔王城の最奥。


 背後に、仲間たちがいる。


「行こう、勇者」


 剣士。

 回復役の僧侶。

 魔導士。


 何度も共に戦った者たち。


 彼らは笑っている。

 だが、その顔を見た瞬間、アラタの胸が締めつけられた。


 ――この先で、全員死ぬ。


 結果を、知っているからだ。


「……ああ」


 それでも、彼はうなずく。


 止めることはできない。

 これが、世界の流れだった。



 魔王は、玉座に座っていた。


 圧倒的な魔力。

 存在するだけで、周囲を歪める。


「勇者よ」


 低く、響く声。


「よくぞ、ここまで来た」


 戦いは、凄惨だった。


 剣が折れ、魔法が尽き、仲間が倒れていく。


 叫び声。

 血。

 絶望。


 それでも、アラタは前に出た。


 理由は、一つだけ。


 ――終わらせなければならない。


 それが、役目だった。



 最後の一撃。


 魔王の胸を、剣が貫く。


 断末魔。

 崩れ落ちる巨体。


 世界は、救われた。


 だが――。


「……終わったな」


 振り返っても、誰もいない。


 仲間たちは、全員倒れていた。


 静まり返った玉座の間で、アラタは一人立ち尽くす。


 勝利の喜びは、なかった。

 ただ、空虚だけが残った。


 ――そして。


 そのまま、彼は死んだ。



「……やめろ」


 アラタは、はっと目を覚ました。


 自分の部屋。

 カーテン越しの朝の光。


 息が荒い。

 心臓が、うるさく鳴っている。


「……全部、思い出した」


 断片ではない。

 最初から、最後まで。


 勇者としての人生。

 役目としての戦い。

 報われなかった結末。


 ――だから、どうした。


 彼は、ベッドに腰を下ろす。


 あれは、過去だ。

 終わった世界の話だ。


 今の自分は、久瀬アラタ。

 妹と暮らす、ただの探索者。


 ……そのはずだった。



 その日、アラタはダンジョンに向かわなかった。


 代わりに、街を歩いた。


 学生。

 会社員。

 子ども連れの家族。


 当たり前の光景。


 ――これを、守った。


 そう言われたこともある。


 だが、守ったのは世界であって、

 自分自身ではなかった。


「……俺は」


 立ち止まり、空を見上げる。


 勇者だった頃、選択肢はなかった。

 戦うしかなかった。


 だが、今は違う。


 行くか、行かないか。

 潜るか、引くか。


 全部、自分で選べる。



 夕方、家に戻るとミオがいた。


「今日、休み?」

「……ああ」


 少し、驚いた顔。

 それから、安心したように笑う。


「じゃあ、一緒にごはん作ろ」


 キッチンに並んで立つ。

 包丁を握るミオの手元を見ながら、アラタは思う。


 ――この時間は、勇者の世界にはなかった。


「ねえ」


 ミオが、不意に言った。


「最近、ちょっと顔つき変わった」

「そうか?」


「うん。前より……怖くなくなった」


 その言葉に、アラタは一瞬、言葉を失った。


 怖かったのは、誰だ。


 自分か。

 それとも――過去か。



 夜。


 アラタは、静かに決めた。


 もう、勇者として戦わない。

 役目のために、命を投げ出さない。


 それでも――。


「世界一には、なる」


 小さく、だが確かな声で呟く。


 理由は、変わった。


 証明のためでも、義務でもない。


 選んだ結果として、そこに立つ。


 それが、今の自分だ。



 翌日、アラタは再びダンジョンへ向かった。


 だが、歩き方が違う。

 視線が、違う。


 過去に引きずられていない。


 受付を通り、ダンジョンの闇へ足を踏み入れる。


 もう、勇者はいない。


 いるのは――。


 久瀬アラタ。

 世界一を目指す、ただの探索者。


 そして、誰かの兄だ。



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