現実では陰キャJKですが、サイバーパンク世界の頂点に立っちゃいました 〜伝説のハッカー『ミサピョン』の憂鬱な無双ライフ〜

茜 亮

第1話:ウサギとハッカーと0.1%の誤算

 2xxx年、東京。

 ゴールデンウィークを明日に控えた世間は、どこか浮足立っているような空気に包まれていた。

 けれど、私の部屋の空気だけは、深海のように重く淀んでいる。


「はぁ……。明日からの五連休、どうやって息を潜めて過ごそうかな……」


 ベッドの上で膝を抱えながら、私――高校二年生、天野 あまの ひかりは、天井のシミを数えるように呟いた。

 名前は「陽」なんてキラキラしているけれど、中身はこれ以上ないほどの陰キャだ。友達からの誘いなんて、当然ひとつもない。


「陽ちゃん、そんなに溜め息をつくと幸せが逃げちゃうよ?」


 枕元から陽気な声がする。

 長い耳をピコピコと動かしながら私の顔を覗き込んできたのは、ウサギ型のサポートロボット『ぴょん太』だ。

 十二歳になると国から一人一台、パートナーとなるAIロボットが支給される。私は迷わず、大好きなウサギ型を選んだ。それ以来、ぴょん太は私の唯一の話し相手だ。


「幸せなんて最初からないもん……。ぴょん太、何か家から一歩も出ずに、誰とも会話せずに時間を潰せる方法ない?」

「うーん、陽ちゃんの後ろ向きな要望に応えるのは難しいけど……それなら、これなんてどう?」


 ぴょん太のつぶらな瞳から、空中にホログラム映像が投影される。

 そこに浮かび上がったのは、禍々しくも美しい、ネオン輝く近未来都市の映像だった。


『最新フルダイブVRMMO【ニューラル・グリッド】! その五感が、世界を書き換える』


「ゲーム……?」

「そう! 今一番話題のVRゲームだよ。五感と完全に連動してるから、まるで異世界旅行みたいな非日常体験ができるんだって」


 ぴょん太は、ここぞとばかりに言葉を畳み掛ける。


「それにね、このゲームを通じて友達ができたり、恋人ができたりすることもあるんだって! 仮想空間なら、陽ちゃんも新しい自分になれるかもよ?」

「と、友達……?」


 その甘い響きに、私の心がピクリと反応した。

 リアルで友達を作るのはハードルが高すぎる。でも、顔の見えないゲームの中なら……私でも、誰かと仲良くできるかもしれない。


「……うん。どうせやることもないし、やってみようかな。万が一、話し相手ができたらラッキーだし」

「やった! そうこなくっちゃ! 善は急げだよ、陽ちゃん!」


 ぴょん太は嬉しそうにベッドの上で跳ねると、私の首元へと回り込んだ。

 ダイブの方法は簡単だ。サポートロボットと接続(リンク)するだけ。

 ぴょん太の柔らかいボディが、首枕のように私の首をふわりと抱きしめる。その内側から伸びた微細な端子が、私のうなじにある神経接続ポートへとアクセスした。


「神経接続(ニューラル・コネクト)、正常。五感への連動、完了しました。――準備はいい?」

「う、うん。お願い」


 目を閉じると、ぴょん太の声が脳内に直接響いた。


「ニューラル・グリッド、ダイブ開始!」


 意識が急速に沈んでいく。灰色の現実が遠ざかり、極彩色の電子の海へと溶けていった。


   ◇


 目を開けると、そこは白一色の空間だった。

 目の前には半透明のシステムウィンドウが浮かんでいる。


『ようこそ、ニューラル・グリッドの世界へ。アバターを作成してください』


 鏡のように映し出された初期アバターは、現実の私そのままの姿だ。

 目に少しかかる前髪。ノーメイク。地味だ。あまりにも地味すぎる。


「せっかくなら、憧れの人になりたい……よね」


 私が脳裏に思い浮かべたのは、学校の生徒会長であり、高嶺の花である烏丸 美咲からすま みさき先輩の姿だった。

 凛とした黒髪のロングヘア。切れ長の涼しげな瞳。

 私は震える指でパラメーターをいじり、できるだけ先輩の面影に近づけていく。


「うん、これなら……誰が見ても美人だよね。強そうだし」


 鏡の中には、私とは似ても似つかないクールビューティーが立っていた。これなら舐められないはずだ。

 次は名前の入力だ。


「名前かぁ。美咲先輩にあやかりたいけど、そのまま『ミサキ』じゃ恐れ多いし……」


 美咲、ミサキ、ミサ……。

 ふと、相棒のぴょん太の顔が浮かんだ。


「可愛く『ミサピョン』とか? うん、ゲームだし、これくらい遊び心があってもいいよね!」


 現実じゃ絶対に名乗れないけれど、ここは仮想世界だ。私は軽いノリで『ミサピョン』と入力し、決定ボタンを押した。

 ……まさか、この名前が後にあんな事態を招くなんて、この時の私は知る由もなかった。


『次に、初期クラスを選択してください』


 目の前に四つのアイコンが表示される。


・ウォリアー(近接格闘・タンク型)

・アサシン(高速戦闘・奇襲型)

・スナイパー(遠距離狙撃・隠密型)

・ハッカー(電子戦・支援型)


「うわぁ、どれも難しそう……」


 私は頭を抱えた。

 ウォリアー? 最前線で殴り合うなんて絶対に無理。痛いのは嫌だ。

 アサシン? そんなに素早く動ける運動神経なんてない。

 スナイパー? 一発外したら怒られそうで怖い。

 消去法で残ったのは『ハッカー』だった。


「ハッカー……これなら、後ろの方でパチパチ計算してればいいのかな? 美咲先輩みたいに頭が良くて、皆を助けるサポート役……うん、きっとそうだ!」


 私は勝手な解釈で自分を納得させ、『ハッカー』を選択した。


『クラス設定完了。初期装備【ハッキング・ゴーグル(F級)】を付与します』


 手元に無骨なゴーグルが出現する。それを装着すると、視界に数字の羅列が薄っすらと浮かび上がった。なんかちょっとカッコいいかも。


『ハッカー用に各ステータスの推奨値をセットしました。手動で補正しますか?』

【 STR / DEX / VIT / INT / LCK 】


「よくわからないけど……どうせ戦闘しないから、頭良くてラッキーな方が良いよね」


 私は迷わず、INT(知力)とLCK(幸運)にポイントを全振りした。


『警告:この能力値配分では、戦闘時の生存率が著しく低下しますがよろしいですか?』

「うん、戦闘しないからOK!」

『承知しました。それではこれよりチュートリアルを開始します。健闘を祈ります』


 無機質なアナウンスと共に、白い空間がガラスのように砕け散った。

 次の瞬間、私は鉄と油の匂いが立ち込める、薄暗い廃墟へと転送されていた。


   ◇


 転送された先は、見渡す限りの鉄屑の山だった。

 空はどんよりと曇り、遠くでサイレンのような音が響いている。


「ここがチュートリアルのエリア……? なんか空気が重くない?」


 私は恐る恐る辺りを見回した。

 すると、瓦礫の陰からテニスボールくらいの大きさの機械が飛び出してきた。赤い単眼がギョロリと私を捉える。


『BEEP! 侵入者発見。排除シマス』

「ひぃっ! て、敵!?」


 私は慌てて後ずさる。ハッカーを選んだものの、戦い方なんてわからない。

 視界の端に『ハッキング』というアイコンが点滅しているのが見えた。ボタンはない。頭で念じるタイプのようだ。

 私は藁にもすがる思いで、そのスキルを強く念じた。


「と、止まってぇぇぇ!」


 私の叫びと共に、指先から青白い光の粒子が放たれる。

 光は機械――警備ドローンに吸い込まれ、バチバチと火花を散らした。


『ピ、ガ……システム、掌握サレマシタ……』


 ドローンは煙を吹いて地面に転がった。

 ど、どうにかなった……? へなへなと座り込んだその時、視界に金色のファンファーレが流れた。


【SYSTEM】スキル習得条件を満たしました。

初期補正(INT/LCK極振り)および特定乱数の合致を確認。

ユニークスキル:『パラメーター・スワップ(位相置換)』を習得しました。


「えっ? なんかすごそうなの出た?」


 詳細ウィンドウを開いてみる。


『パラメーター・スワップ』

対象と自身の全ステータス値を一時的に入れ替える。

成功率:0.1%(※失敗時、術者は即死級の反動を受ける)


「……ゴミスキルじゃん」


 私はガックリと肩を落とした。成功率0.1%って。千回やって一回成功するかどうかだ。しかも失敗したら死ぬなんて、リスクとリターンが釣り合っていない。

 やっぱり、私の運なんてこんなものだ。地味にコツコツ頑張ろう……そう思った矢先だった。


『WARNING!! WARNING!!』


 突然、視界が真っ赤に染まった。

 耳をつんざくような警報音と共に、空がガラスのようにひび割れる。


「えっ、なになに!? チュートリアルってこんな演出なの!?」


 空の裂け目から、巨大な影が落ちてくる。

 ズズゥゥゥン!! という地響きと共に着地したのは、高層ビルほどもある巨大な多脚戦車だった。無数の砲塔と、赤く輝く暴虐の瞳。どう見ても初心者が戦っていい相手ではない。


【WORLD EVENT】

レイドボス『機動要塞ヘカトンケイル』が出現しました。

※運営より:座標バグにより初心者エリアに出現中です。現在対応中ですが、プレイヤーの皆様は直ちに避難を――


「避難って言われても! 目の前なんだけど!」


 逃げる間もなかった。

 ヘカトンケイルの巨大な足が、虫でも踏み潰すかのように私めがけて振り下ろされる。

 死ぬ。

 ゲームを始めて五分で圧死。私のVRライフはここで終わりだ。


 ――嫌だ。


 脳裏に、美咲先輩の凛とした笑顔が浮かんだ。

 『陽さんは、やればできる子だと思うわ』。いつか廊下ですれ違いざまに、落としたノートを拾ってくれた時の言葉。

 ここで何もせずに死んだら、私は一生「陰キャの陽ちゃん」のままだ。

 せっかく違う自分になろうとしたのに! ミサピョンなんてふざけた名前をつけてまで、変わりたかったのに!


「こんなところで……終わってたまるかぁぁぁ!!」


 私は反射的に、さっき覚えたばかりの『ゴミスキル』を脳内で絶叫した。

 狙うは、目の前に迫る巨大な足の裏。

 確率は千分の一。でも、ゼロじゃない!


[SYSTEM] スキル発動。乱数判定…… CRITICAL SUCCESS(大成功)


 カチリ、と世界が噛み合う音がした。


 その瞬間、私の体から制御できないほどの奔流が溢れ出した。

 全身の血管が焼き切れるかと思うほどの力。視界に見えるすべての情報が、止まって見える。

 逆に、目の前の巨大要塞は――まるでブリキのおもちゃのように頼りなく萎んで見えた。


「え……?」


 振り下ろされた巨大な足が、私の頭上でピタリと止まる。

 いや、私が止めたのだ。無意識に上げた、たった一本の左腕で。


『ピ……ガ……出力、低下……』


 要塞から情けないエラー音が漏れる。

 今のあいつのステータスは、数秒前までの私(初期装備の雑魚)と同じだ。そして今の私は、レイドボスそのもの。


「さわらないでよ……っ!」


 私はパニックのまま、その巨大な足を「ぺいっ」と払いのけた。

 ただのデコピンのような動作。

 けれど、その衝撃は凄まじかった。


 ドォォォォォン!!


 衝撃波が空間を歪め、機動要塞ヘカトンケイルの巨体が、まるで紙細工のように四散した。

 爆風が鉄屑の山を吹き飛ばし、雲を裂いて青空を覗かせる。


「……は?」


 あとに残ったのは、更地になった地面と、呆然と立ち尽くす私だけ。


【YOU WIN!】

レイドボス撃破ボーナスを獲得しました。

レベルアップ:Lv 1 ⇒ Lv 100

特別報酬:【紅蓮のサイバー・ボンテージ(ユニーク装備)】


「へ? ボンテージ?」


 嫌な予感がする間もなかった。

 光の粒子が私の体を包み込み、地味な初期服を強制的に解除する。

 現れたのは――露出度九割、ピッチピチの光沢素材でできた、深紅のボンテージスーツだった。背中にはネオン色に光るウサギの耳のようなユニットまで浮いている。


「なんっ、なにこれぇぇぇ!?」


 恥ずかしさで顔から火が出そうだ。肌色が多いとかそういうレベルじゃない。痴女だ。これはただの変態ハッカーだ!


「おい、見たかよ今の……」

「あの巨大ボスを、ワンパンで……?」


 周囲に、騒ぎを聞きつけた他のプレイヤーたちが集まってきていた。彼らの視線が、私の扇情的な格好と、破壊されたボスの残骸を行き来する。


「すげえ……あんなエロい装備、見たことねえぞ」

「『ミサピョン』……? 聞いたことない名前だ。ランカーか?」

「『死神ウサギ』だ……新しい伝説の始まりだぞ……」


 違う、誤解だ! 私はただの陰キャで、これは事故で!

 美咲先輩に見られたらどうしよう。切腹するしかない。


「い、いやぁぁぁぁっ!!」


 私は悲鳴と共に、逃げるようにログアウトボタンを連打した。

 こうして、私のVRライフは――最悪かつ最強の形で幕を開けたのだった。

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