IMAGICA.1-01 ログイン

(え……何だこれ?)


 恒平は、呆然と周囲を見回した。

 恒平はいつも通り寝室のベッドで就寝したはずであるのに、気づけば真昼間の屋外で横たわっていたのである。


 しかも恒平の周囲には、得体の知れないものどもがうじゃうじゃと蠢いていた。

 目も鼻もないのっぺらぼうの顔に、ひょろりと細長い胴体と手足、関節部分は球体で構成されており、全身にうっすらと木目の模様が浮かんでいる。それはどこからどう見ても、美術の授業で使うデッサン人形であったが――人間と同じぐらいの大きさをしている上に、その場をびっしりと埋め尽くすぐらいの数であった。


 なおかつその木偶人形たちはきょろきょろと辺りを見回したり、かたわらの木偶人形につかみかかったり、あるいは地面を這いずったりしている。それらは、意思を持つ木偶人形の群れであったのだ。


 しかしその場は、完全な静寂に包まれている。

 木偶人形には口がないために、喋ることができないのである。


 まったく状況も把握できないまま自分の姿を見下ろした恒平は、また新たな驚きにとらわれた。

 恒平の肉体もまた、粗末な木偶人形に変じてしまっていたのだった。


(何だこれ……夢にしては、ずいぶんリアルだな)


 恒平は、指のない手で自分の頭を小突いてみた。

 コンコンと軽やかな音色が響いたが、頭にも手の先にもわずかな振動が伝わってくるばかりで、人間らしい感触は得られない。それに、身体を動かすことは可能だが、あまり素早くは動けない状態に陥っているようだった。


 あらためて、恒平は周囲の状況を確認する。

 そこはドーム球場ぐらいの規模を持つ平原で、背の高い石造りの壁にぐるりと丸く囲まれている。その広大なる空間で、無数の木偶人形がのろのろと蠢いているのだ。それはユーモラスでありつつ、いささかならず不気味な光景でもあった。


『プレイヤーのみなさま、《イマギカ》にようこそ!』


 そのとき、頭上からその声が響きわたった。

 恒平が目をやると、奇妙な物体が天空に浮かびあがっている。

 全身が真っ白の毛むくじゃらで、頭には牛のような角、下顎には山羊のような髭、獣毛で覆われた顔には三つの目玉――それは、モンスターといっても過言ではないような存在であった。


 しかもそれは、空を埋め尽くすほど巨大な姿をしている。それでもそこまでの恐怖感を覚えずに済んだのは、そのモンスターが妙に飄然とした愛嬌をふりまいているためであった。


『このたびは数多くのアプリゲームの中から《イマギカ》をお選びいただき、心より感謝しております。わたくしはナビゲイターのハクタクと申します』


 他の木偶人形たちも、その大半が上空を見上げていた。

 ただ、脱力したように座り込んだり、赤ん坊のように這いずったりしている者も、けっこうな数が見受けられる。それにもかまわず、ハクタクと名乗る異形の存在は朗々と言いつのった。


『この《イマギカ》のフィールドは、みなさまの夢の世界に構築されております。みなさまには現実世界を離れたこの場所で、思うぞんぶん《イマギカ》の世界を楽しんでいただきたく思います』


 周りの木偶人形たちは、のろのろと手や頭などを振り回している。

 きっと、わけがわからなくてパニック状態に陥っているのだろう。恒平とて、内心では同様であった。


(それじゃあ、もしかして……この周りの木偶人形も、みんな僕と同じ人間なのか? こんなにたくさんの人間が、同じ夢を見ているっていうことなのか?)


 恒平がそんな風に考えていると、ハクタクはそれに応えるように言葉を重ねた。


『この場には、およそ15000名のプレイヤーさまが集まっておられます。よろしければ、なるべく大勢のみなさまに《イマギカ》の世界を楽しんでいただきたく思います』


「…………」

「…………」

「…………」


『この《イマギカ》に準備されているのは、胸躍る冒険と戦いの日々であります。モンスターの跋扈するフィールドに繰り出して、さまざまな経験を重ねつつ、現実世界では味わえない昂揚と悦楽にひたっていただきたく思います』


「…………」

「…………」

「…………」


『ですがもちろん、危険なことは一切ございません。モンスターと戦っても生命を落としたり、手傷を負ったり、それどころか痛みを感じることすらございません。あくまで安全なる環境の中で、冒険と戦いを楽しんでいただきたく思います』


「…………」

「…………」

「…………」


『それではまず、冒険の準備を始めていただきましょう。以降は、わたくしの分身めがマンツーマンでご案内いたします』


 巨大な毛むくじゃらの姿が、ふいに天空からかき消える。

 それと同時に、小さな毛むくじゃらの物体が恒平の目の前に出現した。

 さきほどのハクタクを二頭身にデフォルメした、ミニチュア版である。それは体長三十センチほどで、ふよふよと空中に浮かんでいた。


『わたくし、コハクタクでございます。プレイヤーさまを《イマギカ》の世界にご案内いたします』


 可愛らしい子供みたいな声で、その物体がそんな風に述べたてた。

 周囲を見回すと、すべての木偶人形の眼前に同じものが出現した様子である。

 もしもこの場に15000名の木偶人形がいるならば、15000体のコハクタクとやらが出現したということであった。


(何だよこれ……《イマギカ》って、いったい何なんだ?)


 恒平が心中でつぶやくと、コハクタクの三つの目がきらりと光った気がした。


『《イマギカ》は、冒険と戦いを楽しむ仮想世界でございます。剣と魔法でモンスターを討伐するゲーム世界と認識していただければ間違いないかと思われます』


(ぼ、僕の心を読み取っているのか? ねえ、どうして僕がこんな目にあわないといけないんだよ?)


 コハクタクは、きょとんと小首を傾げた。


『《イマギカ》のアプリをインストールされますと、以降の睡眠時から自動的にログインする仕様となっております。利用規約の第1条第1項にその旨は記載されていたかと思われます』


(利用規約って……それじゃあ本当に、これがアプリゲームだっていうのかい? 夢の中にゲーム世界を構築するなんて、いくら何でも不可能だよ)


『それを実現したのが、当イマギカ・プロジェクトの開発チームであるのです』


 コハクタクは、えっへんとばかりに丸っこい身体をのけぞらせた。


『それでは、《イマギカ》のシステムについてご説明させていただきます。まずプレイヤー様にはアバターとキャラクターシートを作成していただき、そののちに装備を整えていただきます。すべての準備が整いましたら、バトルフィールドにご案内いたします』


 恒平の惑乱など知らぬげに、コハクタクは滔々と語り始めた。


『バトルフィールドにおきましては、モンスターを討伐しながら「第一の町」を目指していただきます。そのミッションをクリアいたしますと、次のステージへの扉が開くシステムになっております』


(バトルだのモンスターだの、物騒だなぁ。そんなことして、本当に危険なことはないのかい?)


『はい。モンスターの討伐に失敗してHPが尽きた際は、自動的にこの「はじまりの広場」に帰還することになります。そこで準備を整えなおして、再チャレンジしていただければと思います』


(HPって、ヒットポイントのこと? 本当に、ゲームそのものなんだな)


 なんとも理解し難い状況である。

 恒平はしばし黙考したのち、違うベクトルの質問をぶつけてみた。


(周りの人たちも、みんな僕と同じ人間なの?)


『はい。《イマギカ》はいわゆるオープンワールドのシステムを導入しており、複数のプレイヤーさまが同一のフィールドでお楽しみいただける仕様となっております』


(それで、人間同士の争いになったりはしないのかな?)


『はい。セーフティゾーンにおいてもバトルフィールドにおいても、他プレイヤーさまへの攻撃は無効とされる仕様になっております。プレイヤーさま同士のバトルが楽しめるのは、十日に一度の「イマギカ武闘会」においてのみとなっております』


(イマギカ武闘会? 何だい、それは?)


『「イマギカ武闘会」は《イマギカ》における最大のイベントであり、日々の冒険で培ったプレイヤーさまの力を競い合う場でございます。もちろんそのバトルにおいてもプレイヤーさまの身が危険にさらされることはありませんし、優勝者はさまざまな賞品を手にすることがかないます』


(ふーん。色々と考えられてるんだね)


 恒平の好奇心は、あらかた満たされた。

 ということで、本題に入らせてもらうことにする。


(でもさ、夜はぐっすり眠らせてほしいんだよね。何とかこの場所から解放してもらえないかなあ?)


 空中に漂ったまま、コハクタクはわずかに身を震わせた。

 毛むくじゃらなので表情はわからないが、「ガーン」という擬音が似合いそうな仕草である。


『……プレイヤーのみなさまには、なにとぞ《イマギカ》の世界をお楽しみいただきたく願っております』


(うん、だけどさ、僕は明日も学校だから、なるべく疲れを残したくないんだよ。夢の中でそんな大騒ぎしてたら、身体がもたなそうだしさ)


『心配はご無用です。《イマギカ》における活動が現実世界の肉体や精神に疲労感を与えることは一切ございません』


(うーん、それでも何とか解放してもらうことはできないかなあ?)


『ログアウトの方法はただひとつ、プレイヤーさまの肉体が眠りから覚めることのみでございます。プレイヤーのみなさまには、心置きなく《イマギカ》の世界をお楽しみいただければ幸いでございます』


 何から何まで、素っ頓狂な話である。

 恒平は、心の中で深々と溜息をつくことになった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る