第2話 ダンジョンに迷い込んだ少年
目が覚めると、天井と空気の匂いがガラッと変わった現実にしばらく呆然とする。熱はない。痛みも消えている。ただ、意識が消える直前の記憶を思い出し、恐怖と混乱を覚えた。
俺はゆったりと身体を起こし、辺りの景色を見渡す。すると暗闇へと続く石造りの狭い廊下が前方にも後方にも広がっていた。
「ひっ……」
家の中じゃない。
その事に気づき、俺は身を縮めて怯える。
外だ。外だ外だ外だ。
恐怖する。吐き気が込み上げてきて、口に苦い酸味が広がる。
──gAaaa
突然、何か生き物の鳴き声が聞こえた。
野良犬か何かだろうか。そう思うより早く、そいつは姿を表した。
……身の毛がよだつ。
全身が緑色の、子供くらいの大きさの醜悪な見た目をした鬼。手には丸太ほど太い棍棒を持っていて、服は腰に布切れを巻いているだけ。顔はでこぼこで、爛れたような目元は恐ろしさを感じさせる。
俺は瞬時にそいつが誰かを理解した。
俺はその化け物を知っていた。
「
呟いた瞬間だった。
小鬼が突然走り出し、襲いかかってきた。
慌てて状況を理解した俺は立ち上がってそいつの攻撃を避ける。
ゴォン、と俺がいた壁に棍棒が振り下ろされ、爆音が鳴った。まるで自動車の衝突事故でもあったかのような爆音に、全身に寒気が走る。
竦んだ足でも避けれたが、直撃していれば死んでいただろう。石造りの壁は表面が完全に砕かれ、石がパラパラと落ちる音がした。
「っ……クッソ!!」
理解せざるをえない。
どうしてか俺は今、ダンジョンの中にいる。
それは辺りの風景と目の前のモンスターが証明していた。
であれば、次にしなければならないのは順応だ。
敵がいる。襲われている。抵抗しなければならない。
──gaAAA
何を言っているのか理解できないが、再び小鬼が棍棒を振り下ろした。
俺はそれを横っ飛びで回避し、体勢を立て直す。
当たれば死ぬが、やはり動きは単調だ。
それを冷や汗をかきながら避けて、すれ違い際、小鬼に拳を叩き込んでみる。
しっかりとした手応えはなかった。
明らかに小鬼のものとは違う、硬い感触。壁でも殴ったかのように、拳が弾き返された。俺は思わず苦虫を噛んだような顔になる。
「魔力壁……やっぱあるか」
探索者が特別である理由。それは、モンスターは魔法以外では倒せないから。
モンスターが体に纏う魔力壁を突破するには、魔力を帯びた攻撃が必須なのである。
この時点で、俺はすぐに戦って倒すことを諦める。
最善の選択肢。それは逃げることだ。
──gaAA!!
幸いにも俺より足は遅いのか、何個か角を曲がって撒くとやがてその小鬼の鳴き声は遠くなって消えた。
息を切らし、俺は膝に手を当てて少し休む。
それから思考を回す。
……どうすればいい?
やるべきことは単純だ。わけが分からないが、迷い込んでしまったダンジョンから抜け出す。
でもどうやって?
俺は先ほどまで見ていたダンジョン配信の内容を参考にする。
幸いにもダンジョン系のコンテンツを見ていたお陰で、一般人の俺でもある程度ダンジョンの知識があった。
ダンジョンから出るには、ダンジョン門をくぐる必要がある。
ダンジョン門とはダンジョンと現実世界を繋ぐ門で、基本的にはダンジョンに入った時の門を利用するか、特殊個体部屋にある門を利用するかの二択だ。
俺はダンジョン門から入っていないので、前者は使えない。
ならば、答えは決まっている。
特殊部屋──階層ごとにいくつか設置されている特殊な部屋、それを見つけてダンジョン門から帰還する。
そうするしか、方法はない。
問題があるとすれば、特殊部屋に
移動しよう。そう決めて、俺はアテもなくダンジョンを探し回ることにした。
その間も、脳内でダンジョン配信で得たうろ覚えの知識を復習する。
そもそも
方法の一つとしては魔力の流れを嗅ぎ分けるとか、そんなものがあった気がするが、俺は生憎と探索者じゃないので魔力なんて一ミリも分からない。
つまり、当てずっぽうになりそうだった。
──gAaaa!
それから何回か小鬼と遭遇しつつ、肝を冷やすような思いをしながら逃げ回った。
見たところ、この辺りには小鬼しかいないようだった。
俺の知っている限り、小鬼はダンジョンの一階層にいる最弱と呼ばれる部類のモンスターだ。
それでもあの棍棒を頭に食らったら、俺は一発で頭蓋骨が割れてあの世行きである。当然油断できるわけもなく、命がいくつあっても足りないと思わされた。
四回だ。
合計で四回遭遇し、二対以上一緒にいる通路などは避け、約三十分ほどかけて俺はようやく特殊個体の部屋らしき場所に到着した。
「ここが……特殊部屋」
俺の背丈の三倍はあるであろう扉の前に立ち、リング型の取っ手に手をかける。そして力を込めて扉を引き、その先に広がった景色に目をやった。
その瞬間ゾワっと、足先から頭にまるで無数の蟲に身体を犯されたかのような強烈な寒気が走った。
本能が恐怖した。敵を見て、その強烈な殺意を浴びて、俺は目当てのダンジョン門が部屋の中に見えたのにも関わらず、部屋に入る一歩を踏み出せなかった。
「ッ──!!!」
一本の、巨大な樹がいた。
見上げればその巨体は体育館ほど大きい部屋の天井まで届きそうで、部屋中に張った根はドクドクと血管のように脈を打っている。
その樹には顔があった。まるでナイフで掘られたかのような悍ましい目と口は開かれていて、その中に暗闇があり、何かが無数に蠢いていた。
今まで見てきたどんな化け物よりも、そいつは恐ろしい見た目をしていた。そしてそいつがこちらを捉えた瞬間、部屋が地震のように揺れた。
──***
一瞬だった。
多分、その樹が何か魔法を唱えた。そして丸太のように太い幹を腕のようにしてこちらに向け、何かを発射する。
次の瞬間、破裂音に似た銃声が響き渡った。
「ぁあああアア!!!?!?」
最初に感じたのは全身に走る痛みだった。
次いで、俺は耐えきれず掠れたような悲鳴をあげた。
辛うじて、散弾銃のような弾が発射されたのだろうと理解した。
しかし痛みが、頭をかき回す。痛覚が思考を邪魔する。俺は倒れ込みそうになるのを堪えて、どうにか逃げなければという事だけ考える。
その間にも命を奪うあの銃口が、再び樹によって俺に向けられようとしている。
俺は迷う間もなく振り向いて、部屋から抜け出した。
角を曲がった瞬間、俺のいた場所に銃弾が撃たれた。破裂音が鳴り響く。壁には無数の穴が開いていた。もし間に合っていなかったら、死んでいただろう。
俺は荒んだ息を落ち着ける暇もなく、真っ先に自分の状態を確認する。
まず、右手の手のひらが真っ赤だった。
小指の下あたりの肉が完全に撃ち抜かれていて、内部が露出していた。
それから腹部にも穴が空いていた。服を捲ると、腹の右側から血が流れているのが見えた。ひどい出血と痛みを感じた。
本当に運良く、あの散弾は俺に直撃しなかった。
手の辺りと腹部の辺りを掠っただけ。それだけなのに、死にそうなほどの出血だ。
痛みは続いている。
滝のような汗が全身に流れて、視界の焦点が定まらない。
脳に浮かぶのは、自分が死ぬんだという事だけだった。
ダンジョンから出るという希望は潰えた。ダンジョン門は、あいつが背に隠すように守っていた。どう考えても通れるはずがない。
そして当然、ここにいて助けを待つのも無理だった。喉が乾く、食料もない、出血も酷い、小鬼にだって襲われる。
人生の詰みを理解すると同時に、涙が押し寄せた。
まだ──死にたくない。
小鬼と遭遇した時、精一杯、心に鎧をつけた。
冷静に、落ち着いて判断を下したつもりだった。
抵抗する。戦う。逃げる。よくぞパニックにならずに動けた、と正直最初の小鬼から逃げ切れた時は浮かれてすらいた。
でもどこかで選択肢を間違えた。だから今こうして死ぬ。
クソみたいな人生だった。
死ぬなんて、納得なんてできるはずが無い。
俺は自分が嫌いだ。それは自分という人間のクズさをよく理解しているからだ。
もしこの稲木 達志という人間が他人なら、死んで当然だと言ってすらいたと思う。でも、こいつは紛れもなく俺で、だから死ぬなんて納得できない。
死にたくない。まだ、何も持ってない。
このクソみたいな人生をひっくり返せてない。地位も名誉も、小さな自信さえ、何も味わえちゃいない。
俺の欲望を、何一つ叶えられていないのに。
でも理不尽は唐突に、無情に、奪い去る。
誰だって嫌だろう。今からお前は死ぬ。今から何もできずに、全て消える。そういう状況に置かれたら、耐えられない、納得できない。
「死にたく、ない……」
ぐちゃぐちゃになった視界で、一つ呟く。
苦しい、痛い。死にたく無い。
どうして。
もし、魔法が使えたら。魔法に目覚めていたら。
神様。
神様神様神様。
どうして。
魔法を、力を、救いを。
何故、何も与えてくれないのですか──。
身体が熱い。熱が全身を巡っている。
……死ぬのか。そんな考えがよぎる。
けれどその時。
声が聞こえた。
「──おい、貴様」
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