サンタクロースの書き方
古木しき
サンタクロースの書き方
祖母は、十二月になると必ず、机の引き出しから一枚の紙を取り出した。
それは新聞の切り抜きだった。黄ばみ、縁は指に触れるだけで崩れそうに薄くなっている。保存という行為が、時間に対していかに脆いかを示すような紙だった。
――Yes, Virginia, there is a Santa Claus.
幼いころの私は、その一文を奇跡だと思っていた。
祖母は有名な少女で、サンタクロースの存在を新聞に問い、世界を少しだけ優しくした人。学校でも、テレビでも、そう説明されてきた。
だが、祖母自身はこの話をほとんどしなかった。
切り抜きは、飾られることも、額に入れられることもなく、毎年同じ引き出しに戻された。まるで、思い出として扱われることを拒むように。
「サンタクロースは、本当にいたの?」
私がそう尋ねたのは、たしか七つか八つの頃だったと思う。
祖母は少し間を置き、紅茶を一口飲んでから答えた。
「必要な場所には、存在するわ」
それ以上は語られなかった。
私はそれを、「信じる心」の言い換えだと理解した。
祖母の家は静かだった。
音と呼べるものは、時計の針が刻む規則正しい摩擦音と、紙が擦れる微かな気配だけだった。
祖母はよく何かを書いていた。
カード、短い手紙、宛名のない文章。いずれも用途は明示されず、書き終えられると、しばらく机の上に置かれたのち、引き出しの奥に仕舞われた。
そのうちのいくつかは、いつの間にか消えていた。
祖母は行き先を語らなかったし、私は一度も尋ねなかった。
十二月。
街は例年通り、信仰めいた装飾で満ちていた。
赤と緑、鈴の音、作られた笑顔。誰もが「信じるふり」をしている季節だ。
ある年のクリスマス・イブ、祖母は珍しく私を机の前に呼んだ。
「あなたは、もうサンタクロースを信じている?」
問いは唐突だった。
私はすぐには答えられず、しばらく考えた末、首を横に振った。
「信じてはいない。でも……いてほしいとは思う」
祖母は、その答えを否定しなかった。
肯定もしなかった。
「それで十分よ」
そう言って、例の切り抜きを机の中央に置いた。
「多くの人は、これを奇跡だと思う」
祖母の声は穏やかだったが、そこに感傷はなかった。
「でも、これは奇跡じゃない」
私は黙って続きを待った。
「私は、あの答えを“信じた”わけじゃない」
祖母は言った。
「理解してしまったの」
「何を?」
「人は、信じたいものを必要とする、という事実を」
窓の外では雪が降っていた。
音はなく、ただ現象として存在していた。
「事実だけでは、人は生きられない。
希望、約束、救済――それらは現実の外部に置かれなければ、機能しないの」
「サンタクロースは……いないってこと?」
「物理的には、存在しない」
祖母は即座に断じた。
「でも、存在しないからこそ、維持される」
祖母は引き出しから、白いカードを一枚取り出した。
切り抜きとは対照的な、まだ何も書かれていない紙だった。
「誰かが信じられるように。
誰かが、一夜を恐れずに過ごせるように。
そのために、書かれ続ける必要がある」
祖母はペンを取り、カードに文字を書いた。
宛名はなかった。
そのとき、私はようやく理解した。
祖母は、サンタクロースを信じた人間ではない。
サンタクロースという概念を、機能させ続けた人間だったのだ。
「来年からは、あなたが書きなさい」
祖母はカードを私に差し出した。
「信じない者が書く。それが条件よ」
カードには、短い英文が記されていた。
――Yes. Someone must write Santa Claus.
その年、祖母は眠るように亡くなった。
十二月。
引き出しには、黄ばんだ切り抜きと、白いカードが残されている。
私はペンを取る。
紙の白さが、わずかに指に冷たい。
インクは、祖母と同じ色だった。
誰かのために、ではない。
世界が必要とするために。
サンタクロースは、存在するかどうかで測られるものではない。
書かれ続けるかどうかで、存続が決まる。
今年もまた、誰かがサンタになる。
その役割は、今、私に引き継がれている。
サンタクロースの書き方 古木しき @furukishiki
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