朝起きたら、冷蔵庫の中に見知らぬ手紙が入っていた。

三渉

朝起きたら、冷蔵庫の中に見知らぬ手紙が入っていた。

 朝起きたら、自分の家の冷蔵庫の中に見知らぬ手紙が入っていた。

 怖気が走った。

 僕は一人暮らしだ。自分に心当たりがない以上、何者かが家に侵入したことになる。

 思わず周りを見回したが、特に異変は見当たらない。

 だが僕は探偵ではない。何か異変があったとしても、気付ける自信はまったくない。

 スヌーズを切り忘れた目覚ましが鳴った。

 こんなことをしている場合じゃない。

 僕は玉子とハムだけを取って冷蔵庫を閉めた。

 急いで目覚ましを止めてから、食パンの真ん中をへこませてハムと玉子を上に乗せる。

 生玉子がパンから滑り落ちないよう細心の注意を払っているうち、手紙のことは頭の隅に押しやられた。

 勝手に出現した手紙なのだ。勝手に消えているに違いない。

 チン、とトースターが鳴る。

 テレビの時報も鳴っている。

 慌ただしい朝のタスクをこなしながら、今日もどうにか出勤へとこぎつけた。

 冷蔵庫はいっさい開けなかった。

 手紙も消えるときは誰にも見られず消えたいだろう。僕は猶予を与えたのだ。


 駅に着いた。

 改札を前に、ポケットからICカードを取り出す。

 ヒッ、と、喉が鳴った。

 手紙だった。

 宛名も差出人もなく、ただ『重要』とだけ書かれている手紙。その脅迫的な大きさの行書体赤字フォント。

 今朝冷蔵庫の中に入っていた手紙で99%間違いない。

 いやそんなことより、クレジットカードと紐付けてある僕のICカードはどこに行った。

 手当り次第ポケットをまさぐりだすと、二つめのポケットで出てきてくれた。

 あ、駅員さん、この手紙落とし物です。

 改札の前でまごついたせいで周囲の視線がいささか痛い。

 僕は逃げるように早足になり、いつもの電車に飛び乗った。


 座席に座り、ふぅ、と息をつく。

 目を閉じて思うのは手紙のことだ。

 僕は探偵ではないが、二つあった可能性はほぼ一つになったと言っていい。

 オカルト(人外)か、リアル(人間)か。

 僕に記憶障害がある可能性はないものとして、明確に前者のしわざだろう。

 まったく現実的ではないが、僕は正気なので間違いない。

 少し考えてみた。

 二度あることは三度あるという。ならば三通目もあるのだろうか。

 だが、動画を録っている場所と時間でこの現象が起きる可能性は極めて低い。

 売れっ子ユーチューバーになれる可能性も限りなく低いと見たほうがいい。

 残念だが現実を見よう。

 降りる駅が近づいてくると、尻の下に違和感が出現した。

 なるほど。

 扉が開くと同時に僕は立ち上がり、忘れ物だと呼び止める声をスルーしてホームに降りた。

 あの手紙も車掌か駅員の手に渡るのだろうが、どちらでも僕よりは不審物慣れしているので適切に処理してくれることだろう。

 僕は心の中で敬礼した。


 会社のデスクには、『重要』と書かれた手紙がこれみよがしに置かれていた。

 目にした瞬間、足元のゴミ箱にスッと落とした。

 隣の席の同僚が物言いたげな表情で見てきたが、笑顔を向けると無言で目をそらしていた。

 おまえにやろうか? と思ったのが伝わったのだろうか。危機察知能力の高いやつだ。

 離席するたびにデスクに置いてあったので、僕はそのたびにゴミ箱に詰めた。

 オカルトの世界にペーパーレスはまだ浸透していないらしい。

 電話メモを取ろうとすれば手紙があり、クリアファイルを取ろうとすれば手紙があり、ノートパソコンにも手紙が挟んであったが、電子メールでは届いていなかった。

 僕は手紙をゴミ箱に入れ続けた。

 二度あることは三十度以上あるようだ。

 どんどん頻度が上がってきている気がするが、突然の手紙出現を目撃して悲鳴を上げる社員は一人として現れない。

 送り主は人目のない隙を狙って手紙を届けることに血道を上げるゲーマーか。

 うちの社員が業務と無関係なことは淡々とスルーすることに長けた社畜なのか。

 もちろん僕は社畜なので、次はいかに隙間を作ってこの新しい手紙をねじ込むか、仕事の傍らゴミ箱をパンパンにするパズルに勤しみながら、あっという間に終業を迎えた。

 手紙は清掃業者の手によってすべて回収されていったが、つまりお焚き上げコースに乗ったということだ。

 僕は清々しい思いで会社を出た。


 手紙が落ちてきた。

 上空には何もいない。

 僕は家路を二歩進めたが、一足ごとに手紙が舞い降り、『重要』と書かれたほうを上に向けて地面に落ちた。

 三歩目には強風が吹いて手紙が顔に貼り付いた。

 僕は四歩、五歩と前に進んだ。

 左右からさらに一通ずつ、合計三通の手紙が貼り付いてきたが、僕は足を止めなかった。

 そのうち胸や腹にも手紙が貼り付いてきた感触があった。

 強風というよりも、もはや手紙自体が圧力を持って僕の体を後方へと押している。

 二度あることは三百度ある。

 送り主は相当なアホに違いない。

 僕は確信しながら敢然と足を踏み出し、


 クラクション。


 衝撃。


 悲鳴とサイレン。


 手紙の感触が跡形もなく消える代わりに、地面に押しつけられて変にねじ曲がった自分の体から少しずつ液体が染み出していくのを感じていた。




 それからどうなったかというと。


 僕は病院で栄養食を食べるはめになった。


 目の前に置かれたプレートの上には、こんもりと盛られた白ごはん。その下には『重要』と書かれた手紙が一通挟まれている。

 病院の食事はどの品も大変健康的な見た目をしているが、僕は今健康ではないので食欲がわかない。

 スマホは事故のときにバキバキになったし、テレビカードの販売機は現在故障中だと聞いている。

 暇だった。

 今、僕はとても暇だった。

 僕は手紙を手に取り、しげしげと眺めてから、折り紙を始めた。

 長方形で何が折れるのかわからないが、とりあえず細かく折りたたんでマス目を作っていけばいつかは創作折り紙の才能に目覚めるだろう。

 幸い手紙は折りやすく、中の便箋はあまり枚数がないようだった。

 縦に谷折り山折り。

 横に谷折り山折り。

 僕は手紙をこねくり回し、いい感じにやわらかくなったところで鼻をかんだ。

 その瞬間、手紙はうっすらと透け始め、五秒もたたないうちに完全に消えた。

 手紙がその出没を目撃させたのは初めてだった。

 以後二ヶ月、退院するまでのあいだ、手紙は一通も届かなかった。


 これにて一件落着。

 めでたしめでたし、というわけだ。




 入院中、僕は病棟のスタッフに頼んで下のコンビニで買ってきてもらったナンクロを解きながら、つらつらと考えていたことがある。

 手紙はもしや警告だったのではないだろうか。

 僕は手紙のせいで交通事故に遭ったと八割近く確信しているのだが。

 残りの二割で、もしかしたら元々事故に遭うことが決まっていて、手紙はそのことを知らせようとしていたのではないか、僕が事故に遭うことを止めようとしていたのでは。

 そんな妄想を楽しんでいた。


 その妄想をこのタイミングで思い出したのは、今日が母の祥月命日だからだ。

 生前の母は一人暮らしを始めた息子を気にかけてあれこれと世話を焼いてくれた。

 平日には作り置きの惣菜を冷蔵庫に入れておいてくれたし、休日にはスーツにアイロンをかけてくれたりした。

 一旦出したパスケースを違うポケットに入れてしまううっかりもたまにはあったが、総じて大いに助けられたものだ。

 社会人としてこなれていく僕を見ながら、疲れていないか、会社はブラックじゃないのか、しきりに心配していた姿を思い出す。

 そういえば字が下手なことがコンプレックスで、ちょっとした書き置きでもよくプリントアウトしていたのだったか。

 スマホの小さな画面は苦手だといつまでも言っていた。

 それに手紙のほうが存在感あって読まなきゃいけないと思うでしょ、などと、謎の主張を貫いていて、ペーパーレスとは真逆の道をひた走っていた。

 お気に入りのフォントは行書体。

 まぶたに浮かぶ在りし日の思い出。退院の日がたまたま祥月命日であったことが、何かの符丁のように感じられた。

 まぁまったくの偶然にすぎないが、たまには墓参りにでも行くとしよう。


 病院から出て、青空を眺める。

 雲一つない快晴。

 松葉杖を突きながら一歩、二歩と進んだが、手紙は降ってこなかった。

 結局何が書かれていたのか、今となっては知る由もない。

 もちろん送り主もわからないまま。

 二度と手に取ることのない手紙に思いを馳せながら、僕は、


 ――それはそれとして、勝った気がする。


 そう思った。




 翌月、ようやく行けた母の墓前には、一通の手紙が置かれていた。

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朝起きたら、冷蔵庫の中に見知らぬ手紙が入っていた。 三渉 @pig_bu_bu

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