銀の英雄と世界を覆う嘘

hini

1-1 龍脈車に乗った二人の新兵

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王国近辺の村――リフォード村。

森と畑に囲まれた、小さな小さな故郷だ。朝になると鳥の声と風の音しか聞こえない、静かな村。


 その村で、俺は生まれた。


 ――その朝。

 目を開けると、窓から差し込む光が眩しくて、胸の奥がざわめいた。今日から俺は、この村を出る。

 そのことを思い出した瞬間、身体が勝手にベッドから飛び出していた。


 一階に駆け降りると、パンの匂いと焼き野菜の香りが広がっていた。いつも通りの朝の匂いなのに、今日は全く違うものに感じる。

 両親は、驚いたように箸を持つ手を止めて俺を見た。


「今日は早起きなのね、レイル」


 母さんが少し目を丸くする。朝日が差し込んで母さんの髪が金色に光っていた。


「当然だろ! 今日から俺の物語は始まるんだ!」


 声を張った俺を、父さんが苦笑しながら見つめた。


「今日から王国へ行くんだもんな。……頑張ってこい」


「立派な兵士になって、みんなを守ってちょうだいね」


 二人の声は明るかったが、目の奥は少しだけ寂しそうだった。

 胸が締めつけられる。でも俺は笑う。


「当たり前だろ! ばっちし守ってやるさ! ……じゃあ、村のみんなに挨拶してくる!」


 言い終える前に、もう玄関を飛び出していた。


 村の道はまだ朝露が残って、土が少し湿っていた。空気が澄んでいて、森から吹いてくる風が気持ちいい。

 そんな景色を見ながら、俺は村を歩き回った。


 いつも遊んでいた子どもたち。朝から畑仕事をしている父さんたち。井戸端で話していたおばちゃん。


 全員に、胸を張って言った。


「俺、世界を平和にしてくる! 帰ってくる時はもっと強くなってるから!」


「レイル兄ちゃんは無敵だから大丈夫!」

「訓練、頑張れよ!」

「死ぬなよ、レイル……」

「レイちゃん、本当に行っちゃうのね」

「帰ってきたときは、きっと立派になってるんだろうな」


 皆の声が重なって、何度も胸の奥に落ちていった。

 嬉しいのに、寂しい。誇らしいのに、泣きそう。

 そんな複雑な感情が、胸の中でぐるぐるしていた。


――王国歴142年 7月1日 午前9時。


 村の南道に、巨大な影が現れた。

 龍脈車――王国軍が使う、大きな魔力車だ。金属の車輪が大地を震わせる。村に似つかわしくないほど大きな音が響いた。


 荷台から、軍服を着た男が降りてくる。陽光に照らされた銀色の胸章がまぶしく光った。


「レイル・アルマークという男はどこだ!!」


 村じゅうに響く大声。

 小鳥が驚いて飛び立ち、村人たちが一斉にその男を振り返る。


「じゃあみんな! 次に会うときはもっと立派な男になって帰ってくるよ!」


「レイル・アルマーク!!」


 今度は俺めがけて名前を叫ばれ、振り返ると、その男がまっすぐ俺を見ていた。


「歓迎しよう。君は今日から、人間を守るための兵士となるべく、我々王国軍が育てる!」


「声がでかくてみんなビビってますよ。えっと……あなたは?」


「私の名はラセルだ。よろしく頼む、レイル」


 差し出された手は固くて、冷たい金属の匂いがした。

 その手を握り返した瞬間、胸が大きく鳴った。

 もう戻れないんだな、と実感する。


 龍脈車に乗り込むと、村の風景がゆっくりと後ろに流れていく。

 誇らしげに手を振る子どもたち。涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら手を振る母さん。腕を組んで静かに見ている父さん。

 婆さんは口を押さえながら泣いていた。


 全部が視界に焼きつく。


 それでも俺は行く。

 誰かが戦って魔族を倒さなきゃ、みんなが安心して暮らせないからだ。


 龍脈車が激しい音と共に村道を進む。


「じゃあなみんな!! 絶対、立派になって帰ってくるから!!」


 声が届いたかはわからない。

 村はどんどん小さくなるのに、みんなはずっと手を振り続けていた。


 父さんの思いも、母さんの思いも、全部わかる。

 でも俺は――行くんだ。


 龍脈車の荷台から村が完全に見えなくなるまで、俺は手を振り続けていた。

 小さな家々も畑も、森の向こうに溶けていく。本当に、俺の故郷が遠ざかっていくんだと思ったら、胸が少しだけ痛くなった。


 やがて、視界が森と道だけになり、俺はようやく荷台の中を見回す。そこにはラセルと俺以外にも、多くの徴兵された若者たちが座っていた。みんな不安と覚悟が混じったような目をしていて、荷台の中の空気は少し張りつめていた。


 そんな中、ラセルだけが、どこか憐れむような目で俺を見ていた気がする。

 当時の俺はその意味がわからなかった。でも今ならわかる。


 ――ラセルには、俺が“早死にするタイプ”に見えたんだろう。

 弱いくせに人を守ろうとしている、小さな村の少年。

 魔族がどれほど恐ろしく、どれほど多くの兵士が倒れてきたのかを知らないまま、ただ真っ直ぐ突き進もうとしている俺のことを。


 それが、現実を知っている大人の彼から向けられた眼差しだった。


 他の新兵たちは、そんな俺を“頭のネジが外れてるやつ”を見るような目で見ていたが、隣に座っていた男だけは違った。

 まっすぐ。まるで俺の奥を覗くような強い目で見ていた。


「お前、どんだけ故郷に向かって手振ってんだよ! 寂しいなら帰ってもいいぜ!! 俺がお前の村もまとめて守ってやるからさ!」


 突然声をかけられて横を見る。

 そこには俺と同年代くらいの男。

 短髪の赤髪に、やんちゃ丸出しの顔つき。目はやけに強気で、笑ったときの口角がわずかに意地悪そうに上がる。


 俺がぽかんと固まっていると、そいつは急に慌てだした。


「いや、べ、別にお前に帰れって言ってるわけじゃねえからな! ただ俺はその……その……」


 そんな姿を見て少し笑いそうになった。


「よろしくな。俺がしょんぼりしてるように見えたのか? 悪いな。でもちょっとだけ心配にはなったよ。俺がいなくなった村が大丈夫かって。でも――お前みたいなのがいてくれるなら安心だ」


「よ、よろしくなレイル……。お、俺の名前はアスカだ。女っぽい名前とか言うんじゃねーぞ!!」


「ああ、わかったよアスカ。よろしくな」


 その瞬間、俺たちは自然と手を差し伸べ合い、強く握手を交わした。

 その様子を見ていたラセルが、堪えきれないといった感じで腹を抱えて笑い出す。


 それにつられて、荷台にいた全員も笑い始めた。


「な、何がおかしいんだよみんな!」


 俺が言うと、ラセルが笑いながら肩を叩いてきた。


「レイルは最後に乗ったから知らんだろ。アスカはな、故郷を離れるとき泣きまくってたんだぞ! それが今じゃお前をからかえるほど元気になるなんてな!」


 するとラセルの隣にいた女兵士も声を上げる。


「そうよレイル! あなたは“龍脈車に乗った時点”のアスカよりは強いわ!」


「うるせーよ! おいレイル!! こいつらが言ってること、全部嘘だからな!」


 アスカは真っ赤になりながら必死に否定してくる。

 新兵たちは命を懸ける覚悟で集まってきたはずなのに、その場には笑い声が満ちていた。

 その光景がなんだか不思議で、だけどとても暖かくて――俺も自然と笑っていた。


「おいレイル! なんでお前まで笑ってんだよ!!」


 アスカが叫ぶころには、荷台の外に広がる景色が変わり始めていた。

 遠くに城壁――いや、壁というにはあまりに巨大すぎる“白銀の壁”が見えてきた。


 その瞬間、ラセルが急に咳払いをして声を張る。


「ごほん。いいか、新兵たち! この先は王国だ。人類で最も強く、最も発展している国家! お前たちはこの王国を守り、さらに周辺国をも守る任務につくことになる。逃げたい奴は――今のうちだ!」


 さっきまで明るかった荷台は、一瞬で静まり返った。

 空気が張りつめ、新兵たち全員が真剣な顔になる。


 龍脈車は白銀の壁へ近づき、巨大な門をくぐった。


 中へ入ると、まるで別世界だった。

 見たこともない車輪の乗り物、空中に龍脈を流す管、そして兵士たちの装着する最新式の武器――。


 俺はあまりの光景に足を止めてしまった。


「おいレイル、行くぞ! 俺たち新兵の兵舎はこっちだ!」


 後ろからアスカに腕を引っ張られる。

 俺は王国の街並みを見上げたまま、ぽつりとつぶやいた。


「……全然、村と違うじゃん……」


「当たり前だろ!! ここは人類の希望であり最終防衛ラインなんだぞ!!」


 アスカはいつもの調子で叫びながら、俺をずるずる兵舎のほうへ引きずっていった。

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