第三話 始まってしまった配信
初配信の日時は、三日後に決まった。
準備期間としては短すぎるはずなのに、誰も疑問を口にしなかった。
事務所のスタジオに入ると、すでに機材は整っていた。
カメラ、マイク、モーションキャプチャ。
姉が使っていたものと、まったく同じ。
「練習、しますか?」
技術スタッフがそう聞いてきた。
私は首を振った。
「……大丈夫です」
自分でも驚くほど、迷いがなかった。
本当に大丈夫なのかは分からない。
でも、今さら「できません」と言える空気でもなかった。
控室で、一人になる。
モニターには、待機画面が映っている。
カウントダウンが、静かに進んでいく。
配信が始まるまで、あと五分。
私は椅子に座り、目を閉じた。
深呼吸をしようとして、途中でやめた。
呼吸の仕方まで、意識すると分からなくなる。
イヤーモニター越しに、スタッフの声が聞こえる。
「緊張してます?」
「大丈夫、いつも通りで」
“いつも通り”。
それは、誰のいつもだろう。
カウントが、ゼロになる。
画面が切り替わり、コメント欄が一気に流れ出した。
《待ってた》
《おかえり!》
《今日もかわいい》
おかえり。
その言葉が、胸の奥に重く落ちた。
「こんばんは。今日も来てくれて、ありがとう」
声が、自然に出た。
考えるより先に、口が動いた。
コメントが、さらに加速する。
《声、元気そうで安心した》
《いつもより落ち着いてない?》
《なんか雰囲気変わったけど好き》
変わった。
そう言われて、初めて自覚した。
私は、姉ではない。
だから、完全に同じにはならない。
なのに、誰も「違う」とは言わなかった。
雑談を進める。
最近の出来事。
コラボの話。
姉がよくしていた話題が、次々と頭に浮かぶ。
——こんな話、聞いたことがあっただろうか。
自分の記憶なのか、姉のものなのか、区別がつかない。
それでも、口にするとコメントは盛り上がった。
《それ前にも言ってたよね》
《懐かしい》
《やっぱり変わってない》
変わっていない。
その評価が、なぜか一番怖かった。
配信中、ふと視線を横にやる。
モニターの隅に、社長の姿が映っていた。
別室から、こちらを見ている。
目が合った気がした。
彼は、小さく頷いた。
——上手くいっている。
そう言われているようだった。
一時間の配信は、あっという間に終わった。
終了ボタンを押した瞬間、全身の力が抜ける。
「お疲れさまでした」
スタッフたちの声は明るかった。
拍手まで起きている。
「完璧でしたよ」
「全然違和感なかったです」
誰も、姉の名前を口にしない。
代役だとも言わない。
まるで、最初から私がそこにいたみたいに。
控室に戻ると、スマートフォンが震えた。
姉のアカウントで、DMが届いている。
《今日の配信、よかったよ》
《無理しすぎないでね》
心臓が、強く跳ねた。
——誰が、送った?
スタッフか。
事務所か。
それとも、予約投稿?
送信者を確認しようとして、指が止まった。
見たくなかった。
その夜、親友から再びメッセージが来た。
《ねえ、今日の配信……》
《あの子の癖、出てた》
短い文だった。
でも、それだけで十分だった。
私はベッドに横になり、天井を見つめた。
耳の奥で、コメントの流れる音がまだ響いている。
《おかえり》
《変わってない》
《生きててくれてありがとう》
生きているのは、誰だろう。
目を閉じると、姉の声が聞こえた気がした。
気のせいだと、言い聞かせる。
けれど、眠りに落ちる直前、
はっきりとした言葉が、頭の中で響いた。
——次も、お願いね。
私は、返事をしなかった。
できなかった。
配信は、もう始まってしまった。
姉はVtuber からし @KARSHI
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