とまとという小さな命と真剣に向き合った時間が、そのまま静かに胸へ届いてくるようでした。喜びも不安も後悔も、どれも大げさに語られず、ただ事実として並べられているからこそ、読んでいる側の心にそっと沁みていきます。きっと生き物と暮らしたことのある人なら、この痛みの形をどこかで知っているはずです。命を預かるということの重さと、そこに確かにあった愛情が丁寧に描かれていて、自分の過去の記憶が蘇り、涙しました。とまとの一生は、決して無駄ではないです。むしろ、あなたの手の中で過ごしたその時間は、深い愛情と学びに満ちた、かけがえのないものだったのだと静かに伝わってきます。悩み、迷い、必死に守ろうとした日々そのものが、とまとの存在の証であり、誰にも奪えない尊い軌跡です。
たとえ最後に痛みが残ったとしても、それは本気で向き合ったからこそ生まれた痛みであり、愛情の裏返しだと思います。とまとの一生は、小さくても確かに輝いていて、その輝きは今も、このお話を通して、僕等の中にも息づいています。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
温かいお言葉を頂き、私も涙ぐんでしまいました。
をはちさんも、素敵な関係の小さなご家族がいらしたのですね。
哺乳類のように一緒に遊ぶこともなく、毎日給餌する訳でもなく、本当に暮らしを共にしていたというだけのささやかな関係でした。
そこにあった愛情を汲み取って頂き、大きな喜びと、また後悔に襲われています。
ただこれは一生付き合っていかなければならない気持ちだと思います。
とまととの暮らしには、痛みだけでなく喜びや感動も沢山ありました。
痛みだけでなく、それもちゃんと憶えておこうと思います。
コメント失礼します。
自分は爬虫類が苦手な方です。独特な捕食の印象が強いからかもしれません。
ただ語り手が大事にしていたことは伝わってきますし、その命が失われるのは切ないものです。生き物はひた向きに生きているだけですから。
人間の都合で動物を飼うことは、どうしても矛盾を孕むのかもしれません。
考えさせられるお話でした。
追記:いえいえ、あれぐらいの描写なら大丈夫ですよ。こちらこそ気を遣わせてしまってすみません。
作者からの返信
コメント、レビューもありがとうございます。
給餌の様子を綴ってしまいましたが、御気分を悪くされなかったでしょうか……?
勉強になったで片付けてはいけない出来ごとでした。
ペットを飼う事がそもそも可哀想という方もいらっしゃいますが、私はそこまでは思いきれませんね。やっぱり可愛いので。
ただ、命を扱う自覚と、後悔を背負っていく覚悟を持つことが必要だと考えました。
読みました。これは「飼育の失敗談」じゃなくて、命に手を伸ばした人間が、最後まで責任を引き受けようとした記録だと思いました。
卵詰まりで病院を探して走ったこと、解剖まで依頼して“分からなさ”から逃げなかったこと、その全部が「玩具にした」と言い切れる人の誠実さで、胸が痛いのに目を逸らせませんでした。
「ペットを可愛がること」と「命を繋ぐこと」の重さが別物だ、という結論も刺さりました。
とまとに起きたことを、他の飼育者に残すために書いてくれた文章だと伝わります。救いがあるなら、“救い”で終わらせずに、同じ穴に落ちる人を減らす形にしたところだと思う。
大事なことを、軽くしないまま書いてくれてありがとうございます。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
青羽さんのコメントを頂いて少し救われた気がします。
普及しているペットはヒトより寿命が短い生き物が殆どなので、交配して血を残したいとか、面影を残したいとか思う人もいて良いし、私もそう思います。
ただ、それに責任と命を背負う覚悟が必要だと思います。
当時の私はそんなこと考えもしませんでした。
また、突然変異的な死だったとしても、過度な近親交配や品種改良が生んだ異常かもしれない。
犬でも猫でも昨今は「ミックス種」を可愛がる風潮があると思います。
簡単に交配に手を伸ばせるからこそ、ちょっと問題提起というか、考えて頂きたかったことです。
重ねてになりますが、コメントありがとうございました。
命を相手にしているのだから、
予期せぬ事態ということも起こりえますよね。
月兎耳さんはよく頑張ったと思います。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
命。蛇でも虫でも犬猫でも命なんですよね。
蛇を飼ってると言うと眉を顰められる事も多く、まして通院なんて馬鹿にされます。
私は出来るだけ誰かの好きを否定せず、小さい物の命に心を寄せようと思います。
とまとには可哀想な事になりましたが、飼い主として出来るだけの事をしてあげられたのではないかと、思えました。