悪役貴族に転生したから、主人公の仲間を先に俺が集めます!

水乃ろか

第1話 悪役転生


「あ……俺、異世界転生してたわ」


 自室の椅子に深く腰掛けていた、その時だった。


 呟きと同時に、脳内へダムが決壊したかのような勢いで、前世の記憶が流れ込んでくる。


 この世界は、前世で死ぬほどプレイした超大作マルチストーリーRPG『エルヴァンディア戦記』――通称『エル戦』の世界。


 俺がここをゲームの世界だと即座に断定できたのは、当然のことでもある。

 何せ俺は、このゲームの隠しダンジョンから全エンディングの回収まで、網羅もうらし尽くした『やり込み勢』だったのだから。


 だが、そんな転生の驚きよりも、今この瞬間に突きつけられた現実の方が、よほど深刻な問題だった。


「俺が……レヴォス・ムーングレイ……?」


 姿見を覗くまでもなく、この肉体の持ち主が誰であるかを悟ってしまう。

 

 俺が転生したのは、エルヴァンディア帝国の公爵家が嫡男ちゃくなん

 『悪役公爵令息』 レヴォス・ムーングレイ、その人だった。


 単なる端役の悪役ではない。

 レヴォスはシナリオの進行ルート次第で、最後の敵ラスボスとして君臨する男だ。


 ゲーム内のレヴォスは後に王位を簒奪さんだつし、情け無用の略奪と嬉々として残虐な虐殺を繰り返す。

 その姿は、人々に『歩く災厄』として語り継がれ、救いようのない悪逆非道の象徴として刻まれることになる。


 性格は冷酷そのものだが、能力だけは文字通り『規格外』だった。


 武勇、剣術においては大陸無双。思考においては、感情を排した冷徹な戦略家。

 そのあまりの強大さは、作中で『神すら膝を屈する』とまで称賛されていた。


 しかし、その最後はあまりに虚しい。

 強すぎるがゆえに誰の手も借りず、残虐すぎるがゆえに味方にすら裏切られてしまう。


 そして主人公率いる反乱軍に対して、最後に残ったレヴォスはたった一人で戦い、討ち取られる。


 壮絶に散るためだけに用意された、死の運命を背負った男――


 だが俺、レヴォスはまだ13歳だ。

 悪役としての芽は出始めているが、まだ取り返しのつかない破滅フラグを立てる前の段階にある。


「レ、レヴォス様……? いかがなさいましたか……?」


 耳元で、羽虫の羽ばたきのように震える声が響いた。

 視線を向ければ、そこには専属メイドのコレットが、幽霊でも見たかのように顔を青ざめさせて立ち尽くしている。


(本物のコレットちゃんだ……動いてる。めちゃくちゃ可愛い! ……いや、そんな場合じゃないな)


 彼女が捧げ持つ銀のお盆の上で、ティーカップがカタカタと乾いた音を立てていた。

 その微かな震えが、レヴォスという存在に対する本能的な恐怖の表れであることを、俺は知っている。

 

 俺は、コレットへ咄嗟とっさに言葉を返した。


「あ、いや、なんでもないです……」


「ひぇ!? レ、レ、レヴォス様!? い、今、『ないです』とおっしゃいましたか……!?」

 

 (しまったぁ! 傲慢野郎レヴォスは、使用人に対して敬語など使うはずが無いよな)

 

「……あー、なんでもないと言っているだろう。耳まで腐ったか?」


 慌てて傲慢ごうまんな態度を取り繕えば、コレットはさらに縮こまり、今にも消えてしまいそうなほど小さくなった。

 その不憫な姿に胸の奥で申し訳なさが募るが、ここで急激にキャラを変えれば不信感を買うだけだ。

 当面は、この『傲慢なクソガキ』を演じ切るしかない。


「コレット、目障りだ。茶を置いたらさっさと部屋から出ていけ」


(ごめんね、コレットちゃん。後で心のなかで100回謝るから……)


「えっ!? 今、もしかして……私の名前を呼んでいただけたのですか!?」


(またやってしまった! 興味の無い人間の名前すら覚えないはずのレヴォスが、一介のメイドの名前を呼ぶこともない。呼び方も考えないとな……)


「俺がそんな殊勝しゅしょうなことを言うはずなかろう! 空耳だ、さっさと消えろ!」


「す、すみません! ただちに!」


 弾かれたように部屋を飛び出していくコレットの背中を見届け、俺は重い溜息とともにドアの鍵をかけた。

 どっと押し寄せる疲労感は、徹夜で作業した後に迎えた朝のような、熱を帯びた倦怠感によく似ていた。


(よりによって、レヴォスか……)


 このままシナリオのレールに乗れば、待っているのは数年後の無惨な死という破滅エンドが待っている。

 危険度合いでいえば、俺は今、地雷原のど真ん中に立っているような状態だ。

 

 だが、幸いにも俺の頭の中には、全マルチシナリオの分岐条件が網羅されている。


 生き残るためには、これから訪れるであろうあらゆる破滅フラグを、俺自身が一本残らず叩き折らなくてはならない。


 そして破滅フラグ以外にも、この『エル戦』が大人気な理由の一つであり、俺にとって厄介な事がある。

 

 このゲームは仲間になるキャラが、主要なキャラだけでも100人を超える。

 そして、主人公の持っている特殊スキル『皆は一人のために、一人は皆のために』だ。

 

 主人公は仲間が多くなることで強くなり、さらに主人公が強くなる事で仲間も強くなる。

 だから俺は破滅フラグを叩き折りつつ、主人公の仲間たちをどうにか、仲間にさせないようにしないといけないわけだ。


 だが幸い、このレヴォスの性能スペックは『規格外』の一言に尽きる。

 『主人公の仲間になるキャラクター』としてのバランスではない、レヴォスは一人で主人公パーティーを相手にする『ボスモンスター』側の性能スペックなのだ。


(……ならば、この力を今すぐにでも確かめたい。自分の意志で、この完成された肉体を制御できるのかを)


 俺は廊下へ出ると、獲物を探す鷹のように鋭い足取りで、目的の人物を探した。


 白髪交じりの長髪を低く一つに結び、完璧に調整された、隙のない営業スマイルを浮かべた壮年の男性。


 執事のフォルテだ。


「おい、ちょっといいか」

「これはこれは、レヴォス様。いかがなされましたか?」

「俺に、剣を教えろ」

「……失礼ながら、私は剣の扱いはたしなんでおりません。刃物は包丁より重いものは持ったことがございませんので」


 そう言うと、フォルテは営業スマイルを浮かべた。

 

 (よく言うぜ。その手は数多の兵をほふってきた死神の腕だろうに)

 

 フォルテ・ソワース。

 

 剣術マニアであり、かつては名の通った剣士だった。

 そして剣術の素晴らしさを広めるべく、弟子を取り師範として生きる道を選んだ。

 だが、ある戦で「教える」という行為が原因で破滅を招いてしまった。


 才能のある弟子に剣を教え、ともに戦場に向かったが、その弟子は命を落とした。

 「自分が剣を教えなければ、あの者は死ななかったのではないか」と考えがフォルテを苦しませることになる。


 それ以来、その後悔に苛まれるようになってしまった。


 そして、フォルテは決心する。

 

 二度と剣を教えない、二度と剣士を名乗らない、と。


 剣を持たぬ仕事を選び、行き着いた先が、ある恐れられている貴族の屋敷だった。

 それがレヴォスの住む、この屋敷だ。

 

 俺は公爵である父、両親とも離れて暮らしている。そもそも両親はレヴォスになど興味が無い。

 それがレヴォスの性格を歪ませる一端にもなるが、その傲慢なガキがあらゆる使用人をいびり、辞めさせていた。

 

 だからフォルテが簡単に執事という立場を担うことにもなれたのだ。それはフォルテにとっても都合が良かった。

 身分が低くくても良い。そして過去を詮索されず、何より「剣を振るう理由」が存在しない。

 

 だが、悪役レヴォスが世界を混乱させ始めると、これではいけないという感情が芽生え、主人公率いる反乱軍に加入する事になる。

 そして、主人公に剣を教える立場となる重要キャラでもある。

 

 要は、剣が好きだったのに、剣を捨てざるを得ない状況になってしまった人物だ。


「そうか。では、出かけるので付いてこい。馬車を用意しろ」


「承知致しました。すぐにご用意いたします。……どちらへ向かわれるのでしょうか?」


 俺が執事のフォルテと共に向かった場所。

 

 それは俺の住んでいる屋敷から遠くない、領地内でも最悪の治安を誇る冒険者ギルド『虎狼ころう咆哮ほうこう』。

 

 冒険者ギルドの使い古され黒ずんだ木製の重い扉を押し開けると、蒸したような熱気と共に、鼻を突く安酒の臭い、錆びた鉄、そして洗われていない獣のような体臭が混ざり合った独特の異臭が、肺の奥まで侵入してきた。


 一歩踏み込むごとに、ガタガタと床を擦る乾いた音が反響する。

 酒場でたむろしていた、お世辞にも上品とは言えない荒くれ者たちの視線が、獲物を値踏みする肉食獣のような鋭さで一斉に俺へと突き刺さった。


(なるほど。ゲームの画面越しに見ていた時とは、空気の密度も、肌を刺す敵意の温度もまるで違う。だが、妙だな……)


 俺の脳内は、驚くほど静かに、かつ鋭利に冴え渡っていた。

 『エル戦』の膨大な知識と、レヴォスが本来持っている天賦の才が完璧に噛み合っているのか、周囲の喧騒の中から「俺への敵意」と「危険な動作」だけを、ノイズを排除して抽出していく。


「お前ら、俺を倒せれば金貨一枚やるぞ。牙を抜かれた野良犬ばかりのようだが、この中で一番強い奴はどいつだ?」


 俺の一言に、一瞬ギルド内が静まり返る。


 だがすぐに、ギルド内の静寂が熱湯を浴びせられたように沸騰した。


「んだと……コラ、ナメたこと言ってんじゃねえぞ、クソガキが!」

「なんだ、この目障りなガキは?」

「金持ちの坊ちゃんが迷い込んだか。殺して剥いじまおうぜ」


 フォルテが止めに入ろうと思ったのか、俺の前へ出ようとしたが、俺は手を掲げフォルテを制止した。

 

 そして一人の巨漢が、酒瓶を床に叩きつけて立ち上がった。

 岩のような筋肉を震わせ、威圧的に歩み寄ってくる。


 だが、俺の瞳はその男の顔すら捉えていない。

 視線はただ、男の足首の角度、重心の移動、そして振りかぶろうとする右肩の筋肉の微かな収縮だけを計算していた。


(右からの大振り。踏み込みが甘い。――今だな)


 巨漢の拳が鼻先に届く寸前、俺は最短距離の回避動作で、男の懐へと滑り込んだ。

 男の視界から俺の姿が消えた、まさにその刹那。


 吸い込まれるような俺の掌打が、巨漢の鳩尾みぞおちを寸分の狂いもなく射抜いた。


 ――ごふっ。


 肺からすべての空気が強制的に絞り出されるような、短い呻き。

 巨漢は白目を剥き、支えを失った巨木が倒れるような重量感でドスン!と床に沈んだ。


 一撃。最小限の力で。


「……つまらんな。この程度の雑魚しかいないのか」


(レヴォス、強すぎる……ッ! なんなんだ、この身体は!?)


 巨漢の敗北に色めき立ったゴロツキたちが立ち上がり、抜刀した。


「ふん、貴様ら。外へ出ろ。俺から決して逃げるなよ」


 そう言い放つと、ギルド前の大通りには、ぎらついた三十人近い冒険者ゴロツキが、獲物を狙うハイエナのように俺を囲んでいた。


 (人数も多いし、面倒だな)


 俺は模擬剣を抜き、冒険者ゴロツキたちに言い放った。


「時間の無駄だ。全員でかかってこい。最初に俺を殺した奴は、金貨百枚に増やしてやる」


「「「なっ!?」」」


 その挑発に激昂した男たちが、一斉に俺を細切れにせんと襲いかかる。


 だが、その直後――


「う、あ……っ……」


 1分も経たぬうちに、ギルド前には冒険者ゴロツキたちのうめき声だけが響いていた。

 わずかに意識を残した連中は、倒れ伏しながら、俺を何か底知れぬ悪魔でも見るような恐怖の眼差しで見上げている。


 フォルテの表情も、目を見開き信じられないものを見たという顔だ。


 俺は倒れた連中に金貨を数枚、無造作に放り投げた。


「治療費だ。せいぜい腕を磨け。俺の領民なら、雑魚では許さんぞ。また、来るからな」


 子供に対し、多勢に無勢で挑みながら完敗した事実に混乱する冒険者たちを放置し、俺はフォルテに向き直る。


「屋敷に戻るぞ、フォルテ」

「え……はっ……はい! 馬車はこちらです」


 慌ててフォルテが馬車の扉を開けている、その後ろで俺は自分の手を見ていた。


(……手が震えてる。悪役を演じるのも楽じゃないなぁ)

 

 馬車に乗り、俺は正面に座るフェルテを見た。

 目線こそ、俺にあわさないもののフォルテにも思う事があるのだろう。

 フォルテは己の手のひらを見続けていた。その手は、俺と同様に震えていた。


 俺が今回、冒険者達を倒したのにも理由が二つある。


 ひとつは、俺のこの領地の治安向上だ。

 冒険者ゴロツキに対して、最も効果的な手段は何か?

 

 金か? 権力か?

 ――否。


 圧倒的な暴力だ。

 彼らは、その力を生業なりわいとしている。


 恐怖で支配するのではない。

 彼らが本能的に欲するのは、純粋に強いものへの憧憬しょうけいと敬愛なのだ。

 それを叩き込むのが一つ目の目的であり、それは先ほど完遂された。


 そして、二つ目の目的。

 俺の目の前のフォルテだ。これこそが本来の目的である。


「フォルテ。俺と立ち会え」


 俺の言葉に、フォルテの眉が僅かに動いた。

 目の前で傲慢で我儘わがままだと思っていたガキが、30人相手に模擬剣で無双したのだ。


 フォルテの剣士としての矜持きょうじを刺激するのには、充分だろう。


 「……承知いたしました。そこまでおっしゃるなら、お相手いたしましょう」


 さっそく、俺の釣り餌に食いついた。


 フォルテの手のひらが震えていたのは、恐怖ではない。

 信じられないほど強い者と戦ってみたいという、剣士としての本能的な武者震いなのだ。



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